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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 4 マオの話

-マオ-

 朝早く、ひとりで布を織っている時間が、何よりの贅沢だった。
 シュロが生まれて間もない頃は、寝室にひとりにしておけなかったので、こんな時間を持つことはできなかった。
 村の女たちが代わる代わる手伝いに来てくれたおかげで、赤子の世話が大変だと感じたことはなかったが、中々ひとりで布を織る時間が持てないのが辛かった。
 シヴァが非番の日はよく面倒を見てくれたので、シュロをシヴァに任せて少しずつ布を織った。カリンが早めに仕事を切り上げて手伝いに来てくれた時もあった。その時もカリンの言葉に甘えて仕事場に入った。そうしてなんとか、シュロがあまり手のかからないくらいにまで成長した。
 最近はシュロがマオの造る布に興味を持ち始めたので、日中も時折一緒に仕事部屋に入る。ただしその時はシュロのペースが優先だ。
 夏は日の出も早いので、朝の光の中で仕事をすることができる。マカニ族が皆好きなマカニの夏が、マオもやはり大好きだった。
 シヴァが起きてくる時間になると、仕事部屋から出て朝食の支度をする。仕事の日も非番の日も、シヴァの起きてくる時間はほとんど変わらない。
 シヴァを送り出すと、後はシュロの機嫌次第だ。天気が良ければシュロを背中に乗せて空の散歩もした。シュロはまだ四歳なので、翼を使う訓練も始めていない。しかし、こうやってシュロを背中に乗せて飛ぶのも、あとニ、三年のことだろう。
 子供の成長は本当に早い。その時その時を大切にしたいとマオは思う。

 「カリン、カエデさーん。」
 診療所の扉を開けると、マオが口を開く前にシュロが駆け出す。
 「おはよう、シュロ。」
 手前に居たカエデがシュロを抱き止めて挨拶をする。シュロも元気に、おはよーと返す。
 シュロはカリンのこともカエデのことも大好きで、よく診療所へ遊びに行きたいと言う。以前は気まぐれだったのだが、最近はカエデが午前中だけ診療所に居ることが多いと理解できたらしく、朝一番にねだることが多い。
 仕事の邪魔をしてはいけないと思いつつも、二人とも快く迎えてくれるので、結局甘えてしまう。
 「お茶を淹れようか。」
 「うんっ。クッキーもある?」
 「シュロ。さっき朝ご飯を食べたばかりでしょ。」
 これもいつものやり取りだ。それを見てカリンがくすくす笑うので、マオは困った表情を返した。
 「じゃあ、一枚だけだよ。」
 「はーい。ねえ、お茶を淹れるのを見ていてもいい?」
 「いいよ。それじゃあ、一緒に行こう。」 
 カエデとシュロが手を繋いで去るのを見ながら、マオはカリンに話しかける。
 「いつも悪いわね。」
 「構わないわ。マカニ族は基本的に身体が丈夫だから、特に夏はそんなに忙しくないの。冬は体調を崩す人とか、怪我する人とかも増えるけれど。」
 「貴女は相変わらずお城の仕事もしているんでしょう?」
 「うん。でもそちらも順調。」
 「それなら良かった。」
 「あ、この間シヴァさんが来たよ。傷、もう大丈夫?」
 「あの大雨の日でしょう?そうなのよ。ひとりで外に立ってぼうっとしてるから何かと思ったら手から血を流してるじゃない。驚いたわ。あの人は私が訊いても傷なんて無いくらいの感じで返してくるから、本当の所はよく分からないけれど、不自由はしてなさそうよ。」
 「うふふ。シヴァさんらしいわ。でも、不自由していなさそうならば良かった。」
 程なくしてカエデがお茶を運んでくる。シュロは、クッキーが一枚乗った小さな皿を恭しく大切そうに持ちながら、カエデの後に続いて戻ってきた。
 「シヴァの傷は、大丈夫そうだよ。」
 マオの前にカップを置きながらカエデが言うので、マオは驚く。先程の話を聞いていたのだろうか。
 「あ、カエデさん、夕方に診てくれているのね?」
 マオの代わりにカリンが尋ねたので、マオは、何故先程話していたことが解ったのかと訊く機会を失った。
 カエデはシヴァと同じ年で、マオのひとつ上だ。昔から不思議な雰囲気を持った人だった。族長の息子だということを抜きにしても、マオからはあまり気軽に話しかけられなかった。
 しかし診療所でよく顔を合わせるようになり、実際に話してみると、物腰が柔らかく気遣いが細やかで、ついつい気を許してしまうような人物だった。シュロのおかげもあるが、今ではすっかり打ち解けている。
 マオは慌てて、有難う、と礼を言った。シュロがマオの真似をして、ありがとー、というと、カエデは優しくシュロの頭を撫でる。シュロは満足そうな笑顔で、クッキーを口に放り込んだ。

