花金の夜、辛味噌の名店にて
このお店を訪れること自体、夢のまた夢だと思っていた。
都内某区の某駅から徒歩でおよそ数分圏内の場所にある、味噌ラーメン一強の麺処。このお店の名前を知ったきっかけは、世間がコロナ禍に突入する数年前に、とあるYouTuberが自身の一日を撮影した「密着24時」なる動画にて紹介していたことである。
そこに映し出された味噌ラーメンの、普段目にするような物とは明らかに異彩を放つビジュアル面に強烈を受けてから、現在に至るまでなんとなくの感覚で憶えていた。
その人物も動画内で、撮影した日が平日の夜であるにも関わらず、十数人以上の行列ができていることに驚いてしまっていた。それほどに、名店中の名店と呼ぶに相応しい魅力が詰まっているのだろう。
一通り視聴し終わった後で、一度は行ってみたいと考えてはいた。しかしながら、その時に”今すぐにでも行きたい”という衝動に駆られることは、ほとんど湧いてこなかったのである。
そもそも私自身、行列に並ぶことはあまり得意な方ではない。ものの数十分ならともかく、2桁以上の人数かつ一時間以上を待つことになると、その日その場を諦めてしまうことが多い。
そのうえ当時私が勤めていた会社は、そこに立ち寄るにもいくつかの路線を乗り換えを行う必要がある場所に位置している。そのために、平日の夜にふらっと立ち寄ろうとするのは、方向的や時間的においても難しい。余程、人と会うような用事があって成り行きで向かうという条件が揃わない限り、無理な話であった。
ならば土日だったら…と思いつくも、ただでさえどこもかしこも混雑している首都圏だ。行こうとするなら尚更、平日の倍以上の列を成してもおかしくはない。といった具合に、自らの狭い知見に則って予想していたこともあり、そこに立ち入ることはもはや無縁の世界だと勝手に思い込んでいた。
そして先日、仕事を終えて自宅へと向かう電車に揺られている中で、唐突に例の麺処を思い出したのである。
今月から勤務先が変わり、かつ現在私が通勤で利用している路線は、前述の場所をちょうど通るルートである。ゆえに時間的にも、晩飯に差し掛かっている頃合いだ。
「密着」なる動画を観てから数年経過しているが、果たして今も長蛇の列ができているだろうか。仮にお店に入れなくとも、この目で確かめてみようと興味本位で、最寄りの駅で降りることにした。
徒歩で向かうこと数分後、目的地に到着した。だが、人の立ち並んでいる姿はまったく見受けられない。はたしてこの場所で合っているのかと、一瞬不安になってしまった。
念の為に、Google Mapを開いて確認してみる。周辺には幾つも小さな雑居ビルが立ち並んでおり、目的地もその中の一角に含まれている。大手チェーン店のような目立った看板は出ていないものの、代わりなるものとして向かいのガードレール辺りに並び方のルールを知らせる掲示物が貼られている。
たまたまタイミングが空いているのか、あるいは…。ただならぬ予感が頭をよぎったが、なんにせよこの場所で間違いない。時間も時間ということで、ここはひとまずラッキーだと思いながら店内に入ることにした。
食券を購入してカウンター席に座り、あと数分経てば密かに念願だった夢が現実になろうとしている。にも関わらず、実感がなかなか湧いてこない。まさか数年越しという形でここに訪れるなんて、一昔前の自分なら夢にも思っていなかったことだろう。
待つこと数分後、満を持して自慢の味噌ラーメンが目の前に置かれる。その瞬間、私は想像以上のビジュアルに圧倒されてしまうと同時に、無意識にポケットからスマホを取り出しては写真に収めていた。
某YouTuberが「密着」の動画内で、一口分の麺を入れた途端に感極まる表情を浮かべると同時に『美味すぎて泣きそうになる…』とテロップを出すほどに、長年に渡って通い続ける理由がわかった気がする。
普段食しているラーメンとは、180度と云ってもいいくらい全く異なる感覚に衝撃を覚えた。思わずやけどしそうになるも病みつきになる濃厚なスープのほか、麺においても予想以上の太さにして一線を画す歯応えがあった。
やがて最後の一滴までスープを飲み干すと、私は一つの満足感に浸っていた。さすがは辛味噌の名店。心の底から「大変美味しゅうございました」の言葉に尽きるのである。
この日をもって、唯一無二の存在を自らの舌が知ってしまった以上、もしかしたらふとしたことで再び立ち寄ることになるかもしれない。その時は知人を交えていきたいものだが、当面はひとりでこの快楽に溺れていたいと思うのだった。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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