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置き忘れてしまった義理と人情 | エッセイ

「そこのおまえら!目の前で助けを求めている人に、何故手を差し伸べようとしないのだ!」

…なんていった人情溢れるセリフを耳にするのは、もはや架空の話でしか再現されないのかもしれない。


時々私は不謹慎ながらも、この時代を生きる人々たちにはどこか、お互いを助け合う精神を持ち合わせていないと感じてしまう節がある。そこにはかつて、義理と人情が表舞台を圧巻していた頃よりも、無関心や冷淡が今日こんにちの現実を制しているように思えるのである。

時代の変化は刻一刻と目まぐるしく進んでいく。日々の生活における便利さはとどまることを知らず、常に向上していくばかりだ。だがその一方で、本来から人にある心の豊かさというものは、徐々に失われつつあると考えられる。

少なくとも、私が幼少期だった頃と比べたら、その差は自ら口にせずとも歴然であると思う。ふとそう振り返ったのは、これも何かの因果か、先週仕事帰りにとある光景を目にしたからである。


いつものように、通勤電車から降りて駅のホームから改札口へと向かう途中、とある柱のそばで小さく蹲っている女性を見かけた。その女性は自らのひたいを片手で抑えながらも、気を緩めてしまえば今にも倒れてしまいそうな様子を伺えた。

しかしその周りには、何らかしら介抱したりする人の姿は見受けられない。通り過ぎている人たちすべて、気づかぬフリをしてその場を後にしている。その光景に対して、何一つ事情を知らぬ人からすれば、前述のように思わず逆上してしまうことだろう。


だが、私を含めたその場を目撃した人たちは、既に居合わせた誰かがおそらく助けを呼びに行っていると、そう勘づいていたと思う。その証拠に、駅の改札口に繋がる階段を登り始めようとしたところで、駅員さんが簡易式の車椅子を押しながら、急ぎ足で向かっている姿を目にしたからである。

そもそも駅構内には、至る箇所にカメラやモニターを備え付けている。乗客こちら側で助けを呼ばずとも、駅員さんはそれらを目視しながら、いついかなるときでもイレギュラーに対応できるよう、万全の態勢を整えている。


もしこれが一昔前のことであれば、職員あるいは乗客問わず、誰かしら駆けつけては介抱していたことであろう。だが、昨今のニュースで取り上げられているように、善意を持って人を助けようとしたつもりが、一人の容疑者として逮捕されてしまう事案が目に飛び込んでいる。

そもそも今の世の中、真面目な人や頑張る人が損を被ったり馬鹿を見たりしてしまう時代だ。覚悟をもってやり遂げた成果に対して、その大半が報われず泣き寝入りせざるを得ないことばかりである。

そうしたきっかけで生まれ落ちた遺物が負の連鎖を呼び起こし、一定に保たれた秩序やルールを瞬く間に変えてしまった。これまで、どこかしらに宿っていた人の心は、いったいどこに行ってしまったのかと疑問視してしまうくらいに。


その成れの果てが、まさにこの時視界に映った光景なのかもしれない。困っている人がいるならば助けたいと思う反面、場合によっては自分の沽券に関わる重大な事案になりかねない。

まして若い者や異性を助けようとするなら、一定の確率で警察沙汰へと発展してしまう可能性はだって少なくない。そうあれば、下手に行動を取らない方が今の時代において賢明な判断であると、そう考えてしまわざるを得ない。

他人の危機を優先するか、自己の保身を優先するか。かつて豊かだった時代で、選ぶことのなかったであろう二つの選択肢が浮かび上がっては、なぜに激しい葛藤を抱えなくてはならないのか。


助けたくても助けられにくい。

今回のような状況を目の当たりにした出来事に限らず、安易な手助けが予期しない不幸へと誘っている。そこに至るまで、あらゆる人の手が加わってしまったからこそ、ハードルとやらは昔と比べて非常に高くなってきていると感じている。

そして、昔より今の方が生きにくい現実と化してしまったのは、少なくともそれまで保ち続けていた義理と人情を、知らないうちにどこかに置き忘れてしまったせいなのかもしれない。

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タダノツカサ 最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!