 診療所の帰りに買い物を済ませ、午後はマーガレットの工房に顔を出した。出来上がった布を数枚納品し、世間話をする。以前は毎日のようにこの工房に通っていたのだ。
 マオの自宅の仕事場よりも大きな織機があるので、大きな布を織りたい場合はやはり工房でなければ織れない。
 以前カリンの婚礼衣装を造った際はここで布を織り、婚礼衣装に仕立てた。その時、マオのお腹の中にはシュロが居たのを懐かしく思い出す。忘れられない大切な時間だ。
 「シュロ、大きくなったね。」
 「えへへ。」
 「ふふ。マーガレットさん、ひと月前に会ったばかりじゃない。」
 「このくらいの子供はひと月も会わないとすぐ大きくなるのよ。」
 「シュロもだいぶ手がかからなくなったし、そろそろまた、此処にも通おうかしら。」
 「私は喜んで歓迎するよ。毎日じゃなくてもいいし、半日だっていいじゃない?ここで大きなのを造って、自宅で小さなのを造れば、今より色々造れるわ。」
 「マーガレットさん、最近はこっちが多いの?お店は?」
 「店の方はほとんどサザンカに任せているわ。今はね、布を織るのもいいけれど、とにかく染色が楽しくて。」
 「確かに、最近、色の種類が増えたわよね。」
 「カリンに聞いてね、色々試しているのよ。あの子と一緒に東の森へ行くと、森が違って見えるわ。」
 「シュロも東の森に行きたーい。」
 カリンの名前が出るとシュロが反応する。結局マーガレットは、次にカリンと一緒に東の森へ行く時は、シュロを連れて行くと約束させられてしまった。しかしマーガレットも約束させられただけでは済まさない。その代わりマオとシュロが今より頻繁にこの工房を訪れることを、シュロに約束させたのだった。また少し、生活に変化が訪れそうで、マオはわくわくした。

 大満足な一日を過ごしたシュロは、その日早めに欠伸を始めた。寝室へ連れて行き、添い寝をする。
 シュロは素直にベッドに入ったものの、興奮していたようで中々寝付かず、相手をしているうちにマオも寝入ってしまった。
 目醒めると、扉の向こうに人の気配を感じる。シヴァが帰ってきているのだろう。
 シュロを起こさないよう、そっとベッドから抜け出し、寝室の扉を開けて外へ出た。
 「お帰りなさい。」
 「ただいま。夕飯、いただいてるよ。」
 「ええ、ごめんなさい。いつ帰ってきたの?」
 反射的に時計を見ると九時半。一時限半以上も寝室に居たらしい。
 「八時半頃かな。」
 「そうなのね。寝てしまっていたわ。」
 「疲れていたんだろう。今日は何をしてた?…飲むか?」
 シヴァは食卓にあった葡萄酒の瓶を掲げて見せる。マオは、一杯だけいただく、と答え、グラスを持ってきて椅子に腰かけた。シヴァが注いでくれた葡萄酒で軽く乾杯をする。
 「今日は朝からシュロの希望で診療所へ行ったわ。その後買い物を済ませて、一度家に戻って昼食。午後はマーガレットさんの工房にお邪魔してあれこれ。最後は東の森の上空を空の散歩。シュロにとっては大満足の一日だったみたいよ。」
 「それはおつかれさま。シュロは本当に診療所が好きだな。」
 「そうなの。カリンは勿論、カエデさんにもよく懐いているわ。カエデさん、相変わらず不思議な人ね。」
 事の顛末を話すとシヴァは頷く。
 「カエデはよく他人を見てる。今日の所は、おそらく話を聞いていたわけではなくて、俺は、仮令たとえ傷が深くても家族の前では何も無いように振舞っているだろう、だからマオは俺の傷について気になっているに違いない、という推測からだろう。カエデは族長の家でも、明らかに声が聞こえない位置に居ても適切な振る舞いをする。きっと、微妙な動きや表情、その場の空気の変化を観察しているのだと思う。」
 「貴方もそういうところあるわよね。まあ、そうではないとリーダーなんて務まらないのかもしれないけれど。私には無理だわ。やって欲しいことはきちんと口にして、って思う。」
 「そこはまあ、適材適所ってやつさ。俺は特に苦ではない。お前はお前でやるべきことをやっている。感謝してる。」
 こういうことをさらりと言ってしまうのがシヴァという人だ。昔からそうだった。
 マオとシヴァは子供の頃近所に住んでいて、親同士が仲が良かったので所謂いわゆる幼馴染として育った。だから小さい頃は同世代の基準はシヴァだったのだが、みんながこんな風ではないことはすぐに知れた。
 翼の練習を始める頃になると、同世代の間でも優劣が目立ってくる。シヴァは、上手く翼を扱えない子を見つけると、さりげなく声を掛けて一緒に練習したりしていた。
 弓を習いたいのに言い出せない子を誘って訓練場へ行くこともあったし、喧嘩の仲裁に入っている場面もよく見かけた。
 シヴァが若くしてリーダーに抜擢された時、マオはシヴァ本人よりも族長の判断に感心したものだ。それぞれの場には立ち会っていなかったにもかかわらず、族長はやはりきちんと見ているものなのだ。そして、年齢よりも、その人自身を見るのだと。
 族長は時々村の中をひとりで歩いていることがある。おそらく巡回なのだろう。皆が挨拶するといつも穏やかな表情で挨拶を返す。マオも、姿を見かければ挨拶するが、普段は物おじしないシュロが、族長に会うとマオの後ろへ隠れるので少し気まずい。
 当の族長はシュロの様子を気にする様子もなく、他の村人にするのと同様に、マオと短い立ち話をすることもある。そうすると、そのうちシュロはマオの後ろから出てきて、最後にはきちんと族長にも挨拶をする。族長はいつもシュロの頭を撫でてくれる。今日、カエデがシュロにしてくれたように。
 その仕草を見る時だけ、族長とカエデはやはり親子なのだと思うのだ。
 族長の着ている衣装は全てマーガレットの工房で造られていると聞いている。詳しく聞いたことはないが、マーガレット本人がひとりで仕立てているのだと思う。いつか自分の織った布でそれを仕立ててもらうのが、マオの密かな夢だった。

