物語の欠片 緋色の山篇 21
-カリン-
カリン殿は本でも読みながらゆるりと待たれよ。そう言われて素直に従ったのだが、パキラの側でお互い黙ったまま本を読んでいるのは不思議な感覚だった。パキラの館には大きな書斎がある。代々ポハク族族長の館なのだから当然と言えば当然だが、アグィーラの図書室にもある有名な本の他に、ラプラヤに古くから伝わる本が多くあり、カリンは何度訪れても飽きることが無かった。そしてどうやらその書斎はパキラにとってはただの飾りではなく、パキラ自身相当の読書家なのだということをカリンは最近知った。
砂漠の厳しい暑さの中に在るポハクでは、まだ日が高くない早朝から皆が活動を始める。イベリスは既に家を出て採掘場へ向かっていた。鉄鉱石の採掘坑のある西側のそれではなく、自らの仕事場である南側の採掘場だ。
いつもの応接間には心地良い朝の風が入り快適で、最初は色々と考えていたカリンもやがて手元の本に没頭していった。今日カリンが書斎から借りたのは、ある有名なポハクの商人が小さな露店商から貿易家になるまでの英雄譚のようなものだった。カリンはその貿易商の名前を知らなかったが架空の話ではなく実在の人物のようだ。アグィーラの図書室の本を全て読んで色々と知った気になっていたが、まだまだ知らないことが沢山あるのだ。
その本を読んでいると、イベリスやパキラの言っていたことがよく分かった。ポハクの商人魂は確かにすごい。時に命を顧みず、時に法律すれすれのことも厭わない。相手を出し抜くのは当然だ。古い時代の話とはいえ、何よりもそれが英雄譚として語られることに驚く。
不意に部屋の外が騒がしくなった。パキラは手にしていた本を置き、来たなと呟いた。
応接間の扉がノックされ、三名の戦士たちが一人の男を連れて入ってきた。おそらくそれが首謀者なのだろう。
「ご苦労だった。イベリスは?」
「イベリス様とラバテラ殿は別の者が呼びに行きました。いずれ戻られると思います。首謀者以外は警邏所に捕らえてあります。」
パキラは頷いて首謀者を椅子に座らせるよう指示した。うなだれた男の両側と後ろに戦士が立つ。
戦士の言ったとおり、そう時間を空けずイベリスとラバテラが部屋に入ってきた。椅子に座らされた男の姿を見てラバテラが落胆したように肩を落とした。実際に姿を見るまでは望みを捨てずにいたようだ。二人を呼びに行ったらしい戦士二名はそのまま部屋の入口に立っていた。
「報告を聞こう。」
パキラの言葉に男の左側に立っていた男が口を開く。
「パキラ様の予想されていた通り、鉄鉱石の隠し場所は砂漠の入口付近にありました。採掘工たちの通勤経路を見張っていたところ不自然な動きがあったので後を追い、隠された地下室を発見しました。」
その後、戦士たちはその者たちをその場で捕らえ、一緒に採掘坑へ行ったのだという。驚いたことに鉄鉱石担当の採掘工たちは軒並みこの事実を知っていたらしい。組織ぐるみの犯罪だ。首謀者は鉄鉱石担当の頭であるエルダーだった。
鉄鉱石担当を三つの集団に分け、交代で何か月かに一度まとまった量の鉄鉱石を仕入れに行く。行き先はフエゴ火山だった。数日間ポハクを開けることになるが一人当たり年に一、二度なので誰も怪しまない。宵闇に紛れてラプラヤへ戻り、滅多に誰も近づかない夜の砂漠の入口付近の地下貯蔵庫にそれを隠す。そしてこれもまた交代で、朝の出勤時にこっそりと地下貯蔵庫から取り出した鉄鉱石を採掘坑へ運び入れる。日中帯はひたすら掘り進める振りしていたというわけだ。
面倒な手順を踏んでいたのは、急なパキラの視察があったり、商人が見学に来たりすることを恐れてのことだった。一度に採掘坑に運び込む鉄鉱石の量は、一日に掘り出してもおかしくない適量を維持していた。そのおかげで流通量が安定していたのだ。最終的にはそのせいでパキラに感づかれてしまったのであるが。
「いつからだ?」
報告にやや不機嫌そうに頷いたパキラが尋ねると、うなだれていたエルダーは顔を上げた。
「申し訳ありません。」
「謝れと言ったわけじゃない。いつからだと訊いている。」
「…闇が解放された直後からです。あの時の混乱に紛れて…。」
「五年か。…俺も随分間抜けだな。」
「あの時期、俺と父上の仲は最悪でしたからね。採掘工の動きなど一番目を背けたかったんじゃないですか?」
