物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 15 アキレアの話
-アキレア-
「族長!またこんなところに大切な書簡を出しっぱなしにして。わたくしに悪意が無いから良いものの、盗もうと思ったら簡単ですよ。」
「わっはっは。いや、面目ない。すぐに片づけよう。」
部屋を掃除している使用人に叱られ、アキレアは長椅子に置きっぱなしになっていた書簡を文箱へ仕舞う。
それはポハク族族長パキラからの書簡だった。
ポハクとは、少し前に鉄鉱石にまつわる契約を交わした。パキラは定期的にそれに関する報告を寄越す。案外律儀な男だ。
アキレアは他の三人の族長の中でパキラが最も苦手だった。
エンジュの考えていることはさっぱり分からないが、その能力は確かで、いつもそれとなく便宜を図ってくれる。
エリカはエンジュに対しては何故か当たりが強いが、アキレアのことは眼中にないようで、特に無理難題を押し付けられることもない。
パキラは心根は真っ直ぐな男だ。それは分かる。しかし表現は何処か歪んでいて、皮肉に満ちている。アキレアはいつもその解釈に困ってしまうのだ。
例えば先程の使用人は、アキレアを叱りながらもその根底にはアキレアへの忠誠心と愛情がある。それは理解できる。
しかしパキラのそれは、もう一段階歪んでいるように思う。
口調はいつもきっぱりして、やりたいことは分かりやすい。しかしその奥に、アキレアはパキラの本心を見ることができないで居る。
先日の鉄鉱石の一件に関しても、ポハク族の悪事が分かると即座に自らアヒへやってきて、過去の一切のアヒ族の損益を補填することを約束した。アヒ族にも非があったにも拘らず、そこには一切触れずにである。
アキレアが自らの気持ちを整理する前にそれをやってのけてしまうものだから、アキレアとしてはそれがパキラの優しさなのか、はたまたアキレアの無能を内心嘲笑っているのか区別がつかない。
しかし解っている。それはアキレア自身の自信の無さの裏返しでもあるのだということを。
使用人が部屋を出て行くのと入れ替わりに、ツバキが部屋へ入ってきた。手に、冷たい茶の乗った盆を持っている。
「舞の稽古は終わったのか。」
「ええ。後はネリネに任せてきました。」
ツバキは暫く大好きな舞を封印していたのだが、ポハクとの一件の後で再開した。ただし、族長補佐の仕事もあるため半日だけというのが、ツバキ本人が決めた区切りである。
「パキラがまた報告を寄越した。順調に…というか当初の予定よりも早く、賠償は済んでしまいそうだ。」
「いいことではありませんか。」
ツバキの差し出した茶を一気に半分程飲み干して、アキレアは溜息をつく。
「そうなのだろうか。」
「当初よりも早くポハク族の賠償は完了。現在はポハクとの契約は正当に履行されていて、関係も良好。アヒは以前より潤っています。何処に悪い要素があるのです?」
「どうにも、当てつけに感じてしまうのだ。償えば良いのだろう?そう言われているように思われてな。」
「考え過ぎですよ。私には、先日拝見したポハクの族長様がそのような方には見えませんでした。」
「そうか。お前がそう言うならばそうなのだろうな。」
これでも、アキレアは元はアヒの戦士だった。だから腕っぷしは強いし、身体も大きい。豪快な一面もある。しかし皆に言わせると、人が好過ぎるのだそうだ。
確かに、魔物相手ならば幾らでも勇敢に立ち向かえるが、相手が人となるとさっぱりだ。幸いというのも何だが、アキレアは魔物の多い時代の戦士であった為、任務は魔物相手が殆どだった。しかしそもそも、戦士であってももう少し楽で危険性も低い任務もある中、進んで魔物相手を選んでいたことも、他の者から言わせれば人が好いからなのだった。
