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値段が高くて不味いレストランは要らない | 雑記

(懲りずによう送ってくるなぁ…、この業者は)

会社の共用メールを確認していると、とある人材斡旋会社から紹介に関するメールが頻繁に届けられるようになった。



私は出社時に朝のルーティンとして、会社の共用アドレスに受信しているメールを確認する作業がある。

届いている割合のほとんどが、従来から続く取引先であることに違いはない。とはいえ、時折何の接点もないところから営業らしきメールが届くこともあり、それらの精査を行うことを一任している。

その中で気になったのは、前述にある通り、とある人材を斡旋している会社から送られてくる特定の人材に関する紹介メールだ。一業界においては稀有な資格を保有していたり、経験年数が飛び抜けて高いといった人材ばかりである。

但し、その中に共通する年齢層は、いずれも60代以上であることだ。


ここまでなら、まだ可愛い話としてお茶を濁す程度で済むかもしれない。私が問題視しているのは、どの紹介の分も希望年収が日本の平均より倍以上に設定されていることである。

そして内容を深掘りしていくと、思わず目を逸らしたくなるほど細かい要望や条件の数々に溢れている。まるで、不動産会社かあるいは結婚相談所の仲介人としての立ち位置にいるような、ただならぬ気分に浸っていた。


現在私が勤務している会社の業界では、慢性的な人手不足が問題視されている業種に該当するところだ。専門的分野として携わっている以上、無くてはならない特殊な資格を保持している方や、長年にわたって精通してきた方がいれば、喉から手が出るほどに渇望したいぐらいである。

ただし、50代以上の人間が応募してきた場合は、どうしても要注意と捉えかねない。

これは日本に限ったことではないかもしれないが、50代を過ぎてからの就職活動は、それまでの世代と比較すると、やはり…というよりもとてつもなくハードルが高く設定されているように思える。

それも、マトモな経験を積まず今まで以上の年収を希望する者がいたら、余程の地位を築けていない限り、云うまでもなく門前払いを喰らうのが妥当だろう。


「そもそも年齢の高い人間は、それなりに社会人を経験してきたのだから、若い世代より高い報酬を貰えて当然じゃないか?」


もし私が、今のような落差のある壁にぶち当たることなく、まったくもって真逆にして純風満帆な出世街道を歩んでいたら、とある一つの考えには永久的に辿り着けなかっただろう。

そのきっかけは数ヶ月前、とある記事を見つけたことからだった。



「あなたは高くて不味いレストランと同じ…」という文章から始まるそれを目に通した途端、かつて私が新卒で働いていた会社を辞める引き金となったJという人物を思い出した。

Jは、いわゆる天下りという形で入社してきた当時50代の男性だった。経理畑を歩んできた、という社長からの紹介もあって、部署内外問わず誰もが期待の念を込めていた。


しかし蓋を開けてみれば、思わず目を疑ってしまうような愚行の数々に翻弄される始末だった。「俺の若い頃はな…」という、在り来たりな謳い文句を筆頭に、ろくな行動を取ろうとしなかった。

それどころか、部長という立場を利用して高圧的に叱咤しては、何かトラブルが生じれば自ら責任を取らず、それを部下に擦りつける有り様だ。

我々一般社員よりも高い報酬を貰っておきながら、部下にそして会社にもたらしたメリットは、おそらく一ミリも生まれなかったと思う。

私も含む同じ部署の同僚は、傍若無人な態度を見せるJに対し、疲弊と憎悪が増していく一方だった。ただただ、胡坐をかき続けるしか脳の無い哀れな姿に「一日も早く出ていってほしい」と願う日々が続いた。


今でこそ思えばJは、前述のように評価を星一つも付けるに値せず、値段が高いくせして口に合わない料理を提供するレストランと同等であり、まさに百害あって一利なしと揶揄するに相応しい人間であった。

余談だが、私を含めた数人の退職者を逆の意味で輩出したJは、自らその責任を取って、わずか一年で退職する運びとなった。今は一体どこで何をしているかでさえ、知る由もない。


そのJという人物に限らず私は、自らの経験を武器に暴れるだけ暴れ散らかしては、去っていった50代以上の人間の愚行な姿を、この目でしかと捉えてきたつもりである。

無論、そうではない人も多数いらっしゃることは百も承知だ。しかしながら、これまで目にしてきた中の、一個人の行動が目に余るどころか強烈すぎたがゆえに、どうしても記憶を鮮明に思い出してしまうのだ。


今の時代で就職活動を攻略し、引き続き社会人として自分を生き存えるするためには、まず自身が培ってきた経験を語ることよりも、これから会社に対してどう貢献していくのかが鍵となるかもしれない。

その人にとっては、今まで歩んできた経歴を踏まえたら、それなりに苦労を重ね経験してきたと思う。ただ、それを熱く語ったところで他人から見れば結局のところ「それなり」でしかないのだ。

手元に残された貴重な対価を支払っても何一つ恩恵がなければ、大事な資源をドブに捨てる行為に等しい。まして、あと数年で定年を迎える根無草のような人材に高い給料を払える余裕など、そうそう無いことだろう。


たしかに、物価高騰によって情勢が厳しい昨今で余裕も失われ、本質的に誰かに縋りたくなる実情だ。だが、そう易々と手を差し伸べてくれる相手が、必ずそばにいるわけではない。

理想としている以上に、生優しく出来ていないのが現実だ。だからこそ、自らの知恵を駆使して、生きる術を身につけ、時に妥協する選択を持ち、この混沌とした世の中を生き抜かなければならないのだ。


当然のことながら、いずれ年を積み重ねては、その世代になりうる私自身にも云えることである。思いがけないことで路頭に迷ってしまわぬよう、自分のやりたいこと以前に市場価値を見直す必要だってある。

それにもし、今後も一社会人として這い蹲るならば、贅肉のように余計につきすぎたプライドや理念を、全て捨てなければいけない。思い切った覚悟が無ければ、その先にある理想の自分は描けず、書き殴りのままで終わってしまう気がして止まない。


いずれにせよ、そうした意思が目覚めた後は、時折届けられる尋常じゃない希望年収額をつきつけてきた紹介メールを拝読しても、あまり関心は持たなくなってしまった。

(ああ、今日もまた例のところから来ているわ…)

そう思いながら、この日もまた既読スルーを決行していくのだった。





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タダノツカサ 最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!