イベリスの言うとおりかもしれない。当時イベリスは族長補佐でもなかった。それどころかなるべくパキラと触れ合わず、目も合わさずに過ごしていたはずだ。憎んでさえいたとイベリスは言っていた。
パキラがイベリスのことを同じように思っていたとは思えないが、イベリスの意を汲んで極力近づかないようにしていただろう。それが徒となった。
「政治に私情を挟むこと自体が愚かだと言ってるんだ。…理由を訊こうか。何故不正を働こうと思った?」
「…その頃すでに、随分砂漠の奥まで掘り進んでいました。毎日砂漠の中を通うだけでもきつい。それなのに、鉄鉱石は思うように取れなくなってきていた。更に掘り進んで山に近づけばまた豊かな鉱脈があるのかも知れませんが、そのような気力が無かったのです。そうかといって、砂漠の中を全く新たな鉱脈を探して回るのも骨だ。何せ命の危険さえある死の砂漠です。魔物も多かった。皆の士気は下がり切っていました。」
そんな時、商人会に鉄鉱石を運んで行った者がある噂を聞いて帰ってきたのだという。フエゴ火山に手付かずの鉄鉱石の鉱脈があるというのだ。おまけにアヒ族はそれらに全く興味が無いのだと。
勿論すぐに邪なことを考えたわけではなかった。羨ましいと思いつつ地道に今の鉱脈を掘り進めていた。当時はまだ魔物も多かったので、フエゴまでの旅とて安全なものではなかった。
そしてやがて、闇が解放された。世界が闇に包まれていたのはほんの数日のことではあったが、これからの先行きを不安に思うには十分だった。そして世界を包む闇が浄化された時、反対に闇の欠片がポハクの採掘工たちの中に根付いた。闇が浄化された。魔物が減る。フエゴへの旅が比較的安全なものになる。幸いまだ王国は混乱していた。アグィーラはもとより、各町や村も、闇がはびこっていた間に魔物たちによって破壊された物を取り戻すのに必死だ。実行に移すならば今かも知れない。
採掘工たちは混乱に乗じてこっそりポハクの町を出て、アヒ族が近寄りもしないフエゴ火山からまんまと大量の鉄鉱石を仕入れて戻ってきた。何度も何度も。その、およそひと月の混乱の間で得た鉄鉱石は、ポハクで必死に砂漠を掘り進める量の一年分以上になった。採掘工たちはすっかりまともに働くのがばかばかしくなってしまった。そこで、そのひと月で蓄えた分を少しずつ消化しつつも、先に述べたような仕組みを作り、継続的にフエゴから鉄鉱石を持ち帰っていたというわけだ。
まさかその後アヒ族が鉄鉱石に興味を持とうとは思ってもいなかった。ポハクの商人が関わっていることも知らなかった。しかしフエゴ火山はまるごと鉄鉱石の山だ。アヒ族が掘っている辺りとは別の鉱脈を狙えば、まだまだ望みはあった。採掘工たちは、今回フエゴでポハクの商人たちが捕まったことをまだ知らなかったのだ。だから今朝もいつもと同じような行動に出た。事件の解決には早さが重要だったようだ。アグィーラから直接ポハクに来たのは正解だった。商人たちがフエゴで捕まったことが知れ渡ったら、危うく証拠が消されてしまうところだった。
話を聞き終えたパキラは昨日イベリスがしたのと同じようにわざとらしく大きく溜息を吐いてみせた。そして、傍らにあった紙とペンを手に取る。
「至急、書簡使を立てる。アキレア殿に報告が必要だ。五年だと?ふざけるな。ああ最悪だ。」
父上、とイベリスが声をかけた。パキラはじろりとイベリスを睨む。
「俺がアヒへ行きます。」
「なんだと?」
「書簡使よりは族長補佐の方が心証がいいのではないでしょうか。まだ午前中だ。今から出れば今日中に…遅くとも明日レンが来る前には戻れるはずです。俺が書簡をお預かりしてアキレア殿に詫びてきます。…本当は父上がご自分で行きたいくらいなのでしょう?」
パキラはそれには答えず、書簡をしたため始めた。イベリスもそれ以上何も言わずパキラの様子を見守った。戦士たちはどうしていいのか分からないようでそのまま立ち尽くしている。エルダーと、おそらく採掘工の頭としての責任を感じているであろうラバテラは、共にうなだれていた。
あっという間に書簡をしたため終えたパキラは、それを封筒に入れる前にイベリスに差し出した。受け取って目を通したイベリスが微かに驚きの表情を浮かべる。パキラはその表情を見てにやりと笑った。
