歩いている暇ねえな… | 雑記
某日午後10時。なんとなく、ふと、そう思った。
年が明け、いつもと変わり映えのしない日常に戻り、そしてくだらないことで頭を抱えながら今の時間を生きている。
今日における現代人と同じ時間を共有…していないわけではないが、私にとっては実りもなく且つ刺激のない日々だと感じている。
朝起きて、食事をとり、身支度して家を出る。電車やバスに乗って会社あるいは学校へと移動し、仕事して、授業を受けて、また食事をとっては再び仕事と授業に勤しむ。
それから夕方ぐらいになって、心身ともにヘトヘトな状態で、また電車やバスに揺られて家路を辿る。家に着くとそこでもまた食事をとり、または体を洗い、一日の終わりにベッドに潜り込む。
これが普通の人は当たり前のことと自覚しており、生きるためには他に近道になりそうな手段はない。
だからこそ、人々はその前を歩く人の後ろについて、今にも止まりそうな速度で、なるべく迷惑をかけないように、ぶつからないようにと心がけながら、下を向いて黙って歩くしかない。
これが、かつて自分が望んでいた、もしくは憧れていた日常なのだろうか。
人の波に紛れても自分の価値を失わないように、流れに身を任せて歩き続けることが、過去に掲げていた一つの目標の、成れの果てという光景だったのだろうか。
人に役に立てようと、己の中に潜んだ微かな志を押し殺してでも、自らを犠牲にするべきだったのだろうか。
今年も、12分の1という時間が過ぎ去ってしまった。これを、まだ猶予は残っていると前向きに捉えるべきか、あるいは貴重な12分の1があっという間に消えてしまったと後ろ向きに考えるべきか。
今の私なら、おそらく後者を選択するであろう。時間は有限であると自覚している以上、一分一秒も無駄にはしたくない。だがしかし、頭の中で分かっていても、身体がそれに僅かな抵抗を促している。
精神面と反発し合っている証拠だ。だがそれでも、混沌とした現状をなんとしてでも打破しなければならない。残された道は狭く、余裕を持って進むことができるか否かと試され続けている。
ただでさえ、地に足が付いて歩けているのかさえわからないままなのに、何の根拠もなしに開き直るようにして、惰性で進もうとしている。
それで本当に自分は、果たして幸せを掴むことができるのか?
今一度反省する時間を作り、引き返す必要があるのではないか?
まずは立ち止まって、自分の足元を確かめた方がいいのではないか?
兎にも角にも、進むべき方向が定まらないまま、今流れている時間をフラつきながらもひとりで歩いている。
けれど、目的も何一つ決めていないまま身を委ねるようにして、進んでいる場合じゃないんだと思う。
真に、一秒たりとも無駄にしたくないという思いが奥底にあるのならー
やはり歩いている暇なんてねえな…
なんてことを私は思い浮かべていた。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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