物語の欠片 金糸雀色の午篇 7
-カリン-
パキラはその日朝早くから商人会へ出かけて行った。
カリンたち三人は食堂の面々が成り行きを気にしているだろうと考え、朝食の波が過ぎた辺りに食堂を訪れた。
「いらっしゃい。また来てくれて嬉しいわ。遅い朝食?それともお茶だけ?」
ネメシアは二日前の朝と同様、物価の値上げなど気にしていないという風に明るい表情で迎え入れてくれた。イベリスが朝食は済ませたと答えると頷き、一番奥の席で待つように言うと奥へ引っ込む。ヒソップたちに声を掛けに行ったのだろう。
まだ数組の客が残っていたが、先日の賑わいはない。残った客も殆どが食事を終えている。落ち着いて話せる時間帯であることは確かなようだった。
「店番は母さんがやってくれるって。父さんはすぐ来るわ」
嬉しそうに言うネメシアは盆に珈琲と、数種類の乾燥した果物の乗った銀の皿を乗せている。
「珈琲、高いんじゃないのか?」
「そこはケチるところじゃないのよ。飲んで欲しいから出してるの。…ねえねえ、この乾燥マンゴーすごく美味しいのよ。食べてね。杏もおすすめよ。どちらも珍しくこの辺りで採れる果物なの」
前半はイベリスに、後半はカリンとレンに向けた言葉である。
ヒソップが来る前に自分の話したいことを話してしまおうと思っているのか、ネメシアは腰かけるなり矢継ぎ早にカリンとレンを質問攻めにした。
マカニの風土や習慣について、カリンがマカニを好きな理由、初めて空を飛んだ時にはどう感じたか…答える度に「素敵」を連発する。
「……ちょっとイベリス聞いた? 殆どお互いにひとめぼれじゃない。素敵!」
「あのな、俺はもうずっと前から知ってるし、途中からはずっと二人のこと見て来たんだよ」
「ふふふ。貴方絶対にカリンのこと好きだったでしょ? 残念だったわね」
「うるさいな。俺はレンのこともカリンのことも好きなんだ」
「あら、優等生な回答」
「悪いか?」
「別にぃ……あれ? 父さん遅いな」
ネメシアが首を傾げて後ろを振り返った。確かにもう随分ネメシアと話をしている。
と、その時、入口の方でヒソップの声が聞こえた。
「揉めごとなら外でやってくれ!」
その声を聞いてネメシアが眉間にきゅっと皺を寄せ、まただわ、と呟いた。
「また?」
「最近多いの。客同士の喧嘩」
ネメシアが立ち上がってそちらへ向かおうとしたので皆で後を追う。通路の入口に辿り着く前に大きな物音がした。
細い通路に男たちの怒号と、ヒソップの制止する声が響く。
カウンターの前のテーブルや椅子が滅茶苦茶に倒され、一人の男がその中に蹲っていた。
「この店で怪我人を出さないでくれ!」
止めようとしたヒソップ自身も体格の良いひとりの男に振り払われ、カウンターにしたたかに背中を打ち付ける。
「父さん!」
駆け寄ろうとするネメシアを制止してカリンに押し付けたイベリスが、代わりに揉め事の中へ入って行った。
「そこまでにしておきな」
ヒソップを振り払った男は突然現れたイベリスの姿に一瞬怯んだが、すぐにいやらしい笑いを貼り付かせる。
「これはこれは族長の御子息殿ではありませんか。我々がこれから働きに出ようとしている時に優雅にお茶の時間とは敵いませんなあ」
「普段なら俺もこの時間は仕事だよ。今日は客人を案内している」
イベリスは淡々とそう言うと、ヒソップを助け起こした。
「ではイベリス殿、お戻りになったら是非お父上にお伝えいただきたい。自由市場を謳いながら不平等に税を課す非道な政治はお止め下さいと」
「その通りだ! 悪いのは俺たちじゃない。族長だ!! 俺たちはいつも通りに商売しているだけなんだ。どうして俺たちが非難を浴びなければならない?」