ツバキはそんなアキレアのことをよく見ていた上で、配偶者に選んでくれたのだ。アキレアは純粋に火鎮めの巫女であるツバキの舞が好きだったから、有頂天になった。
その後、巫女としても人物としても優秀だったツバキは、当時の族長から火の化身の候補に推された。貴重な巫女を国へ差し出すことに村から多くの反対意見が寄せられたが、代わりに行こうとする者は誰も居なかった。だからアキレアが手を挙げた。決して自分にその能力があると思ったからではなかった。
族長になったのも偶々だ。カリンの言ったとおり「火の化身として知名度が高かった」からかも知れないし、アキレアなら断らないだろうという村人の期待からだったかも知れない。とにかくアキレアは、神輿に上げられるがままに族長になった。
しかし族長を受けるに当たって、ひとつだけ心に決めていたことがある。
立派な族長である振りをするのは止め、村人の前では常に真っ直ぐで豪快な人物であろうということだ。魔物相手の戦士だったころのように。
自分には複雑で多種多様な問題をうまく切り抜ける頭は無い。ただ、問題には正面からぶつかり、失敗もさらけ出し、堂々と村人の助言を受け入れる。自尊心は二の次だった。
その心掛けは成功しているように見えた。多くの村人が「まったく族長は仕方がないなあ」と笑いながら手を貸してくれる。
本当に難しい問題は、ツバキが共に考えてくれた。ツバキは自分よりもずっと賢いのだ。本来ならばツバキが族長になった方が良かったのだろう。しかし次第に、これはこれでひとつの在り方だと考えられるようになった。
普段は豪快な性格だが、要所要所ではきちんと意思決定をするアキレアを、村人はそれなりに尊敬してくれているように思う。
族長としてのアキレアの生活に暗雲が立ち込め始めたのは、現上皇が種族の壁を取り払いたいと宣言してからだ。
それにより問題が更に複雑化するとともに、アキレアのことを笑って許してくれる村人だけを相手にしているわけにはいかなくなった。
それまであまり話をする機会の無かった他種族の族長とのやり取りも増えた。やりとりが書簡であるうちは、ツバキの力も借りて考える時間があるからまだいい。しかしこの間のように直接目の前に来られては、ぐうの音も出ない。
ふとアキレアの頭の中に、一晩酒を酌み交わしたイベリスの顔が浮かぶ。
パキラと笑い方がよく似ていたが、イベリスの場合、そこにその心根が透けて見えた。だから安心して話をすることができた。うっかり、パキラが苦手なことも話してしまったくらいだ。
「解る気がします。」
大笑いした後でイベリスはそう言った。随分と呑んでいたが、酔っているようには見えない。アキレアも久しぶりに楽しく酒を呑んでいた。
「そうかそうか。解ってくれるか。うっかり口を滑らせたと思ったが。」
「私自身、本当のところ父が何を考えているのかさっぱり分からないことも多い。でも…。」
「でも?」
「でもまあ、信頼しています。そこに行きつくまでに随分かかりましたが。」
「そうか。私にもすっかり成人して独り立ちしている息子が二人居るが、そういえば互いに信頼している云々など考えたことも無いな。自由にやっておる。」
「私たちは、一般的な親子とは少し違いますから。それに、アヒ族は族長が世襲制ではなく投票制ですから、族長の息子とはいえ自由なのかも知れませんね。」
「ふむ。」
「勿論アキレア殿のお人柄もあるでしょう。…そういえば…。」
イベリスは少し考えた後、何かを思い出したようにくつくつと笑った。
「何やら楽しそうだな。」
「はい。…族長の皆様が上皇と共にアルカンの中の森へ行った時のことを憶えていらっしゃいますか?」
「おお。憶えておるとも。あれは忘れられん不思議な体験だった。」
「戻って来た時、父は本当に不機嫌そうな顔をしていた。」
「ほう。」
