物語の欠片 象牙色の城郭篇 13
-カリン-
神殿に忍び込むひとつの影。
影は、真っ直ぐと祭壇へと向かった。そして祭壇でしばし佇む。そこに置かれている四つの石を眺めているのだろうか。
次に影は、懐から袋を取り出した。その中から出てきたのは、やはり四つの石だった。
影は再び少しだけその場に佇んだ後、元々祭壇に置かれていた石を袋に仕舞い、袋から取り出した方の石を、元あった石と同じような並びに整えた。
「アオイ様」
カリンが思わず声をかけると、影の動きが止まった。
「アオイ様、いけません。そんなことをしても、闇はアオイ様の思い通りにはなりません。闇に、心を売っておしまいにならないでください。」
カリンはいつの間にか影のすぐ後ろに立っていた。
躊躇いがちにその肩に手をかける。
影がゆっくりと此方を振り返った。
そこには、セダムの柔らかく微笑む顔があった。
目が醒めると、カリンは身体を小さく縮こまらせて、ぎゅっと手を握っていた。強く握りしめた手に痛みを感じる。
人柱の夢とはまた違う恐ろしさで、身体を動かすことができない。酷く喉が渇いている。みずがのみたい…。
窓の外を見ると、夜が白み始めていた。ああ、そろそろ起きて仕事をしなければ。重い身体を引きずるようにしてキッチンへ向かう。途中で椅子にぶつかり、かたりと音を立てた。しまったと思ったがもう遅い。遅いと思ったついでに、そのままその椅子に腰を下ろし、テーブルに突っ伏した。案の定すぐにヨシュアが音に気がついて寝室から出てくる。
「どうした?」
「みずがのみたい…。」
カリンの掠れた声を聴いたヨシュアは、それ以上何も言わずに水の入ったグラスを持って戻ってきた。
「ありがとう。」
精いっぱい微笑んで水を口に含むと、それはそのまま涙になってカリンの目から溢れ出てきた。
ヨシュアはそっと隣の椅子に腰を下ろした。
「夢を見たのか。」
「あの夢ではないの。でも…。」
「いいよ、無理に話さなくて。」
カリンは黙って頷いた。
予知夢ではあり得ない。次に貴石が生まれるのは三百年後だ。あれは、昨夜セダムの過去に捕らわれたカリンの頭が、記憶の中のアオイと混同して創り出した幻想だ。なんてひどい筋書きだろう。
先日マカニで見た夢も、結局のところカリンの頭が創り出したものなのかもしれない。以前見ていた夢をただ久しぶりに思い出しただけ。何かきっかけがあったにしても、昔のような予知夢ではあり得ないのだ。
自分が今はしあわせな場所に居る。そのことを確認するためだけに見た夢だったとしたら、自分は何と浅はかなのか。
「朝食、食べられるか?今日も忙しいんだろう?食事くらいきちんと摂った方がいい。」
「私が作るわ。」
「無理するな。」
「やらせて。…気分を変えたいの。」
「そうか。それじゃあお願いしよう。俺の希望は、卵は目玉焼き。ベーコンも忘れないように。パンの好みは分かるだろう?果物は任せる。お茶は今回カエデ殿が持たせてくれたやつが良いな。憶えられるか?」
「ふふ。今朝は贅沢ね。」
「俺も今、大きな仕事をひとつ任されているんだ。朝食は大切だよ。」
「ローゼルの新しい馬の馬具ね?馬は決まったの?」
ローゼルが長らく乗っていたナギは、かなりの高齢であるため最近引退が決まり、新しい馬を選んでいる最中なのだと聞いていた。そういえば今回カリンはまだローゼルと顔を合わせておらず、その後の話を聞いていなかった。
「ああ、つい先日な。セイランという名の立派な青毛の馬だよ。さすがローゼル殿下。馬具なしで見事に乗りこなしていらっしゃった。」
「ヨシュアさんはもう会ったのね?厩舎に居るの?ユッカさんにお願いしたら会わせてもらえるかしら。」
「ははは。元気が出て来たじゃないか。お前には馬の話が一番だな。」
「うん。…ヨシュアさん、有難う。」
立ち上がってヨシュアの肩に顔を埋めると、ヨシュアは優しく頭を撫でてくれた。
「朝食、やっぱり俺が作ろうか?」
「ううん。今回ヨシュアさんにお願いしてばかりだもの。私が作る。」
「分かった。じゃあ楽しみに待ってるよ。」
ヨシュアの家は厩舎から近い。カリンはどうしてもセイランに会いたくて、寄り道をすることにした。ユッカによるとセイランが厩舎に来たのはつい三日前のことらしい。カリンがヨギリを借りてアルカンの森へ行った日だ。あの日は急いでいたので、ユッカとゆっくり話をする時間が無かった。
セイランはローゼルの好みの馬らしく、大きく精悍な馬だった。瞳にも威厳がある。ナギによく似ているが、ナギよりも気性が荒そうだった。ローゼルの選んだ馬を見てカリンは微笑ましい気持ちになる。ローゼルはやはり王配になってもローゼルだ。
セイランに挨拶させてもらっている間に、カリンの気持ちはすっかり落ち着いた。
落ち着いたところで、ディルから聞いた傷ついた木の一本が、厩舎の裏の雑木林にあるのだという話を思い出した。ひとりでは行かないとレンに約束したが、ユッカと一緒ならばどうだろう。試しにユッカに、その木を知っているかと尋ねてみた。
「知っているも何も、それを見つけたのは俺だ。」
