「繊細×発達障害」と共に生きる3つの方法
「お付き合いお願いします」
私は私に頭を下げていた。今まで追いかけ回されてばかりだったけれど、"逃げていたから"苦しんでいたのかもしれない。私が立ち止まれば、「相手」も立ち止まってくれて、なんならゆっくり話をしてみると、意外と話のわかるやつだった。
繊細な人生が始まって、30年経った。
そう思うことにした。私が弱いせいで形成された人格だと思うと、後悔で胸がいっぱいになりそうだった。それならいっそ、私は「最初からこういう人間だったのだ」と思うことにした。
30歳を越えると、色々なことに諦めがついてくる。人付き合い、環境、お金、挙げたらキリがないか。
コミュニケーションは、学生の頃は得意だと思っていたけれど、私が得意だったのは、気心知れた友人同士でのお喋りだけ。見知らぬ人との第一声はいつもしどろもどろ。配属された環境で、ある程度はやっていくしかない会社。お金をたくさん稼いで、人より優位に立ちたい——なんて、心のどこかで思っていたかもしれない。
自分を力強く躍進させて物事を乗り越えるのも、それはとても麗しいことだとは思う。ただ私は、そういうことを考えると、どうやら気持ちが緊張して、余計に物事に当たる手が止まってしまった。
強くなれ、肯定しろ、失敗を恐るな。周りは鼓舞や寄り添いのつもりかもしれないけれど、私はそんな言葉でよく潰れた。
「もう無理なんだよ」
強くなるのは。
色々試したよ。頑張ろうとしたよ。だけれど無理なんだよ。向いてなかった。じゃあ、もう「強くなる」のも諦めるのか。それは半分だけ当たり、といった感じか。方法や思考を変えて、身体や心をほぐすようにする感覚で私は生まれ変わりたい。
たぶん、私にできるのは「筋トレ」じゃなかった。どちらかというと、「ヨガ」や「ピラティス」の方が合っていたかもしれない。しなやかさも強さであることに変わりない。もちろん、どちらの方が優れているといった話はお門違いだ。
今のままで、自分らしくいられることがいい。尊いだろう。それでも尚、今なら少し動いてみれそうだ。やってみれそうだと思う瞬間が現れているとしたら、やってみたいと思う。
基本的に人には「頑張らないでいい」「頑張りすぎなくていい」と伝えたい。ただ"頑張ろうとしている人"には、「そのままでも尊いのに、変わろうとしているなんてすごすぎる」と言葉を贈り、少しずつ一緒に歩いてみない?と問いかけたい。
精神疾患や特性。あらゆる生きづらさが誰しもあると私は思っている。そんな私が、今まで経験してきた自分の精神疾患や特性を考えながら、きつく心に縛り付けた紐を解いてみたいと思う。お付き合いいただけたら幸いです。
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作家を目指しています。