「不機嫌は素直に顔に出るんだなと思いました。先日アヒから戻った際にはそんな事は無かった。つまり、父は少なくとも不快ではなかった。…あれ?論点がずれたかも知れません。父が不快云々ではなく、何を考えているか分からないという話でした。」
しかしそれを聞いてアキレアは大きな声で笑った。イベリスは一瞬不思議そうな顔をしたが、直ぐに照れたように頭を掻いた。
「いやいやイベリス殿、違うのだ。イベリス殿の言うとおりだ。私は何故かパキラの機嫌を窺っておったのだな。」
「…ああ。アキレア殿は、目の前の人が不快になることが苦手なのですね。いつもそれを考えて人の相手をしておられる。」
「どうやらそうらしい。…だから、パキラような態度をとられると、どうして良いか分からなくなるのだ。」
「それは…。」
イベリスはお手上げというように両手を上げると、にやりと笑った。
「まあいい。次からは、イベリス殿の言葉を信じて、パキラは不快ではない不快でないと心で念じながら相手をすることにしよう。」
「ははは。そりゃあいい。」
「パキラには秘密だぞ。」
「勿論です。では此処に、誓いの盃を。」
「わっはっは。お主は本当に面白い男だなあ。」
ひと月後には城で王の生誕祭が催される予定で、アキレアはネリネと共に招待を受けていた。おそらくパキラとイベリスも来るだろう。パキラと直接顔を合わせるのは鉄鉱石の事件以来だ。
たまにはパキラと腹を割って話してみようか。
アキレアの中に珍しい考えが芽生える。
そういえばエンジュとはフエゴ火山の噴火の際に二人きりで散々話をしたが、パキラとじっくり話をしたことはこれまで無かったように思う。
気後れしてそのような気持ちにならなかったというのもあるが、それが無いからいつまでも理解できないのだと言えなくもない。
鶏が先か卵が先かという奴だ。
翌日、朝食の際にツバキに話すと、そうしなさいな、とすぐに同意された。
そうなったらそうなったで、妙な緊張感が生まれる。ツバキに約束してしまったら、それを果たさずにはおられないという、これまたひとつのアキレアの性質である。
「そんなに難しく考えなくても良いのではないですか?」
ツバキがくすくす笑う。
「しかしなあ。」
「無理はしなくて良いのですよ。ポハクの族長様もお忙しいでしょうし、機会があったらで。私は貴方が何もせずに戻ったって責めはしませんし、また次の機会もあるでしょう?何ならこちらへお招きしたらどうです?」
「そ…それは…。」
「うふふ。冗談ですよ。まあ気楽になさいなさいな。そうだわ。イベリス殿もご一緒なのでしょう?まずはイベリス殿にお声を掛ければよいではないですか。イベリス殿はよく気の付く方だとお見受けしましたよ。きっとうまく便宜を図って下さる筈です。」
「おお。なるほど。それは名案だ。」
「もしくはネリネね。」
「ネリネか。」
「あの子は物怖じしないし、ポハクの族長様と気が合いそうだわ。」
「そういえば、パキラのことを格好良いと言っておったな。そうかそうか。段々気が楽になって来たぞ。」
「その調子です。…それよりも、ワイの動向が気になりますね。」
「ワイというと、先日書簡使が言っておった大きな建物のことか。」
「はい。どうやら医院のように見えたと。」
「そうだなあ。エリカ殿ならやりかねんな。」
「生誕祭の際にひと悶着ないとよいのですが。」
「祝いの席だ。さすがのエリカ殿も弁えておるだろう。」
「そうですね。」
少なくともフエゴにはあまり影響は無いだろうとアキレアは考えていた。ワイの町に大きな医院を作って人を誘致する。そうなれば当然フエゴからも多少は人が流れるだろうが、そもそも種族の壁が撤廃された際、アキレアはフエゴとしては特に制限をかけないことを決めている。
フエゴよりエルアグアの方が暮らしやすいと思う者は移住すればいいと思う。アキレアは、このアヒの村を、なるべく暮らしやすいように保っていくだけだ。
