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【レビュー】「罪人たち」:物語はB級ホラーなのに、なぜ傑作なのか?

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」換骨奪胎

換骨奪胎(かんこつだったい)という言葉がある。

原作のアイディアを取り入れながら、
オリジナル性を加え新しい作品を生み出す、

という道教の言葉なのだが
本作はまさに換骨奪胎の
アプローチによって生まれた作品である。

本作の生みの親クーグラー監督は
影響を受けた作品の一つとして
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1996年)を
挙げている。

作品が途中で突然、
ヴァンパイア作品にシフトチェンジする、
という唯一無二のような独創性的な構造を用いて
29年の時を超えて
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」が
到達できなかった
人間ドラマの高みを見せてくれた本作。

クーグラー監督といえば「ロッキー」(1976)を
「クリード チャンプを継ぐ男」(2015)に進化させた
換骨奪胎のスペシャリストでもある。

今回は、いかにしてB級映画の名作として知られる
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」を
換骨奪胎して「罪人たち」を
傑作として作り上げたのか?
その巧みな手腕とアプローチを
紐解いて分析していきたい。

作品概要

罪人たち(2025年製作の映画)Sinners
上映日:2025年06月20日
製作国:アメリカ
上映時間:137分
ジャンル:ホラースリラー
配給:ワーナー・ブラザース映画

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あらすじ

双子の兄弟スモークとスタックは、一攫千金の夢を賭けて、当時禁じられていた酒や音楽をふるまうダンスホールを計画する。オープン初日の夜、多くが宴に熱狂する中、招かざる者たちの来客で事態は一変。歓喜は絶望にのみ込まれ、人知を超えた者たちの狂乱が幕を開ける。果たして、夜明けまで、生き残ることが出来るのか―。

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「フロム・ダスク・ティル・ドーン」おさらい

本作を観終えた後、久しぶりに
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」を見返してみた。
簡単に前後半の構成要素を抜き出してみる。

前半60分:バイオレンスムービー
→警察に追われる強盗の兄弟が
 家族を人質にメキシコへ逃避

後半40分:ホラーアクションムービー
→逃げ込んだトップレスバーの店員の正体が
 ヴァンパイアであることが判明
 壮絶な戦いを繰り広げる

脚本を担当しているのがタランティーノということで
バイオレンス、エロ、ホラー、銃アクションなど
B級映画の要素を敢えてギュッと詰め込んだ
という印象があるのだが
実は最大の特徴である前後半で
ジャンルが変わるという構造は
そういった「やりたいことを全部やる」ために
発明した産物ではないかと思っている。

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」

なぜならば
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」において
ヴァンパイアの登場は本当に深い意味などないし
それぞれのキャラ設定も良く分からないまま突き進む。

(ちなみに、美女の足を伝わせて酒を飲むシーンなど
 タランティーノの脚フェチが
 爆発している作品でもあったりする…)

そうして生まれたこの作品は当時、批評家からは
「この上なく楽しめることの多いB級映画である。」
という評価にとどまったものの
そのハチャメチャっぷりが話題となり
映画ファンの間でカルト的な人気を獲得した。

そんな「フロム・ダスク・ティル・ドーン」から
B級映画の要素だけを捨て去り
素晴らしい人間ドラマに昇華させた本作。

その重要な役割を果たしたのは
ブラックカルチャーに他ならないだろう。

ブラックカルチャーの結晶

本作は「フロム・ダスク・ティル・ドーン」の骨格に
ブラックカルチャーという血と肉を備えた作品である。

舞台は1932年のアメリカ。
酷い差別を受けていた黒人にとって
貧困から抜け出す手段は
犯罪に手を染めるか、音楽で成功するしか無い
と言われていた時代。

(今もこの不遇な差別は無くなったわけではない…)

マイケル・B・ジョーダン演じる
双子のスモークとスタックは
暴力的な父を殺し、地元を離れ、
マフィアから盗んだ金で、
一攫千金を狙って
地元でダンスホールの開店を計画しており、

