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物語の欠片 象牙色の城郭篇 23 最終話

-カリン-

 当然ながらアルカンの森の入口は、痛々しい焼け跡がそのままになっていた。それを見て、セダムは目を背ける。
 「まあ、やってしまったものは仕方がないなあ。しっかり反省しろよ。」
 「はい…。」
 外は快晴だったが、森の中はいつもより少し薄暗かった。樹々が燃えてしまった分遮るものが少ないはずなのに不思議だが、おそらくその燃え残りの木の、炭色の色彩が全体を暗く見せているのだろう。黒い地面に、木漏れ日とは言えないような薄い光の筋が幾筋も伸びていた。
 霧が出てくると、セダムの顔が緊張で強張った。ユウガオは、おお、と歓声を上げる。
 「これが結界か。わくわくするな。」
 「ユウガオさん、楽しそうですね。…セダム様、ご心配は不要です。はぐれないようについていらしてください。」
 そして主の結界を抜けると、今度は二人分の歓声が上がった。
 「おお。」
 「わぁ。」
 明らかに先程の薄暗い色彩の森とは異なる、明るい空間がそこにはあった。大小の木々や花に満ちており、木漏れ日がきらきらと降り注いでいる。
 ユウガオは薬師らしく、あれもこれもと目についた薬草の名前を呟いていたが、セダムは一本の樹に釘付けになっている。
 「セダム様が昔ご覧になったのは、あの木ですね?」
 「はい…。私が見た時には沢山葉が茂っていて、赤い美しい実がなっていましたが、あの三叉の幹に見覚えがあります。」
 「一緒に、こちらへいらしてください。」
 セダムは素直についてきたが、カリンがセダムの手を取って幹に触れさせようとすると、躊躇うように抵抗し、カリンの顔を見た。
 「わたくしは子供の頃から何度もここへ通っていますが、この木が花をつけたり実をつけたりするのを見たことは一度もありませんでした。セダム様が五歳の頃、わたくしはまだアグィーラに居ました。この森にも定期的に薬草を採りに来ていた。それなのに、見たことがなかったのです。
 この木は、明らかにあの日の数日前、狂い咲きのように咲いて花を落とし、実を成らせた。それは間違いなくセダム様のためです。」
 「私の…ため…。確かに私はあの頃毎日のようにアルカンの森を訪れていました。しかし、ここに入ることができたのはあの日だけです。それなのに何故…。」
 「森の木は、人の感情を読む。おそらくあの数日前から、セダム様のお母様の心に、セダム様をここへ置き去りにする意思があった。それを見た木は、セダム様が気の毒になったのだと思います。ですからその日に合わせて実をつけた。そしてセダム様をこちらへ呼んだのです。」
 「…そうか。私はここへ来ても来なくても、あの日、捨てられていた筈だったのですね。」
 「はい。残念ながら…。」
 「あの日は、いつものようにあちらこちらと食料を探さず、ずっとここで実を採っていた。だからこそ、アグィーラまでひとりで歩いて戻る体力が残っていたし、実を食料にすることもできた。」
 「まだ幼かったセダム様のこと、食料はともかく、水分を全く取らずにここからアグィーラまで歩いて戻れたとは思えません。」
 「ああそうだ…水筒はいつも、母が持っていた。…そうか、この木は、私の命の恩人なのですね。それなのに、私はアグィーラの他の木に憎しみをぶつけたり、森を燃やそうとしたりしてしまった…。」
 ごめんなさい。
 そう言ってセダムは自ら桜の木の幹に触れ、やがてその幹を抱いて涙を流した。
 「この木はお前の力で何とかならないのか?」
 「わたくしは、何も無いところに何かを生み出せる訳ではないのです。大地が、植物たちが、生きようとするのをほんの少しお手伝いするだけ。
この木は、自ら枯れることを選びました。もう、自分がセダム様にしてやれることはないと悟ったのです。」
 カリンの言葉にサダムが振り返る。
 「自ら…枯れることを選んだ?」
 「セダム様は、森に火をつける前、下見にいらしたのではないですか?」
 「あ…。」
 「その時、桜の木は知ってしまったのです。自分がこれ以上セダム様にしてやれることは無いのだと。それどころか、自分がセダム様の命を救ったせいで、仲間の木が燃やされてしまう。それを憂いて、自ら命を絶った。」
 「ああ…。私は…なんと愚かなことを…。」
 「桜は、それから燃えた樹々たちも、セダム様のことを恨んではいません。森はいつでも、全てを受け入れています。
 ですからセダム様、きちんと罪を償って、これからは同じ過ちを繰り返さぬよう…などと、わたくしが偉そうなことを言える立場ではないのですが、お辛いことがあったら、何かにぶつける前にご相談ください。」
 「はい…。」
 再び桜の方を向いて俯いたセダムが、何かに気が付いたかのように小さく声を上げた。そのまましゃがみ込んで桜の木の根元に触れる。
 「カリン殿、これ…。」
 カリンも同じようにセダムの隣に膝をつくと、枯れた桜の木の根元、セダムの手の先に、小さな黄緑色の新芽があった。
 「これは、桜の芽ですか?」
 そっと新芽に触れると、微かな微かな声が聴こえた。
 サクラサクラ…。
 カリンの目から自然と涙が溢れる。
 「カリン殿?」
 「そうです。桜です。ああ…良かった…。本当に良かった…。」
 カリンの涙を受けた新芽の間から、新しい葉が幾つか顔を出した。それを見たセダムが驚きの声を上げる。
 「これが…カリン殿の力…。」
 カリンは涙を拭ってセダムに笑顔を向ける。
 「いえ、これはセダム様のお力です。私ひとりではどうにもできませんでした。本当に有難うございます。」

