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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 18 ホオズキの話

-ホオズキ-

 「これでおかしくないかな。」
 ホオズキは妻に尋ねる。正装などいつ以来だろうか。アグィーラへ行ったことすら族長補佐になってからが初めてで、しかも書簡を届けるのみである。城の中へ入るのは今回が初めてだった。
 ホオズキは妻と二人暮らしだ。ココより三つ上の男の子が居たが、黒鳥病で死んでしまった。その頃はまだ黒鳥病が全盛期で、とてもではないが二人目が欲しいとは思えなかった。
 その約三年後、自分の息子のように可愛がっていたココが黒鳥病に罹ったと知った時、ホオズキは再び絶望を味わうのだが、幸いココはカリンのおかげで助かった。それでも黒鳥病が死の病ではなくなったことを俄かには信じられず、子供を持つ気になれないまま長い時間が経ってしまった。今ではココの成長が何よりの楽しみだ。
 診療所のカエデに声を掛けてからアグィーラへ向かって飛び立とうと飛行台へ行くと、そのココに会った。
 「おはよう。やけに早いじゃないか。」
 「ホオズキさんおはよう。わあ正装、決まってるね。僕はね、レンが居ない間に沢山練習して、びっくりさせてやるんだ。」
 「それはいい心掛けだ。頑張れよ。」
 「有難う。ホオズキさんも頑張ってね。」
 「ははは。まったくだ。俺の方がよっぽど頑張らなきゃな。」
 訓練場まで一緒に飛んで別れる。ホオズキはひとり向かいの双子の峰の間を抜け、アグィーラへ進路を取った。
 本来ならば今日、カエデがアグィーラへ行く筈だった。しかし、昨日族長たちが出発した後で急病人が出た為、予定を変更せざるを得なかったのである。
 ホオズキはひとまずカエデが行けないことを族長に伝える為、そして、必要に応じてそのままカエデの代わりに王の生誕祭に出席する為にアグィーラへ行くことになったのだった。
 天候はまずまずだ。ホオズキはアグィーラに向けて飛びながら、頭の中で昨夜カエデが書いてくれた各種作法を反復する。
 マカニからは北門が近いが、必ず正門である南門から入ること。南門へ回る際には城の真上は飛ばず、必ず迂回して飛ぶこと。ここまでは書簡を届ける時と同じだ。
 書簡を届ける際は直接南門の門番に身元を告げるが、おそらく今回は官吏の出迎えがあるであろうこと。族長補佐相当の来賓の迎えは中級官吏であり、紫を基調とした衣装を着ているだろうから、その人物よりも一定距離をとって手前側に着陸し、そこから歩いてゆくこと。以降はその中級官吏の指示に従うこと。
 特に難しい事は無い筈だが、慣れない任務でかなり緊張していた。
 しかしその緊張は、アグィーラに近づき、カエデの言ったとおり紫色の衣装を着た官吏の姿を捉えた途端に消えた。
 「ホオズキさん、おつかれさま。どうしたの?カエデさんは?」
 見慣れない衣装のカリンが、やや心配そうな表情で駆け寄ってきた。
 「昨日、セージが熱を出してな。たいしたことは無さそうなんだが、念のため今日もカエデは残った方がいいだろうということになった。誰も来ないと心配するだろうから俺が来たというわけだ。でもまあ、連絡係だけでもいいかなと…。」
 「ああそうなの。大事なくて良かった。折角だからホオズキさんが代わりに出席したらいいわ。正装、似合ってるよ。」
 「有難う。…ああそれにしてもカリンが出て来てくれていて良かった。此処に来るまでとても緊張していたんだ。」
 「アグィーラ城医局薬師室兼文化局中級官吏のカリンと申します。マカニ族族長補佐殿をお迎えに参りました。」
 カリンは優雅に一礼し、うふふと笑った。

 大きな通りの両側に洗練された店舗が並ぶ地区を通り過ぎると、大きな屋敷が立ち並ぶ地区へ出た。どの屋敷も壁から庭から丁寧に手入れがされている。その間、ずっと正面にアグィーラ城の城郭がそびえ立っていた。
 そのあまりのマカニの風景との差と、人の多さに気圧けおされ、ホオズキはやや酔ったような感覚に陥る。