「族長補佐じゃ足りない。イベリスお前、族長代理としてアヒへ行け。本来ならば族長自らが出向いても面目が立たないくらいだが、あいにくポハク内の雑事を早々に処理してしまわねばならぬ故、息子のお前を代理として遣わす。その代わりにアヒ族が被った不利益は可及的速やかに補填する。」
書簡にもそう書かれてあったのだろう。イベリスはしばらくじっと書簡を見詰めたままだった。ついにはパキラに、読み終わったなら返せと言われ、はっとしたように書簡を返す。パキラはそれを丁寧に折りたたんで封をした。封をされた書簡を再度受け取ったイベリスはようやくいつもの表情に戻り、パキラによく似た表情でにやりと笑うと恭しく頭を下げた。
「確かに承りました。」
「おう。頼んだぞ。…さて、では俺はさっさとこいつらを裁いてやらねばならないな。」
エルダーに向き直ったパキラを背に、イベリスはカリンの方を振り返ってやや照れたような表情を浮かべた。カリンは笑顔を返す。
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「ああ。カリン、またひとりにしちまうけど、ごめんな。下手すると今日は戻れないかもしれない。」
「大丈夫。待っているわ。」
イベリスはきっと嬉しかっただろう。族長を継ぐ気はないようだが、パキラに認められたことが嬉しかったのだ。カリンはそのまま部屋を出て行くイベリスを見送った。パキラもそれを待っていたかのように口を開く。
「五年間の鉄鉱石による収入は記録を見れば分かる。それが全部アヒに行くわけだ。フエゴ火山からそれを掘り出したお前らの労力とフエゴのものと知らずに売り捌いた商人たちの手間賃は、アヒ族への利子で相殺だな。」
パキラの言葉を聞いたエルダーの顔が蒼白になる。
「それを我々に払えと…。」
「一括でとは言わない。お前らにも生活があるだろう。それに、支払えまい?」
「それではどうすれば…。」
「一旦は俺が肩代わりしてやる。町の財源を使える部分は使おう。その代わり当分の間お前らは減給だ。当然だろう?」
「罪人として牢に繋がれることはないのですね?」
「鉄鉱石担当の採掘工全部だろう?居なくなられるとこっちも困るんだよ。その分これから真面目に働け。罪を晒すのも今回は勘弁してやる。分かったら去れ。警邏所に居る部下を迎えに行くのを忘れないようにな。他の奴らにはお前から話せ。部下の信頼は厚いのだろう?」
エルダーは椅子から崩れ落ちるように地面に座り込み、そのままパキラの方を向いて平伏した。
「温情に…心より…感謝いたします。パキラ様を欺いていたこと、何とお詫びして良いか…。」
「俺に詫びてもらっても仕方がない。詫びるならアヒ族に対してだが、それもお前らが謝ったって仕方がない。愚鈍な族長の責任だからな。本当に悪いと思うなら精いっぱい働いて示せ。俺は機嫌が悪いからさっさと行ってくれ。」
顔を上げたエルダーは、本当に忌々しそうな表情のパキラを見て、逃げるようにして部屋から出て行った。その後をひとりの戦士が追う。警邏所に入るには戦士の同行が必要に違いない。
次にパキラはラバテラに向き合った。その顔はすでにさっぱりしている。先程エルダーに向けていた機嫌の悪そうな表情は作ったものだったのだろうか。それとも今の表情が作り物なのか。
「さて。ここからは相談だ。」
「なんなりと。」
「たまにでいいからイベリスを他の班に派遣してもらいたい。それは鉄鉱石の担当だけではなく。」
「それは見張りの意味で…でしょうか。」
「まあそれもある。が、あいつが行けば上手いこと鉱脈を見つけるだろう。各班の、そこのところの苦労を軽減できれば、邪な考えも少しは減るだろう。」
ラバテラが承諾すると、パキラは戦士含めて自分とカリン以外の人間を全て部屋から追い出してしまった。それから、ああ疲れたと呟いて、植物で編んだ大きな椅子にどさりと腰を下ろした。
「わたくしも外しましょうか?」
「構わぬが、好きにされたらいい。俺はしばらくここに居る。」
何となく傍に居た方が良い気がして、カリンは静かに先程まで本を読んでいた椅子に腰かけ、本を開いた。
本当は訊きたいことが山ほどあったが、今はそっとしておいた方が良さそうだ。静かな部屋に、カリンが頁をめくる音だけが聞こえた。パキラはじっと中庭を見詰めている。時刻は正午になろうとしていた。
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