先程まで蹲っていた男が仲間に助けられて立ち上がり、同じようにイベリスに不満をぶつける。
どうやら一方は今回の税金問題で得した商人たち、一方は損した商人であるらしい。おそらく得した商人たちが自慢話をしているのを聞いて鼻持ちならなくなったのだろう。
「……伝えるから、此処で暴れるのは金輪際止めてくれ」
「ほう。そういえばこちらはイベリス殿の御贔屓のお店でしたな。此処で迂闊なことは申せませんねぇ。では、よろしく頼みましたよ」
最初に喧嘩を吹っ掛けたらしき大男は、いやらしい笑いを響かせたまま店を出て行った。それに続くかのように残りの二人の男たちもこそこそと店を出て行く。
カリンの隣でネメシアがあっと小さく叫び声を上げた。
「ちょっと! あの人たち、お金払っていかなかったでしょう!!」
追いかけようとするネメシアをヒソップが呼び止める。ネメシアはそれでもしばし迷っていたが、思い直したように腰を痛めたらしいヒソップの側に駆け寄った。固唾を飲んで成り行きを見守っていたフクシアも我に返ったようにカウンターの中から出てくる。
「父さん大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。いてて……」
「ほら、無理しないの」
カリンとレンは近寄りながら、倒されたテーブルや椅子を元の位置に戻し、テーブルの上に置いてあったであろうものを拾っていった。幸い壊れたものは無さそうだ。
「ああ、有難う。先日に引き続きお見苦しい所をお見せして申し訳ない」
ネメシアとフクシアに支えられて椅子のひとつに腰かけたヒソップが、情けない表情でカリンたちを見る。
「お気になさらないで下さい。あの、私、薬師なのです。お背中、拝見しても宜しいですか?」
「ああ……助かる」
打ち身はそれ程酷そうではなく、カリンはほっと息をつく。薬草湿布があれば一日で良くなりそうだが生憎手持ちがないので、いつもの軟膏をたっぷり塗った布で代用した。
「痛みはすぐに収まると思いますが、無理なさらないで下さいね」
「有難う。……イベリスも、済まなかったな。嫌な思いをしただろう」
「いや、特に……。それより、もしかしたら、元々俺への当てつけだったのかもしれない。あいつは俺が此処を贔屓にしていることを知っていた。最近客同士の喧嘩、多いんだろう? もしかしたら口裏合わせて、わざとこの店を狙ってるのかもしれない」
「考え過ぎだよ」
ヒソップはそう言ったが、カリンはあり得ない話ではないと思った。そして同時に、この家族に気を許しているわけではないと言ったイベリスの言葉の本当の意味を理解した。
ポハクにおいてイベリスが誰かを贔屓にする、あるいはあからさまに嫌えば、それは即ち周囲の人間に影響を及ぼすだろう。噂は瞬く間に広がる。
だからイベリスは、この家族にも完全に心を許すわけにはいかないのだ。
「考え過ぎだよ。イベリス、君の悪い癖だ」
何も言葉が出てこないカリンの代わりにレンがイベリスの肩を叩く。
「可能性は否定できないだろう?」
「だったら何? もうこの店に来るのは止める? それ、一体誰の為になるのかな」
「誰って……」
「レン、よく言ってくれたわ」
ネメシアがずいっとイベリスの前に顔を突き出す。
「ばっかじゃないの? どうして貴方があの人たちのために悩まなきゃならないの?仮令貴方の考えていることがその通りだったとしても、私たちは構いはしないわ。貴方本当にこの店を良いと思ってくれてるんでしょう?だったら余計な推測しないでまた来なさいよ。貴方の立場と客としての存在は別物でしょう? この店では貴方は客なの。族長の息子だろうが何だろうが私は特別扱いしないわよ。反対もそう。族長の息子だから来ない方がいいって考えているならば、馬鹿だわ」