「罪人たち」より

彼らの従兄弟であるサミーは
牧師の息子でありながら
天才的な音楽の才能を持ち
ダンスホールでの演奏を心待ちにしている。

「罪人たち」より

つまり、貧困から脱出するために
犯罪に手を染める双子、
その一方で音楽にかける青年が
対象的に配置されているわけだ。

前半は彼らがダンスホール開店の準備に向けて
スタッフを集めたり、ミュージシャンを集めたりと
不遇の中で希望に向けて
奔走する様子が瑞々しく描かれる。

そしてダンスホールが開店し
満を持してサミーの出番が訪れるのだが
この演奏シーンが本作の最大の見所となっている。

歌声、演奏はもちろん素晴らしいのだが
それだけではない。

ブルースを中心としたブラックミュージックの
過去と現在と未来が一同に介する
幻想的なシーンとして描かれているのだ。

サミーが歌い進めるごとに
ヒップホップダンサーや
クラブDJ、ロックミュージシャンが現れて
演奏に参加するという
まるでブラックミュージックの歴史を
具現化したようなシーンでもある。

前半だけでも一本の映画として
十分な見ごたえを感じさせるのだが
このサミーの時空を越える演奏をフックに
後半のヴァンパイアパートへと移行する。

ヴァンパイアの目的とは何だったのか?

本作におけるヴァンパイアは
「フロム・ダスク・ティル・ドーン」と違い
確固たる目的がある。

「罪人たち」より

本作の中で彼らが歌う歌はアイリッシュフォークだ。
アイルランドといえば
「吸血鬼ドラキュラ」の作者である
ブラム・ストーカーの出身地。

「吸血鬼ドラキュラ」では
ルーマニアで生まれたドラキュラ伯爵が
イギリスに渡って災いをもたらすのだが、
本作のヴァンパイアのルーツはここにある。

不老不死で長い歴史を見てきた彼らは
孤独を抱えており
時空を超えて会いたい人々がいたり
仲間が欲しかったりするのだろう。

だからこそ彼らはサミーの力を求めて
時空を超える事を願い、
そして、新たな仲間を作るために
周囲の人々に
襲いかかっていたのではないかと思われる。

ヴァンパイアにはもう一つ、
作品上の重要な意味がある。
それはブラックカルチャーとの対比だ。

本作ではサミーの演奏シーンで
過去と現在と未来の見事な
アンサンブルを描いたわけだが
これは言うなればブラックミュージックが
一貫したソウルを持ちながらも
時代とともにジャンルを開拓し
進化してきた歴史の象徴だ。

一方のヴァンパイアは不老不死であり
彼らは過去を憂い
その思いをフォークに込めて歌う存在。

伝統を重んじるアイリッシュフォークと
常に進化していくブラックミュージック、
この対比によりブラックミュージックの
精神性を印象付けたかったのだろう。

上手い。

終わり無きエンディング

本作にはもう一つの特徴がある。
それはエンドロールが始まってから紹介される
現在のシーンである。

本来はエンドロールが始まれば
席を立つ人もいるので描くとしても、
「実は死んだはずのあいつが生きていた!」
というような続編を匂わせるシーンや
ジャッキー映画でおなじみのNGシーン、
あるいは主人公たちのその後を漫画的に紹介するなど

あっても無くてもいいファンサービス的な
ニュアンスが強いシーンが多いのだが、
本作は、ここでも独創的なアプローチを取っている。

ネタバレは避けるがエンドロールが始まってから
本作にとって必要不可欠な重要なシーンが描かれる。

個人的にはエンドロールが始まってから
作品の完成度がグッと高まるという珍しい経験だった。

作品の余韻に浸る中で見るのに相応しい
素晴らしいシーンなので
これから見に行く方は
是非、最後まで席を立たずに見納めて欲しい。


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放送作家:辻井宏仁 最後まで読んで頂いてありがとうございました! 宜しければ応援お願いします!