 書簡は南門を入ってすぐの門番小屋で手交するので、アグィーラの城下町を奥まで進んだ事は無かったのだ。
 カリンの後について中の門をくぐると漸く人通りが落ち着き、ホオズキは大きくひとつ息を吐いた。
 「ホオズキさん、大丈夫?ちょっと今日は式典があることもあって、いつもより人通りが多かったね。」
 「あ、ああ…。いや、情けない。」
 「もう少しだけ頑張ってね。中庭まで行ったらお茶を淹れてあげる。きっと室内に入るよりも落ち着くわ。」
 確かにその中庭は、人工的ではあるものの緑が多く、比較的自然に近い状態に整えられており、足を踏み入れるとほっとした。
 カリンはホオズキをテーブルと椅子が置かれた木陰に誘い、少し待っているように言うと、盆に乗せた茶を運んで戻ってきた。
 「式典が始まるまであと一時限以上あるから、少しここでゆっくりしていてね。」
 「カリンは?」
 「一緒に居てあげたいのだけれど、準備をお手伝いしなくてはならなくて…。族長様かレンが居ればよいのだけれど。」
 「大丈夫だよ、子供じゃあるまいし。」
 本当は不安だったがそうも言えず、笑顔を作る。
 「式典の少し前に此処へ呼びに来るわ。もし族長様やレンと合流できたらこの場を離れても大丈夫だから。」
 「分かった。有難う。」
 カリンは慌ただしく中庭を横切り、建物の中へ姿を消した。
 よく見ると、カリンと同じ色の衣装を着た官吏や緑色の衣装を着た官吏らしき人々が他にも忙しそうに行き来していた。
 紫は中級官吏、緑は下級官吏、稀に見る赤い衣は上級官吏で、更に金があしらわれた衣が局長…。
 カエデに教えてもらったことを思い出しながらカリンの淹れた茶を飲んでいたら、随分と心が落ち着いた。
 中庭を行き来する人々の中には、ホオズキの背中の翼を珍しそうに眺めていく者も居たが、さすがに話しかけてはこない。
 やがてホオズキの目はその中に藍色の翼を見つけた。
 レンの方も既にホオズキに気がついていて、手を振りながら此方へ歩いてくる。隣にはイベリスの姿があった。
 「おお、レン。助かった。イベリス殿、ご無沙汰しております。」
 「カリンが、ホオズキさんが中庭に居るって。急な変更で大変だったね。」
 「いや、まあ、大した事は無いんだろうが、やはりこうした場所は慣れないからな。緊張する。」
 「俺は何度も来てるけど未だに苦手です。先ずこの窮屈な衣装。」
 イベリスが本当に嫌そうな表情で衣装の胸の部分をつまむ。
 ポハク族の正装なのだろう。いつもはさらりと薄手の綿のシャツ一枚を羽織っているイベリスが、白い絹の衣装の上に、黒地に銀色の刺繍の入った足首まである外套のようなものを身に着けている。
 「ははは。イベリス殿がそうなら私も当分慣れそうにありませんね。」
 「あ、ホオズキ殿。この機会に言っておきますが、俺たち、同じ族長補佐という位置づけですからね。幾らポハクの族長の息子だからって敬語は禁物です。年齢的にはホオズキ殿の方がずっと先輩だ。」
 「よし分かった。それじゃあ、イベリス殿もそうしてくれないかな。確かに俺はカエデには敬語を使わない。」
 「ホオズキ殿がそう言うなら喜んで。」
 「ついでに”殿”も止めちゃえば?僕はホオズキさんて呼んでるよ。…イベリス、すっかりいつもの調子に戻ったね。」
 「うるさいな。でも、その提案は受け入れる。」
 「…イベリス殿がどうかしたのか?」
 「さっきまで二日酔いで情けない顔してたんだ。」
 「レン、お前なあ。」
 二人と話しているうちにすっかり緊張は解け、ホオズキは次第に初めて出席する王家の式典を楽しみに待つ気持ちが大きくなっていった。

 式典は大鷲の間という、ホオズキがこれまで見たことがないほど大きな広間で執り行われた。何せ入口の扉でさえ、二階建てのホオズキの家の屋根くらいの高さがあるのだ。しかし、その大きな広間が、多くの来賓で賑わっていた。それでも、午前中にこの部屋に入ることができるのは一定の身分以上の者であり、完全なる一般参賀は午後の短い時間のみなのだという。
