認知症がある糖尿病患者をスクリーニングによる点数と起きているリスクだけで判断しないために
認知症がある。
糖尿病がある。
血糖コントロールが崩れて入院した。
独居である。
こうした情報が並ぶと、私たちは自然と「自宅での生活は難しいのではないか」と考えます。
その見方は、決して間違いではないと思っています。
認知機能の低下があれば、服薬、食事、血糖測定、定期受診、低血糖への対応などに影響が出る可能性があります。糖尿病の管理が不安定になっているなら、医学的なリスクも丁寧に見なければいけないと思います。
けれど、ここで立ち止まって一緒に考えたいのです。
「認知症があるから難しい」
「独居だから危ない」
「血糖コントロールが悪いから自宅生活は難しい」
そう判断する前に、私たちは何を見ているのか。
そして、何を見ていないのか。
高度実践看護で大切なのは、医学的視点と全人的な視点で対象者を統合して捉えることだと思います。
この記事では、認知症がある糖尿病患者を、スクリーニングによる点数や表面的なリスクだけで判断しないために、どのようなアセスメントが必要なのかを一緒に整理していけたらと思っています。
まず、医学的に見ることは避けて通れない
認知症という言葉だけで判断するのは危ういと思っています。
しかし、その一方で認知機能の低下を曖昧にしたまま「その人らしい生活」を語ることも危険だと思っています。
ここは、「できる」「できない」とどちらかで決めつけることではないです。
まずは、医学的な視点でアセスメントを行う必要があると考えます。
たとえば、HDS-RやMMSEなどを用いて、認知機能を評価する。血糖値やHbA1c、低血糖の有無、服薬内容、インスリンや内服薬の管理状況を確認する。食事療法、運動、受診行動、血糖測定がどの程度行えているのかを見る。
ただし、スクリーニングによる点数や数値だけで結論を出すわけではないと思います。
認知機能の評価で大切なのは、「数値に捉われること」だけではなく、「どの生活場面に影響しているのか」を見ることです。
薬を飲む時間を忘れやすいのか。
血糖測定の手順が分からなくなっているのか。
食事内容の判断が難しくなっているのか。
買い物や調理の段取りが負担になっているのか。
受診日を管理することが難しくなっているのか。
生活への現れ方は人それぞれ違います。
だから、アセスメントは点数のみの判断で終わらせない。
評価した点数を、その人の営んでいる生活場面に戻して考える必要があります。
生活の一日を、具体的に見る
医学的な評価と同じくらい大切なのが、その人の生活状況です。
例えばですが、その人は朝何時に起床しているのか。
朝食は、何時ごろに誰が、どのように準備をしているのか。
食前や食後の薬は、誰がどのように管理し、どのタイミングで飲んでいるのか。
血糖測定をしているなら、どこで、どのような手順で行っているのか。
午前中は何をして過ごしているのか。
買い物には行くのか。行くなら自宅からどのくらい離れた距離に、どのくらいの頻度でどのような方法で行っているのか。
昼食は何時ごろ、どのようなものを食べているのか。
夕食までの時間は、家の中で過ごすのか、外に出るのか、誰かと会うのか。
夕食は、調理するのか、惣菜を買うのか、菓子パンや簡単な食品で済ませることが増えているのか。
何時ごろ寝ているのか。
夜間に低血糖や転倒のリスクはないのか。自宅の環境・構造はどうなっているのか。
急性期病院に入院をしていると、こうした情報は一見すると医学的な情報から遠く不必要に見えるかもしれません。
でも、糖尿病のセルフマネジメントは、病院の中ではなく退院後の生活の中で行われます。
食事も、服薬も、血糖測定も、受診行動も、病院の中だけで完結しません。
だから、生活の流れを見ないまま、血糖コントロールだけを見ても、その人に何が起きているのかは見えにくいのではないでしょうか。
例えばですが、「惣菜や菓子パンが増えた」という情報を得たとします。
それだけを切り取ると、単なる食生活の乱れに捉えがちです。
だけど、その背景に目を向けてみると、
買い物への困難さがるのかもしれない、
調理の負担が生じているのかもしれない、
疲労を感じているのかもしれない、
孤食によって食事に対する意欲が低下しているのかもしれない、
経済的な状況が影響しているのかもしれない、
近隣店舗が変化して通えなくなったのかもしれない、
家族や地域との関係の変化が生じているのかもしれない。
とさまざまな要因が考えられます。
目にみえるわかりやすい情報を見て判断するのではなく、なぜその食事になったのか?