 木の洞のトンネルと抜けて森の主の広場へと足を踏み入れた二人は、今度は声を失った。
 「主様こんにちは。」
 「カリンよ、今日は面白い者たちを連れて来たなあ。」
 事前に話をしてあったにもかかわらず、ユウガオとセダムは黙ったまま互いに顔を見合わせて、広場の中央にある大きな樹を見上げる。
 「桜は、生きる気力を取り戻してくれました。」
 「そのようだなあ。礼を言おう。」
 「お礼は、セダム様に。」
 「そうじゃなあ。…小さき者よ。よく、頑張ったなあ。」
 セダムは戸惑ったような表情でカリンを見る。
 「大丈夫です。普通にお話しなさってください。」
 「はい…。あの…。私はお礼を言われるのではなく、責められる立場にある者です。大切な森を燃やしてしまった。桜の木も、私のせいで枯れてしまった。本当に申し訳ありませんでした。」
 「謝ることはない。全ては、そうなる宿命さだめだったものじゃ。森は燃え、灰は土に還る。そうしてまた新たな命が生まれるのじゃろう。桜の木も、あれはこの王国で最後の二本のうちの一本じゃった。一本になってしまったら種もできん。もう、無くなると思うておったが、そなたのおかげで、もしかしたらまたそこいらで桜の木が生まれるようになるやもしれぬなあ。そなたもこうして生きておる。結局、失われた物など何もないではないか。いや、もっと長い時間の流れで見ればな、いつか皆土に還るのじゃよ。それが、少しばかり早くなったり遅くなったりするだけのこと。全てはあるがままじゃ。ただ…」
 「ただ?」
 「魔物は人の心から生まれる。それだけは憶えておくが良い。」
 「まものは…ひとの、こころからうまれる…。」
 カリンは驚いていた。アルカンの森の主がこれほど雄弁に語ることは珍しい。魔物は人の心から生まれる。それはカリンが、これまで読んだ書物や森の主との話から何となく推測していたことであったが、森の主は、カリンに対しては明確な回答をくれたことがなかった。
 いや…これはカリンに聞かせるための話もであるのか。
 森の主の話を中断したくなくて、カリンは黙ったまま気配を消していた。森の主は、そのまま今度はユウガオに語りかけ始める。
 「ほっほっほ。そちらの男は実に面白いのう。カリンが随分世話になっておるなあ。」
 「お。やっぱり分かるのか。いやあ、まあ、カリンと居ると面白いので。」
 「そなたも、ようく頑張っておる。」
 「いや…俺はそれほどでも。」
 「森は、森を訪れる者たちを、よく見ておるのじゃ。また、たまに姿を見せてやると良い。」
 「ああ…そうだな。たまに来てみるのも悪くはない。」
 「良い出会いであったな。」
 「また、いつか会えるんですか?」
 「そうじゃなあ、そなたが本当に必要とする時には会えよう。そういうことになっておる。」
 「甘くはないってことだな。」
 「ほっほっほ。そうかも知れぬなあ。」
 森の主は愉快そうに笑い、カリンに声を掛けた。カリンはいつものように森の主の幹を抱き、別れの挨拶をする。
 主様、ありがとう。ゆっくりお休みください。