 午後の一般参賀は直接王と言葉を交わすことは許されず、やや遠巻きに王の言葉を聞き、祝福の意を表すために思い思いの花を掲げる。多くの参列者が居るため、長くその場に止まることもできない。
 ホオズキは明らかに場違いなこの場所にも拘らず、落ち着いた気持ちで居られる自分に驚く。それは明らかに族長の存在のおかげだと思った。
 勿論官吏として出迎えてくれたカリンや、城に慣れているレンの存在にも救われたが、族長の隣に居るだけで、自分は此処にマカニ族族長補佐として存在していいのだという大義名分が成立するように思えた。そのことを誇らしくさえ感じる。
 実は族長とホオズキは、それ程歳が変わらない。族長が族長になる前から、いや、リーダになる前から戦士の中の少し上の先輩として族長のことを知っていた。
 族長は少年の頃からそれ程口数が多い方ではなかった。若者らしく騒いでいる姿も見たことがない。いつもひとりで黙々と訓練をして訓練場を後にした。親しく付き合っていた友人が居たのかどうかも分からないが、何となく周囲から一目置かれ、常に頼りにされていた。
 だから当時最年少でリーダに抜擢された時には誰も驚かなかったし、誰もがその後族長になることを疑わなかった。
 族長の妻が病弱なのは知っていたが、大変な様子は微塵も見せなかった。村の女たちが交代で手伝いに行っていたので大丈夫なのだろうと思っていた。カエデもいい子に育っていた。
 族長は凄い人なのだ。単純にそう思っていた。族長補佐になるまでは。
 族長補佐になってまず何に驚いたかと言えば、カエデの隠れた努力だ。
 ホオズキは慣れていないとはいえ、族長補佐の仕事の多さや細やかさにまごつく日々だ。それなのにカエデは、それに加えて所謂家事全般と、医師としての仕事もこなしている。更に、医術については未だ勉強中だという。
 その中でも周囲の人々への気遣いを常に忘れない。
 そして、族長補佐の仕事に慣れてくるにつれ、今度は族長の凄さを再認識していた。
 先ず、動揺することがない。族長との付き合いは長くとも、一日中傍に居ることなどこれまでは無かったが、一日中傍に居ても常に穏やかな雰囲気を纏っている。決して柔らかい雰囲気ではないのだが、傍に居るとホオズキ迄心が穏やかになるようだ。
 日々入ってくる様々な報告や、突然の事態にも常に一定の穏やかさで接し、的確な指示を出している。
 ホオズキも直接報告したり指示を受けたりするようになり、その的確さが身に沁みて分かるようになった。
 しかも、明らかにホオズキの処理能力の範囲を見極めて指示を出しているようで、暇を持て余すことも仕事で手いっぱいになることもなかった。
 それがホオズキに対してだけでなく、族長の身の回りにある全ての事象への対応だとしたら、族長の頭の中では一体どのような時間が流れているのだろうかと疑問に思う。頭の中に複数の人格を有しているのではないかと疑う程だ。
 そして時々そんな族長が、周囲の一切を遮断して自らの思考の中に籠もっている時間があることにも気がついた。
 来客も特別な指示も無い時間帯の族長の部屋で。あるいは早朝、時折まだ殆ど人通りの無い村を歩いているのを見かける時。
 その時の族長の顔は、いつもの穏やかな表情を通り越して何の感情も読み取れない。
 ホオズキがそれを目にするのは一瞬だ。族長がホオズキの存在に気がついてすぐにいつもの族長に戻ってしまうからだ。
 族長の鴉だけが、たまにそんな族長の側に静かに佇んでいる。

 「今日はカエデが参列できなくなりましたので、代わりに新しい族長補佐を連れて参りました。」
 マカニ族の番がやってきて族長を先頭に四人で王の御前へ進むと、族長は先ずホオズキを王夫妻に紹介した。
 「ホオズキと申します。以後お見知りおき下さいますと幸いです。」
 「ホオズキ殿、どうぞ表をお上げください。お名前は存じ上げております。これからもどうぞよろしくお願い致しますね。」
 緊張して言葉も動きも固くなっているホオズキに、王がにこやかに言葉をかけた。王配であるローゼルは以前マカニへ来た際に訓練場で顔を合わせているが、今日は軽く会釈を交わすに留まった。