アヒの村は現在、鉄鉱石の収入で潤っている。そのおかげで、前回の噴火以来懸念事項だった地下道の再整備も進んでいる。万が一の場合の復旧への備えも十分だ。
古くから続いている火山灰を利用した農業も、少しずつ範囲を広げている。魔物が居た時期よりも人口は安定し、戦士の労力も魔物相手というよりは土木や農業に重きを置いていた。
現在の村の規模が、それなりの生活水準で保てればいいというのがアキレアの考え方だ。
もし、それより野心の強い者が居るならば、族長を譲ればいいと考えていた。勿論アヒの村の場合、アキレアよりも多くの票を獲得しなければ族長交代はできないのであるが。
そうなったなら、自分の役目は終わったと考えるしかない。
そしてそれは寧ろアキレアの望むところでもあった。
朝食を終えるとツバキは舞の稽古のために舞殿へ行き、アキレアは外へ散歩に出る。ゆっくりと村を回りながら、時折誰かと立ち話をする。稀に店や家に招かれることもあり、気が向けば茶を飲みながら少しゆっくり時を過ごした。そうしていると、だいたい村の様子が分かる。
商売のうまく行っている店とそうでない店。作物の出来具合。村人同士の人間関係、各家庭の様子。中には、誰かが漏らしていたアキレアへの不満を進言してくれる者も居る。複雑な戦略を練るのは得意でないため、アキレアはこうして日常の会話の中から問題を抽出し、少しずつ調整してゆくようにしていた。
些細な諍いならば、大抵の者は「族長が気にかけてくれた」というだけで満足し、意外に簡単に収まるものだ。
特別な面会の予定がない限り、アキレアは午前中いっぱいをこの散歩の時間に当てていた。
日光を遮るものがないラプラヤ程ではないと思うが、火山に囲まれたフエゴの夏は暑い。午前中とはいえ、散歩を終える頃にはじっとりと汗をかいているので、昼食前にぬるめの湯か水を浴びる。
午後はツバキが戻ってくるので、重要な問題について話し合ったり、苦手な書類の処理をしたりして過ごす。
村人たちはアキレアの予定を知っている為、午前中は余り面会には来ず、寧ろ自分の家の前をアキレアが通りかかるのを待っていたりする。
アキレアのこの生活は、他に族長をやりたい者が出てくるまで続くのだろう。
先代の族長は結局死ぬまで族長だった。亡くなる数日前、何かを察したかのように、次の族長の投票を行うようにと指示をし、結果を待たずに亡くなった。アキレアが着任するまでの間は族長補佐をしていた息子が事務作業を引き受け、アキレアはその息子から引き継ぎを受けたのだ。
その頃はフエゴのことだけ考えていれば良かったから引継ぎも簡単だった。今はどうして良いやら分からない。
しかし、自分がやっている程度のことは、きっと次の者もできるだろう。順当にいけばネリネだろうか。そうであるならば、今の時点であっても自分よりも余程立派な族長になる。
何も心配する事は無い。
「アヒは良い村だなあ。」
思わず声に出してそう言うと、偶々近くに居た村人が笑う。
「族長は暢気だなあ。」
「族長が暢気で居られる場所が、他にあるか?」
「さあ、私は他の場所は知りません。」
「絶対に無いと私は断言できる。」
「そうですか。じゃあ、良い所なんでしょうよ。」
「わっはっは。村人様様だな。これからもその調子で頼む。」
「はいはい。族長もお身体に気をつけて。」
「任せておけ。丈夫なだけが取り柄だ。」
勿論アヒにも争いごとや、利権の奪い合い、ちょっとした出来心の犯罪は沢山ある。先日の鉄鉱石の一件もそうだ。密かにポハク族と手を結び、利益を得ていた者が居た。
それでも、アヒはいい村だとアキレアは思っていた。
抜けるような青空の下、村人たちの挨拶に応えながら、アキレアは今日もアヒの村を歩く。村の奥にはうっすらと煙を吐くフエゴ火山が見えた。
散歩が仕事だと言ったら、他の族長はどんな反応を見せるだろう。
想像していたら愉快になり、アキレアの足取りはますます軽くなるのだった。