 しばらく他愛のない話をしながらゆっくりとグラス一杯の葡萄酒を飲み切り、マオは席を立った。
 「さて。明日も朝が早いからそろそろ寝るわ。貴方はまだ起きているんでしょう?」
 「ああ。今日は珍しく読書だ。」
 「読書?本当に珍しい。」
 「俺に、この傷をつけた犯人について、ちょっと勉強しようかと思ってな。」
 シヴァはそう言って右手の包帯を指差す。
 「何?仕返しでもするつもり?」
 「反対だよ。仲良くなろうかと思って。」
 「おかしな人。」
 「呆れたか?」
 「呆れるわけないでしょう?貴方がおかしな人であることくらい知っているもの。こんなことで呆れていたら今頃一緒に居ないわ。」
 「そうだな。それにも感謝している。」
 マオは溜息を吐く。やっぱりシヴァには敵わない。
 「おやすみ。あまり夜更かししないようにね。」
 「肝に銘じておくよ。おやすみ。」
 自分のグラスと空になっていた食器を洗い、身支度をする。寝室へ入る前に居間を覗くと、言葉どおりシヴァが大きく分厚い本と真剣な顔で対峙していた。
 シヴァの寝室とマオたちの寝室は別だ。あれは寝室で寝転んで読む類の本ではないということだろう。
 本当におかしな人。
 マオは心の中で呟いて自分たちの寝室の扉を開ける。シュロの健やかな寝息が聞こえた。
 夏掛けからはみ出し、反対向きに寝ているシュロを元の位置に戻し、隣に潜り込む。
 シヴァの住んでいる世界と自分の住んでいる世界の、何と遠いことだろうと思う。それでも自分たちはこの小さな家で一緒に暮らしていて、ああやって話をする。
 話をすれば、それは子供の頃から続いてきたのと同じ時間だった。
 お互いの日常を、ささやかに共有する時間。それを持ちたいと思うのは、やはり相手がシヴァだからなのだろうなとマオは納得する。
 適材適所。シヴァがいいことを言っていた。マオが今の場所に居るのは、きっとそこが居心地が良かったからだ。
 自分は此処で、この生活を大切に守って行こう。
 明日の朝織る布の図案に思いを馳せる間もなく、マオはあっという間に眠りの中に落ちて行った。


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