誰も悪者にしないために
今、あなたは苦しくないでしょうか。
人間関係で、なぜかいつも同じようなところでつまずいてしまう。悪気があったわけではないのに、誰かを傷つけたことになってしまう。逆に、自分が傷ついているのに、それをうまく説明できない。話し合おうとしているのに、いつの間にか「どちらが悪いのか」という話になってしまう。
そんな経験はないでしょうか。
あるいは、SNSを見ていて、誰かの発言や行動が一気に燃え上がり、知らない人たちが一斉に誰かを裁き始める光景に、息苦しさを感じたことはないでしょうか。
ぼくはあります。
そして、たぶんその苦しみは、あなただけのせいではありません。もちろん、ぼくだけのせいでもないのだと思います。
人間という生き物と、その人間が作っている社会そのものに、そういう苦しみが生まれやすい構造があるのではないか。少なくとも、ぼくにはそう見えています。
人は、自分が見ている世界を、相手も同じように見ていると思ってしまいます。自分の痛みを、相手も当然わかるはずだと思ってしまいます。逆に、自分に悪意がなければ、相手もそれをわかってくれるはずだと思ってしまいます。
けれど、実際にはそうならないことが多い。
人はすれ違います。期待します。失望します。傷つきます。そして、ときには誰かを悪者にしないと、自分の苦しみを処理できなくなります。
では、他人や社会を丸ごと変えることはできるのでしょうか。
たぶん、簡単にはできません。
それなら、ぼくらはずっと苦しいままなのでしょうか。ぼくらだけでなく、次の世代も、その次の世代も、遠い未来の人たちも、同じように人間関係で傷つき、誰かを責め、自分を責め、苦しみ続けるのでしょうか。
ぼくは、そうあってほしくないです。
ぼく自身、できれば幸せに生きて、幸せに死んでいきたいと思っています。ぼくの周囲にいる人にも、そうあってほしいです。願わくば、ぼくと直接関係のない人たちにも、これから生まれてくる子どもたちにも、そのさらに先の世代にも、生まれたからには幸せに生きて、「生まれてきてよかった」と思える瞬間が、できるだけ多くあってほしいです。
仮に、遠い遠い未来であっても、いつか、誰もが自分の生命に納得し、互いを尊び、それぞれの生を全うできる世界が来ることを、心の底から願っています。
もちろん、そんな大きなことを、ぼく一人が実現できるとは思っていません。
ただ、今ここにある苦しみを少し減らすために、できることはあるのではないかと思っています。
それは、誰かを悪者にする前に、構造を見ることです。
なぜ苦しいのか。どこですれ違ったのか。何が共有されていなかったのか。どこで期待が生まれたのか。なぜ責任を請求したくなるのか。どうすれば、もう少し傷つけ合わずに済むのか。
そういうことを、できるだけ丁寧に考えてみたいのです。
このnoteでぼくが書きたいのは、正しい生き方を教えるものでもなければ、世界の真理を断定するものでもありません。
ただ、ぼくには世界がこう見えています、という話です。
もしあなたも、人間関係の苦しさや、SNSの息苦しさや、自分の人生をうまく自分で扱えない感じに、少しでも心当たりがあるなら、一緒に考えてもらえたら嬉しいです。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次回は、ぼくのWAIS-Ⅳの結果から見えた自分について書きます。