 「陛下もローゼル殿も引き続き健やかにお過ごしください。」
 「エンジュ殿には本当にいつもお世話になって。何と御礼を申し上げて良いやら。」
 「いえ。国が安泰であればこその我々です。マカニ族が力になれるならば、いつでも馳せ参じましょう。」
 「心強いです。情けないことに、本当に問題が山積みで…。」
 王は同意を求めるように視線を送ると、ローゼルは黙って頷いた。
 「心中お察し致します。」
 「カリン、レン、いつも有難う。この場で改めてお礼を言うわ。」
 「どういたしまして。でも私は、一応アグィーラの官吏でもあるのよ。」
 「官吏といっても薬師な筈だけどね…。それにどちらかといえばカリンが自分から頭を突っ込んでいることも多いけど。でもまあ、どういたしましてかな。あ、あと、おめでとう。」
 「ふふ。有難う。これからもよろしくね。」
 和やかに面会が終わり、軽食などが用意されている区画へ向かうと、先に挨拶を終えていた他の種族たちの姿が見えた。
 マカニ族が近づいてくるのに気がつくと、ワイ族と思われる一団がやや前へ出た。
 「私たちはもうすぐ一足先に失礼するわね。」
 「ええ。お気をつけて。」
 ワイ族の族長なのだろう。年齢はかなり上だが、冷たい雰囲気の美しい女で、近寄りがたい威厳があった。
 族長はいつもの穏やかな表情で挨拶を返したが、ワイ族の族長は挑戦的ともとれる妖艶な視線を絡ませる。
 「新しい族長補佐殿ね。紹介してくれないの?」
 「そういえば、アキレア殿とパキラは既に知っているがエリカ殿は初めてでしたね。戦士を辞して新しく族長補佐になったホオズキと言います。既に書簡の手交でワイへはお邪魔しておりますが、エリカ殿へのご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます。」
 ホオズキは族長の隣で黙って頭を下げた。エリカははばかりもせずホオズキの頭から足の先までを眺めると、ふ、と意味深な笑いを漏らす。
 「なるほど、実直そうな方ね。わたくしはワイ族族長のエリカと申します。以後どうぞよろしく。」
 それだけ言うと、ワイ族は大鷲の間を出て行った。去り際に、水の化身とみられる女がカリンとレンに向かって手を振る。
 「嵐は去ったか。」
 そう言って近づいて来たのはポハク族族長のパキラである。族長は時折パキラと直接書簡をやり取りするので、ホオズキは既に面識があった。
 「嵐とは随分だな。」
 「嵐じゃないか?…しかし次から次に、エリカ殿もよくやるよ。」
 「エリカ殿にはエリカ殿のやり方がある。」
 「まあな。少なくとも今夜の晩餐会は昨日よりは気楽そうだ。」
 パキラの側に控えているイベリスはその話を聞いてにやにや笑っているが、ホオズキは自分が族長補佐としてどのような態度をとるべきなのかさっぱり分からなかった。ひとまず自分に話を振られるまでは、話が聞こえていないように振舞うのがいいのだろうか。カエデの書いてくれた紙にはそんなことまでは書かれていない。
 ホオズキは昼食を食べたらマカニへ戻ることになっているが、食事を楽しむどころではなかった。
 ふと、ホオズキ、と族長から声を掛けられる。
 「はい。」
 「ここはもう良い。カリンとレンに付き合ってもらって食事を摂ってきたらどうだ。」 
 やはり、族長には見通されているのだと思った。
 パキラも「ごゆるりと」と手を振り、イベリスは俺も行っていいですかと明るい声を上げる。
 少しずつ慣れて行こう。
 自分の族長補佐人生はまだ始まったばかりだ。
 この歳になって、こんなにも新しい世界に足を踏み入れることができるなんて幸せなことではないか。
 ホオズキは齢五十過ぎにして始まったこの新しい人生を、少しずつ愛し始めていた。
 そして、王の生誕祭で賑わうこの大鷲の間が、自分の新たな人生の門出も祝ってくれているように感じられたのだった。


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