そのような目に見えない部分に少しだけでも視野を広げることで、看護として考えられることが増えてくるのではないかと思います。
「できていないこと」だけでなく、「続いていたこと」を見る
血糖コントロール不良で入院した。
それ自体は重要な情報となります。
ただ、その人が糖尿病に罹患して30年以上付き合ってきた人であるならどうでしょうか?
そこには病いとともに生きた長い時間の積み重ねがあります。
痛みや息苦しさとは異なる、自覚症状に乏しい病気と付き合いながら、定期的な受診行動を続け、薬を飲み、食事を選び、生活を調整してきた時間がある。
もちろん、それが医学的に完璧だったとは限りません。
でも、血糖コントロールが不良だったという一時点での事実だけで、その人がこれまで行ってきた自己管理行動を「これから先は難しいのではないか」と判断するのは早すぎるのではないかと思います。
何ができていたのか。
どのような方法で続けていたのか。
何が変化したことで、その方法がうまく働かなくなったのか。
この視点が必要になるんではないでしょうか。
たとえば、血糖測定は入院時も行えていたとします。
その場合、少なくとも測定という行動は残っている可能性があります。
しかし、食事の準備や食品選択の部分で困難が生じている可能性があります。
または、血糖測定はできていても、その結果をどう判断し、どう行動につなげるかが難しくなっているのかもしれません。
「できる」「できない」で決めつけるのではなく、セルフマネジメントのどの部分に支援が必要なのかを分析する。
そこに、看護のアセスメントがあると思っています。
何を楽しみにして、どんな役割を担ってきた人なのか
生活を見るとき、食事や服薬だけを確認すればいいわけではないと思っています。
その人が何を楽しみにして暮らしているのか。
これまで、どのような役割を担ってきたのか。
家の中で大切にしてきたことは何か。
地域の中で、どのようなつながりを持っていたのか。
周囲に糖尿病の人はいたのか。
病気や療養について、誰と話してきたのか。
困ったときに相談できる相手はいるのか。
こうした情報は、退院支援の場面では後回しになりやすいかもしれません。
だけど、その人が住み慣れた地域で暮らし続けたいと望むなら、生活を続ける意味や役割を抜きにして支援を考えることはできないと思っています。
その人にとって、自宅で暮らすことは何を意味しているのか。
地域にいることは、どのような価値を持っているのか。
一人暮らしに見えても、近所の人、馴染みの店、地域包括支援センター、訪問看護、通所サービス、かかりつけ医、薬局など、生活を支える資源があるかもしれません。
反対に、つながりがあるように見えても、実際には支援として機能していないこともあります。
だからこそ、地域とのつながりも、単に「ある」「ない」ではなく、どの場面で、どのような資源があるのかを見ていく必要があると考えます。
医学的リスクと生活の希望を、多職種で統合する
ここまで見てきたことは、看護師一人で結論を出すためのものではありません。
認知機能の評価、糖尿病の医学的管理、服薬管理、栄養、生活機能、介護保険サービス、地域資源、本人の希望。
これらを統合して考えるには、多職種との協働が必要です。
医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、リハビリ職、医療ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、地域包括支援センター、訪問看護など、それぞれの視座・視野で見ている情報を持ち寄る。
そして、患者さん本人も含めて考える。
退院できるか、できないか。
自宅か、施設か。
そうした二択に急ぐ前に、どうすれば患者さんを中心とした医療の提供が行えるのかを考える。
たとえば、薬の管理を誰が支えるのか。
食事をどう整えるのか。
血糖測定や体調変化の確認を、どのような仕組みにするのか。
受診をどう継続するのか。
本人が大切にしている生活のリズムや楽しみを、どこまで守れるのか。
医学的な妥当性を無視して「本人が望むから自宅へ」とするの危険だと思う。
だけどその一方で、医学的リスクだけしか見ずに「自宅は難しい」と決めてしまうのも、その人の生活を十分に見た判断とは言えないかもしれません。
医学的に見て、生活を見て、本人の大切にしている部分に目を向け、本人や家族、多職種とともに現実的な選択肢を模索する。
そのうえで、患者が望む生活をどう支えるのかを考えることが重要なのではないでしょうか。
