嫌いな人混みの中に入っていく矛盾さ | 日記
つくづく「慣れ」というものは恐ろしいものだと、そう気付かされることが多くなっていることに実感が湧いてしまう。
例えば「人混みは嫌いな方ですか?」と訊かれたとして、以前までの自分なら「嫌ですね」などと即答していたことだろう。
都市部と比べて、人や車が行き交う量の少ない地方で生まれ育った身としては、当然と云っても過言ではない。
ただこの頃は、その即答すら難しいと思うようになってきた。依然として、仕事に向かう為に乗らなければならない満員御礼の通勤電車にはウンザリせざるを得ないし、行列のできるお店に並ぶこと自体に苦手意識を持っている。
なるべく人の立ち入ることのない所に居たいと思いつつも、何処か行こうと思い立った時に、大抵の確率でなぜか、人の集まる場所へと吸い込まれてしまう始末だ。
先週私は、とある場所などに向かう用事があって、久しぶりに池袋に降り立った。
相変わらず、人の行き交う量は然程変わっていない。一時期のパンデミックで疎らになっていた眺望を懐かしく思うも、流れが元通りになったどころか、寧ろこのご時世ながら若干増えてきている気がしてならない。
最近では、この地に踏み入る頻度も少なくなっていた。これまで通っていた用事という、口実が無くなったのも勿論有る。
ただ一番の理由は、至る所に聳え立つビルの群れや、歩道に車道問わずごった返す雑踏などの景色に、視界や感覚が慣れてきてしまったせいかもしれない。
学生の頃から上京したてまで湧き上がっていた新鮮さは、年数を重ねていくにつれて感じなくなっていた。どこに置き忘れてしまったのだろうと、振り返る余裕も無く、熱は少しずつ失われていく一方である。
都会の景色は、まるで生き物のようだ。
新しい建物が立っては一点に人が集中すると思えば、別の場所で解体なのか或いは改築なのか、もしくは解体なのかと疑問視するほどに閑散したりと、変化の波が著しく際立っている。
一昔前なら、前方に見える景色が変化することに対して、一定の期待を膨らませていたことだろう。それを、拝見したり移動するという行動を繰り返すことによって飽きを感じさせてしまうのだ。
そういった意味では「慣れ」というのは、末恐ろしいものだと考えさせられてしまう。
とは云ったものの、全ての場所に立ち入ったわけではない。この地には、まだ見ぬ足を運んでいない未知の領域が、幾つも存在している。東京という場所に「慣れた」とはいえども、玄人と比べたらまだ制覇したとは到底云えないと思う。
人混みは嫌いであるにも関わらず、人の群れに一人向かっていく。どこか皮肉の含まれた矛盾を心に抱えながら、私は今日もこの地に生き長らえている。
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