自問自答を繰り返すよりも必要なコト | エッセイ
(自分はいずれ、どこか人知れずの場所で独りくたばるはずだった…)
物心ついてから、自分のうちに宿った死生観を持ったと同時に、何度その言葉について深いところまで考えたことだろうか。
最近では、これまで歩んできた自分自身の人生を振り返るたびに、ふと思い出してしまうことがある。自らの意思で考え抜いて選んできた数々の道は、果たしてこれで正しかったのかと。
例えば去年の今頃。私はひたすらハローワークに通いながら、自身の再出発に向けて就職活動に明け暮れていた。そんな日々について、わざわざ血が滲むような思いで抜け出す意味は有ったのかと。
ただあの時は、一滴たりとも悔し涙を流したり余計な雑念を思い描いている場合なんてなかった。どれだけ書類選考で落とされようと、どれだけ面接で自分の思うように伝えることができずとも。
そして、面接官あるいはハローワークの担当者から厳しい指摘や、辛辣な言葉を真正面から浴びせられようと。なにより弱気になっている自分が許せなかった。
なにより『自分はなんて駄目な奴なんだ』と、落ち込むような猶予なんてなかった。志半ばで音を上げれば、自分の持つ能力はその程度でしかない。そう認めてしまうと同じだから。
それでも、自分で選んだ道は、最後まで振り返らず進み続けなくてはならない。たとえその先が、一つの出口に通じる道ではないものだとしても。
そうしてたどり着いた矢先から今に至るまで、あらゆる物事の進行速度が増していっているような気がしていた。それこそぼんやりしていたら、あっという間に夏を連れてきてしまったという感覚の…。
そんな中で、自分の誕生日を迎えた先日。例年なら必ずこのタイミングで、何らかしらの大きな目標を立てて実行していた。だが今年はなぜか、小さいこと一つでも定めようとする意思は持っていなかった。
『それよりも、今は一旦立ち止まることが必要だ』その発想が無意識に自分の身体を支配しており、勢いに任せて進むことを静止している。
この短期間で身を結んだ多くの出来事が、上手く運びすぎたのかもしれない。そして少しだけ、浮き足が立っているようにも感じ取れたのだと思う。あるいはこのまま走り続ければ、再び未曾有の事態に遭遇してしまうと。
…少しだけ、自分は疲れているのかもしれない。どうにも、心のブレーキが作動している状態みたいだと感じていた。
今の私には、あらゆる物事において何が正解で何が不正解なのかと、自問自答を繰り返している場合ではないのだと思う。同時に、しばし何らかの休息が必要だと考えるようになった。
これからどうすればいいのか。どこに着地点を置いたらいいのか。いまだ解決していないようなこれらの嘆きについても、しばし放り出して忘れたらいいのかもしれない。
確信はなくとも、きっとなんとでもなる。これまで乗り越えてきた道のりが、たしかにそうであったように。
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