「そうだったの。それなら話が早いわ。あのね、その木の傷を治してあげたいのだけれど、ユッカさん、案内してくれる?」
「構わんが、お前は本当に変わらんなあ。どんな馬でもすぐに仲良くなるし、おかしな事件に関わってばかりだ。」
「みんなに言われる。」
他愛のない話をしながら案内してもらった木を見て、しかしカリンは絶句した。これまでの木とは比べ物にならないほど傷が多い。
「な?酷いだろう?ここの雑木林は厩舎にとっては大事な財産なんだ。まあ普段はほったらかしているがな。いざという時にはここの木が役に立つんだよ。それをこんなにしやがって。これが、治るのか?そういえば俺はお前の力を間近で見るのは初めてだな。」
これだけ傷ついた木は、ひとつひとつ傷を癒したのではきりが無い。カリンは、いつもアルカンの森の主にするように、木の幹を両方の腕で抱いた。そして祈る。どうか、この子の傷が癒えますように…。
カリンの身体全体が緑色の光に包まれ、やがてその光が木を包む。ユッカが、おお、と声を上げた。
しかしその瞬間、カリンの中に、恐ろしい映像が流れ込んできた。
これは、世界が闇に包まれている時の映像だ。辺りが酷く暗い。月明かりも、星の灯りも見えなかった。その闇の中で、魔物の標的にならぬよう間引かれた街灯は、あまりに頼りなかった。闇の中に人々の悲鳴が響く。アグィーラに魔物が押し寄せているのだ。ぼんやりとした映像が次第に像を結び、カリンの目の前で、ひと組の家族が魔物に八つ裂きにされた。
男とも女ともつかない鋭い叫び声が長く長く尾を引いて、そして唐突に途切れた。世界は暗転する。
そこに、恐ろしい笑い声が響き渡った。
「カリン、おい、カリン!」
気がつくと、ユッカが心配そうな顔で覗き込んでいた。カリンが反応したからか、ほっとしたように少し表情が緩む。
「ユッカさん、私…。」
「いや、なんだか神秘的な緑の光が出てきたまでは良かったんだがな、あっという間にそれが消えてしまって、お前は突然その場に倒れたんだよ。何が起こったんだ?」
「…分からない。木に、拒絶されたのかもしれない。」
「そんなことがあるのか?」
「…分からないの。」
「まあいい。無理することはないさ。とりあえず今日の所は引き揚げよう。立てるか?」
「うん…。」
ユッカに支えられながら立ち上がると、特に身体におかしなところはなかった。心だけがまだふわふわしている。
闇が解放された日の映像。
今朝の神殿の夢。
マカニで見た人柱の夢。
やはり繋がっているのだろうか?それとも、それを創り出しているのは、全て自分の頭なのだろうか。
これはレンとの約束を破った罰だ。
その証拠に、ユッカと別れて城へ向かうと、中庭の入口でリリィたちと遭遇した。厩舎へ寄り道しなければ、カリンはすでに考古学室に入っているはずだった。自分の身から出た錆だ。
先日と同じように、リリィと目を合わさないようにして道を譲る。
しかし意に反して、リリィの隣に居たセダムがカリンに近づいてきた。リリィの表情が厳しくなるのが目を合わせていなくても感じられた。
「カリン殿、おはようございます。お顔の色がすぐれぬようですが大丈夫ですか?」
「おはようございます、セダム様。お気遣いいただき有難うございます。わたくしは大丈夫ですのでどうぞお気になさらないでください。」
「医務室までお付き合いしましょうか?」
「いえ、あの…。」
「セダム!何をしているの。その子は大丈夫よ。薬師なのだから自分で何とかするわ。」
「しかし母上…。」
「セダム様、リリィ様の元へ。お早く。」
カリンが小声で囁くと、セダムは状況を把握したのか、同じく小声でカリンに謝罪するとリリィの元へ戻って行った。
その謝罪の言葉が、カリンの胸に小さな棘として残った。
セダムは悪くない。謝らせてしまったのは自分だ。この後、セダムはリリィに叱られるかもしれない。自分の欲求を満たすために厩舎に寄ったせいで、セダムに迷惑をかけた。それなのに、あのような態度しか取れなかった自分が情けなかった。
最悪な気分で考古学室の扉を開けたカリンに、ジニアの笑顔と朗報が飛び込んできた。悪いことがあれば少しは救いもあるものだ。
「ランタナ様のお気持ちが軟化したようで、紛失した文献を復元できるならばお咎めは無いことになった。再発防止策は当然提出させられるがな。だから復元には時間がかかっても構わない。急ぐ必要はなくなったよ。」
「本当ですか?ああ、良かった。本当に良かった。」
「雰囲気からすると、おそらく王族のどなたかからもお口添えがあったように思うが、それを含めてカリンにはいくら感謝してもしきれない。」
考古学室の手伝いをすることになった後、直接レフアともローゼルとも会話はしていないが、カリンの動きは当然耳に届いているだろう。
少なくともジニアの役には立てたのだ。少しだけ気持ちが軽くなる。傷ついた木のことも気になるが、急ぐ必要は無くとも、今は文献の復元に全力を尽くそう。漸く気持ちがそちらへ落ち着き、カリンはペンを手に取って空白の紙に向き合った。
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