【映画鑑賞】「花様年華(4Kレストア)」弦楽器の音色が語る恋情。耐える美学の行方。
日本で2001年に公開されたのウォン・カーウァイ監督の映画「花様年華」を25年のときを経て渋谷でふたたび見た。「花様年華」は好きな映画のベスト3に入る。25年前に見たときは、マギー・チャンが着こなすのチャイナドレスの妖艶さに目がいったが、あらためて見ると気づきが多い映画だった。
まず、主人公ふたりのセリフが少ない。セリフのかわりにふたりの恋情を弦楽器の音色が語る。梅林茂の「夢二のテーマ」だ。心をえぐるように低くうなる響きが色濃い映像をさらに濃密にし、口数の少ないストーリーをどこまでも饒舌にする。「夢二のテーマ」がなければ、この映画は成立していないのではないか。
そして、映画の中でウォン・カーウァイは主人公のふたりをずっと耐えさせている。互いの伴侶から裏切られたふたりはいわば同志だ。なんとも情けない同志である。
実物は光り輝く大スターのトニー・レオンは、隣の部屋の男に妻を寝取られた、小心者で冴えないしおらしい男を全身全霊で演じている。彼の耐える美学の象徴は、ポマードでかためた髪と懺悔のような白く長い煙をくゆらせるタバコだ。浮気をした妻をなじるわけでもなく。妻を寝取った隣の男を殴り倒すでもなく。おどおどとした子犬のような目で、同志であるマギー・チャン演じる隣の女を見つめている。
一方のマギー・チャン演じる女も耐えている。会社では愛人のいる外国人上司(日本のおっさん)をあれこれサポートし、家では隣の女と浮気をしている夫に対しては声を上げることなく見て見ぬふりをし、どこか腰が引けているトニー・レオン演じる隣の男にも、忍耐強く寄り添っている。女が、小さな顔、細い首、そして長い手足で着こなす妖艶なチャイナドレスがしだいに鎧に見えてくる。女の優雅さは耐える美学でできている。実際、この女を演じるマギーチャンは、眉のメイクだけに1時間かかっていたとウォン・カーウァイは話している。きっと彼女は怒っていたにちがいないと。
また、全編を通して印象的に使われる「赤」の色使いも見逃せない。それは、いまにも爆発しそうなふたりの秘めた恋情を表しているだけではないと思う。上海出身であるウォン・カーウァイが、時代に翻弄される当時の香港の運命を、大陸を象徴する「赤」に託したメッセージのようにも思えてならない。この赤も耐える美学である。
ところでこの映画のメインのロケ地がタイのバンコクだったということもつい最近知った。香港にも大陸にもない古き良き華僑文化が、バンコクの建築物やストリートに残っている。そういえば映画の中で主人公ふたりはたびたび突然の雨に襲われた。この雨も耐える美学のモチーフであり、その点でもスコールがあるバンコクは最適であったと思う。
さて、この映画で議論になるのは、結局、この主人公のふたりは一線を越えたのかということである。私は越えていないと思う。越えてしまえば耐える美学が崩壊してしまう。ラストシーンではトニー・レオン演じる男がカンボジアのアンコールワットの樹木の穴に秘密を語り封印する。もし一線を越えていればラストは違ったものになったであろう。一線を越えて女とともに新しい人生を歩んでいれば、異国の穴に過去を葬る必要はない。女を葬り、小説家としての人生を生きることで、男は、その後、耐える美学から解放されたのだろうか。それはわからない。
女は夫の不貞を知らぬふりをし、結婚生活を続け子供を産んだ。女の人生には耐える美学が続く。男への想いはきっと生涯消えることはないからだ。何を見ても男を思い出すにちがいない。勇気のなかった自分をずっと後悔するにちがいない。
26年ぶりに見た「花様年華」は、4Kレストアバージョンだ。レストア=修復。映像は修復できても主人公ふたりの関係は修復できない。だが、修復できないからこそ尊い。
さて、この映画を見るために渋谷に行った。Bunkamuraのル・シネマが建て替えのため駅前のビックカメラの7階に移転していた。Bunkamuraはかつて私にとって最先端の文化に触れる場所だった。現在の場所はとても文化的とは言えないが、7階に上がればロビーには「ドゥ マゴ」がスタンドカフェとして残っていて嬉しさと懐かしさがこみ上げた。次はここで冷たい飲み物を買って映画を見ようと思う。
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近所のカフェでぼーっとしていると思いもよらないアイディアが降ってきます。いただいたチップでコーヒーを飲みながら、雲のようなアイディアを青空のような文章に仕立てていきたいと思います。ありがとうございます。