 森の主の広場を後にして、「薬草の実地研修」をすべく森の中を歩きながら、ユウガオは上機嫌で話し続けた。
 「いやあ、しかし本当に樹が話をした時には驚いた。」
 「ユウガオさん、驚いたのはわたくしの方です。今日の主様はとても雄弁でいらっしゃいました。」
 「気に入られたかな。」
 「森は好き嫌いを判断してはいけないそうですよ。」
 「ふうん。それじゃあ、話すことがあったってことか。」
 「はい。ユウガオさん、以前はよくアルカンの森へ?」
 「あれだ。薬草の勉強をしている時に、やはり実物を見なくてはと思って良く通ってた。城に入ってからはあんまり来なくなって、受付になってからはさっぱりだ。久しぶりに来ると、やっぱりいいな。」
 「では主様は、その頃のユウガオさんをよくご存じなのですね。」
 「それはなんだか恥ずかしいな。あんまり言うなよ。」
 「うふふ。申し訳ありません。」
 カリンは、飄々とした振る舞いの裏側で、森へ通い必死に薬学を学んだのであろう若き日のユウガオを想像して、微笑ましくも、少し切なくもなった。
 そして今、同じように、教わった薬草のひとつひとつを復唱し、真剣な顔でメモを取りながら歩いているセダムを見て、頼もしくも、やはり少し切なくもなるのだった。
 アオイもまた、過去の過ちを乗り越えて医術の道を進んでいる。
 かつて自分に失望して、森へ閉じ籠ってしまおうとした自分の幼稚さと情けなさを思う。
 愚かな自分は、またいつか取り返しのつかないような失態を犯してしまうかもしれない。それでも、それを乗り越えて前に進まなければならない。そんなことを教えてもらった気がした。

 アグィーラから戻り、久しぶりに連れて来てもらったイヌワシの岩からは、黒っぽいアルカンの森が見えた。あれを癒すのに、どのくらいの時間がかかるだろうか。
 「ローゼルは、イベリスにはいつ話すって?」
 「レフアの誕生祭の時。」
 「そうか。まあ、ローゼルの気持ちさえ固まっていたら、契約も何もないんだけどね。」
 「そうね。」
 ユウガオたちとアルカンの森へ行って戻ると、ヨシュアの家でローゼルが待っていた。新しい馬の馬具を厩舎で試した帰りに寄ったのだという。
 カリンと二人で話がしたいならば合理的な判断だが、自らの工房で王配の相手をさせられる馬具職人の気持ちにもなってあげて欲しいと、カリンは可笑しくなった。当のヨシュアは、ローゼルと馬の話で盛り上がり、あまり気にしてはいなかったようだが。
 そうしてカリンはローゼルから、契約解消の話を聞いた。
 レフアのことを、家族として大切に思えるようになったのだと、ローゼルは話していた。レフアにとっても、そしてローゼルにとっても、それはとても喜ばしいことだと思う。
 もしかしたら自分がおかしな小細工をしなくとも、いつかこうして時間が解決してくれたのかもしれない。
 大きな時間の流れの中で…
 ここ暫く、森の主との話や、様々な問題の解決と共に感じることだ。
 大きな時間の中では、取るに足らないこと、あるいは当たり前のことなのに、視野の狭い自分は、小さな時間の単位で問題を解決しようと奔走してしまう。時に他人を傷つけ、自分も傷つきながら。
 「この間、ここで隼と話をしたんだよ。」
 「あの、レンを助けてくれた隼?」
 「そう…。あ、お礼言うの忘れた。」
 「きっとまた会えるわ。」
 「そうだね。のんびり行こうって、シヴァさんも言ってた。」
 「のんびり…か。」
 「カリンが苦手なやつだよね。」
 「そんなことないわ。」
 言葉では否定しつつも、心では肯定していた。そう。自分は先を急ぎ過ぎるのかもしれない。
 「はい。」
 そう言ってレンが手を差し出した。
 カリンは首を傾げる。
 「言っただろう?カリンがまた一人で遠くに行きそうな時には、追いかけるのが大変になる前に掴まえるって。」
 「ふふ。そうだった。」
 カリンはレンの手に自分の手を重ねる。
 人柱の夢。
 あれも、大きな時の流れがカリンに見せたものだったのだろうか。
 そういう意味では、カリンが運命を変えたのではなく、レンたちは元々生きる運命だったのだ。あの夢が、今を連れてくるためだったのだとするならば、それはそれで、悪くないのかもしれない。
 今回の夢は、カリンにそれを気がつかせるため?
 そう考えてから、カリンは心の中で小さく笑う。「今」すら通過点だ。いつだって「今」を基準に意味づけしたくなってしまうのが人間…いや、自分という人間なのだろう。
 仕方がない…。
 レンと手をつないだまま、イヌワシの岩の先端まで歩く。
 いつでも「今」に翻弄されながら、それでも生きてゆこう。
 いつかの「今」から見た今が、少しでも良いものになるように。
 傍に居る誰かの「今」を少しでも良いものにできるように。
 先程とは打って変わって、レンと手を取り合って眺めたアルカンの森の黒は、夕日に映え、まるで原始の大地のように、生命に満ち溢れ力強いもののように、カリンには感じられたのだった。


-物語の欠片 象牙色の城郭篇- 了

カリンとレンの物語は「朱鷺色の黎明篇」に続く


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