残された100分の1の希望 | エッセイ
事態は最悪。
自身のキャリアに、一つの汚点が着いたことは間違いない。
この選択は、絶対に賢い選択だと99%言い切れない。
これで食い扶持が絶たれてしまったら、最悪地元に戻るしかない。
あるいは、自らの手で自分を終わらせることにしよう。
どうせ思い出になるのなら、もう…。
昨年の今頃あたり、私が無職になった日から今の職場に就くまでの間は、すずめの涙すら満たない退職金や失業保険、それに止むを得ず切り崩さなければならない貯金で、自身の生活をなんとか繋いでいた。
念願だった忌々しい場所から満を持して解放されたとしても、そこから先の漠然とした未来に、一つも不安を感じていないわけではなかった。
もしこのまま食い扶持が絶たれてしまったら、最悪の場合、自分に課せられた時間軸とやらを壊すことも考えていた。他に頼るものが無ければ、アテそのものですらない。
己の手で切り拓く力が尽きてしまったら、そこから先を語る資格はないのだと、自然と言い聞かせてしまったいた。
人生の中で「最大」とも云えるピンチに幾つも阻まれては乗り越えてきたけれども、今がまさにその時かもしれない。今までのペースや飛び方ではきっと超えられないほど、さらに高いハードルが目の前に立ちはだかっていた。
ここで、自分の人生はこれまでと思って落ちぶれるのか。それとも、さらに高い場所へと立つために自分を磨くのか。ようやく戻ってきた唯一の自分の居場所に籠り、とにかく己を見つめ、向き合うことに時間を費やした。
誰とも会わず喋らず、常に湿度が60~70%と高くあった一室の中たった一人で。
仮に第三者から見て、それらの行動はほとんど無駄であると指摘を受けることになるとしても。どれだけアピールしても、何一つ誰かの役に立てない、何一つ誰かの力になれない。自分の持つ技量が、方法が、その程度のものだとわかっていながら。
一度割れてしまったものを、元通りに修復するのは困難である。「おつとめ品」とか「B級品」などといった値札を貼られてしまった以上、自力どころか他人の手を加えても新品並みの価値を取り戻すことができないように。
半年をかけて向き合い続けた結果、ようやく無職生活から脱出を果たすことができた。あの頃の日々を懐かしく思う一方で、底なし沼のような場所から抜け出せたとして、やはり自分と向き合い続けなければいけないと、今もそう感じている。
楽観視ばかりしていれば、いつかまた、これまでとは比べ物にならないほどの奈落の底にハマってしまうと、危惧しているからである。
今でも自分自身の向かう先は、まだまだ光が見えそうにはないかもしれないし、自ら思う安寧の地は訪れないかもしれない。
それでも、ただただ前に進むしかない。自分の手に残された希望が、わずか100分の1しかなくとも。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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