自分探しの旅はまだまだつづくよ
唐突に、レミオロメンの「翼」の歌い出しが思い浮かんだ。
人生は旅だと言われる
こうして、とりとめのない出だしが思いついた今日まで、どれくらい「旅の終わり」とやらが来ると思い込んでいたことだろうか。少なくとも、学生時代の時まで遡っても指折りで数え切れないほど、悟っていたことかもしれない。
自分はそもそも普通の人とは違う存在だ。
自分は他人に異なる考え方を持っている。
自分は他人とは逆の行動をしてきている。
自分はいずれ誰かに淘汰される身である。
自分はこの世界に居てはならない存在だ。
自分がこの世に居ることは間違いである。
所謂「普通の人」と異なった行動を一つでも出てしまうたびに、その場で自分自身を省みるだけでなく、複数に縛り付けた戒めを、無意識に心の奥底で唱え続けていた。
そのうえで、誰にも気づかれないように、サンドバッグのように見立てた自分を人一倍に責め続ける。そうしなければ、突如襲ってくるであろう意図しない罵詈雑言の嵐に、心が耐えられなくなってしまうから。
同時に、自分は「普通の人」に到底近づくことはできないからと、そう言い聞かせていた。それが「普通じゃない人」として育ってきた自分に課せられた運命だと思う。そして、その不条理に抗うべく「普通」という名の軌道に乗るための唯一の方法が、一連の行動から自らを蔑むことであった。
「前へならえ」などの号令に、まともに従うことができない人間は、どんな事情があろうと烙印を押されてしまう。そうならないように、自らの手で道を切り開く力が無ければ、その弱さを受け入れて黙って従うしかない。
それが、今まで信じ続けていた一つの秩序であった。だが、その倫理観というのは、逆にいつまでもしがみついてはならないものだということに、私はいつしか気がついたのだった。
だがもしかしたら、気がつくタイミング自体が、誰よりも早すぎたのかもしれない。頭でそう理解していても、行動そのものを言語化して人を動かす力さえなければ、もはやただの持論でしか成り立たない。
ゆえに私の場合、昔から言語化すること自体に関して、誰よりも秀でていなかった。そのうえで「普通の人」の追いつこうと自分なりに努力した結果、想像を超えるほどの時間を有し過ぎたと思う。
しかしながら、その努力が一つの成果として報われることができたなどとは、到底考えてはいない。未だ完成されていない人間であり、誰よりも完璧ではない自分であるからこそ、すべてにおいて理解を得られずとも「アテのない旅」と題して、再び研鑽を重ねていくのである。
敢えて問う。これは、なんのはなしですか?
どれだけ自分自身の終わりを悟る日が訪れようと、一寸先は闇と言わんばかりの崖まで追い込まれようとも、この命がある限り、この世に生を受け続けている限り、己の人生の旅は終わらない。
……と、いうはなしさ。
心の足跡は嘘をつかないから
もしも「翼」歌い終わりが、自ら紡いだ言葉として形容できる価値があるのなら、これからも文章を綴っていくことに、意味があるのだと思う。必ずしも、自分の期待した通りの結果にならなくても、とりあえずは、そういうことにしておきたい。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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