「……大人しくしていれば人のことを馬鹿馬鹿言いやがって……」
「だってその通りでしょう?」
「おい、ネメシア」
ヒソップが慌てたように口を挟んだが、その顔は笑っていた。一方のネメシアは唇を尖らせる。
「お前がそう思っていてもな、そう思わない奴らの方が多いんだよ。族長は世襲制では無くなったが、民の意識はそれ程早くは変わらない。俺たちのような一般人と違って様々な憶測もまことしやかに囁かれる。噂は独り歩きを続けて、勝手な幻想を生む。俺たちだって、イベリスとはこうして直接接しているが、パキラ様のことは風評以外知らないだろう?」
「それは……そうだけど……」
「でも、ネメシアが言ってることも間違いじゃない。……イベリス、あのな。例えば、お前がこの店を贔屓にしているからといってうちに嫌がらせをする奴が居たとするだろう? それなら俺たちが採るべき態度は、その嫌がらせする奴をうちから追い出すことだ。お前を追い出すことじゃない。違うか?」
「……正論はそうだよ。でもさ、俺を嫌ってる奴は案外沢山居るだろう。それを全部追い出していたら……」
「それで客が減ってもだ。それはお前が族長の息子だからじゃないぞ。お前がこの店にとって有り難い客だからだ。なあに、殆ど客が居なくなったって、それはお前がこの店に初めて来た時と変わりがないってだけのことじゃないか」
イベリスはじっと、隣のテーブルの椅子の脚を見詰めていた。
カリンにはイベリスの気持ちが痛いほど解る。相手がいい人であればある程、どうして良いか分からなくなる。カリンもこういう場合はそっと身を引くだろう。いや、そっと引けないのが自分だ。あからさまに店から遠ざかって皆に心配をかける。カエデがいつの間にか戦士を辞めていたようにさり気なく去ることはできないのだ。
ヒソップの言ったことは本音なのだろう。そうだとしても、それにそのまま甘えることはとても難しい。今日実際に目の前でヒソップに危害が加えられるのを見てしまったのならば尚更だ。
「……親父さんの言葉は有り難く受け取っておくよ」
「ああ、そうしてくれ」
「あのさ、これからも寄らせてもらうから、その代わり、俺が居ない時に今日みたいなことがあったら教えて欲しいんだ。それを隠されたら俺はますますこの店に居づらくなる」
「お前のせいかどうか分からなくてもか?」
「できれば全部」
「……分かった。約束しよう。得意の客に店の状態を正確に伝えることは店側の義務だからな」
イベリスは有難うと言って漸く笑顔を浮かべた。
「ネメシアも、ありがとな」
「どう……貴方って本当に世話が焼ける。カリンに馬鹿につける薬を作ってもらいなさいよ」
ネメシアはまだ腑に落ちていない表情でそっぽを向く。
「はは。そうだな。できることならお願いしたいもんだ。……ああそうだ親父さん。今日は元々この間聞いた物価上昇の話をしに来たんだった」
イベリスはいつもの調子に戻って簡単にこれまでの報告をすると、そろそろパキラの戻る時間だと言ってカリンたちを促した。
パキラの館へ戻る途中のポハクの町は、灼熱の太陽と人々の熱気で溢れかえっていた。この中の、いったいどれ程の人間がイベリスとパキラを好意的に受け入れているのだろうかと考えると、あまりのマカニとの違いにくらくらする。
城での権力争いとはまた違った、人間の本能そのもののようなこのエネルギーは、味方につければ頼もしいが、敵に回したら恐ろしい。敵にも味方にもせず距離を置くことも、族長となっては叶わない。
カリンはパキラの館へ歩いて戻る道すがら、人ごみに酔うのとは別の不快感がこみあげてくるのを止めることができなかった。
