ふつうのフィルターを少し外して見る世界 | NHKドラマ「テミスの不確かな法廷」
NHKドラマがたびたび良きテーマでドラマを出してくるので気になって仕方がない。
今年に入ってから始まった「テミスの不確かな法廷」が先日、最終回を迎えた。毎週楽しみに、あっという間の8話だった。
ドラマの舞台は法廷。気になるのは主人公の裁判官、安藤が発達障害であるというところ。実際にそういうケースがあるのかはわからないけれど、「法律」が誰しもに等しく与えられるルールであり、そのルールを学ぶことで「ふつう」になれるのでは?、という主人公のストーリーにはなるほど共感する。
やっぱり一番目がいったのは、裁判官であり発達障害であるという主人公安藤を演じた松山ケンイチさん。ドラマだから特性についてもちろん誇張する部分も見られるけれども、その特性の裏にある安藤の傷つき、孤独、闇、優しさ、コミカルさ ーー それぞれを繊細に演じられていて、安藤という人がとても人間らしく浮かび上がっていた。単に特性の描写だけに目がいかなかったのは、さらに深いレベルで演じられているところだろう。最終回、法廷で安藤が自分について語るシーンは本当に自分の生き様を語っているようで、食い入ってしまった。
松山ケンイチさんの人間観察眼というか、人物像の作り方が深いんだろうなーと思っていろいろ関連記事を読んでいた中に、原作の著者直島さんとの対談がある。
僕が原作を読ませていただいて思ったのは、この世界は自分と同じような人がいっぱいいる訳ではないっていうことです。みんなが自分と同じだっていう前提だと、コミュニケーションってしなくなると思うんですよ。みんなが違うから、コミュニケーションしないとわからないことがたくさんある。この人はこんなことを考えて生きてきたのか。これだけ傷ついて生きてきたのか。それがわかれば、相手への接し方も変わってくると思います。察してよとか、空気読めよっていうことじゃなくて。
ーー ふつうになりたかった
ドラマの中で何度も安藤がいう言葉。ふつうということは、自分と誰かが同じだと(あるいはそれと外れているから違うと)いう前提から始まっている。それは、あまり色々考えなくて良いから生きやすい、気もする。
でも、表面的で厄介なふつうのフィルターを少し外してみたら、本当はもっと広がるものも、見える人の優しさや辛さも、あるのかも知れない。
裁判官安藤と、安藤を繊細に演じられた松山ケンイチさんの姿は、そんなことを少し気づかせてくれた。
