日本国憲法と安全保障の矛盾は特殊なのか――国家はなぜ正しさと存続を同時に抱え込むのか
日本の違和感は、たぶん正しい
日本の安全保障をめぐる議論には、いつもどこか説明しきれない息苦しさがある。
戦争はしないと言う。
戦力は持たないと書いてある。
それでも自衛隊は存在し、同盟は機能し、抑止は必要だと語られる。
このねじれに触れた瞬間、多くの人は二つの方向へ割れる。
現実があるのだから仕方ないという側
条文と違うのだからおかしいという側
だが、本当に考えるべきなのは、そのどちらかを感情で選ぶことではない。
まず見るべきなのは、国家というものがそもそも、きれいな一枚岩では作れないという事実だ。
日本国憲法9条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認という、かなり強い平和主義の言葉を置いた。
その一方で、政府は長く、主権国家である以上、自衛権までは否定されないと説明し、必要最小限度の実力保持は許されるとして自衛隊を位置づけてきた。
ここで起きているのは、単なるごまかしではない。
もっと深い。
条文の美しさと、国家の存続条件が、同じ場所に押し込まれている。
それは見苦しい。
しかし同時に、見苦しいからこそ本質でもある。
防衛省・自衛隊「9条の下でも必要最小限度の自衛力は合憲という政府説明」
矛盾は、国家の失敗ではなく、しばしば国家の成立条件である
国家はよく、統一された理念の産物のように語られる。
だが実際には逆だ。
国家はたいてい、互いに衝突する価値を、壊れない程度に縫い合わせて成立する。
平和を掲げながら抑止を持つ
平等を掲げながら例外規定を置く
民主制を掲げながら超越的権威を残す
国家統一を掲げながら地域の特殊性を制度化する
このとき人々はしばしば、矛盾そのものよりも、矛盾をないことにする言い方に強い不快感を覚える。
日本の問題もそこにある。
9条の理念を本気で守りたい人が抱く違和感も、
現実の脅威環境の中で備えを求める人が抱く焦りも、
どちらも雑には切れない。
つまり日本の違和感は、非合理な感情ではない。
むしろ、国家が抱える二重基準を人間の感覚が正確に嗅ぎ取っているとも言える。
そして重要なのは、日本だけが特別に醜いという話ではないことだ。
世界を見れば、もっと露骨に、もっと制度の中心で、相反する原理が同居している国はいくらでもある。
スペイン憲法は、民主的法治国家を掲げながら、同時にスペイン国家の不可分の統一と、諸ナショナリティと諸地域の自治権を並べている。
ここでは、国家の一体性と、地域共同体の歴史的自意識が、最初から同じ条文空間に置かれている。
これは曖昧だから弱いのではない。
むしろ、曖昧にしないと持たなかったから、こう書かれている。
Spanish Senate「国家の不可分の統一と地域自治権を同時に掲げるスペイン憲法」
国家は、正しさだけでは作れない。
だが、正しさを完全に捨てても続かない。
この中途半端さに耐える制度こそが、しばしば憲法と呼ばれている。
おすすめ記事
数字や制度の外にある態度の問題へ、静かに視線を戻してくれる一本です。
矛盾の種類を見誤ると、議論はすぐに浅くなる
ここから先で必要なのは、矛盾にも型があると知ることだ。
全部を同じ箱に入れると、比較はできても理解は深まらない。
平等を掲げながら、配分でしか保てない国
ボスニア・ヘルツェゴビナは、民主国家であり法の支配と自由選挙を掲げる。
だが同時に、その国家は二つのEntityから成り、さらに政治秩序の中核には、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人という構成民族の前提が深く埋め込まれている。
ここでは市民の普遍的平等だけでは国がまとまらない。
戦争の記憶が近すぎるからだ。
だから憲法は、平等を語りつつ、配分をやめられない。
レバノンも似ている。
自由、平等、議会制民主主義を掲げながら、政治的宗派主義の廃止を国家目標として書き、それでもなお、現実の制度はキリスト教徒とイスラム教徒の均衡を前提に回る。
つまり廃止したい原理を、運営の土台として必要としている。
この種の矛盾は、とても生々しい。
だが日本人には、むしろ分かりやすいかもしれない。
理念では一人ひとりが平等だと言いながら、現実には歴史的対立の火種を制度配分で管理するしかないのだから。
Office of the High Representative「民主国家を掲げつつ二つのEntityで構成されるボスニア憲法」 - Constitutions/B
Lebanese Parliament「平等を掲げつつ宗派主義の廃止と宗派均衡を同時に抱えるレバノン憲法」
民主制を掲げながら、上に別の正統性を置く国
もっと強いねじれもある。
それは、人民の意思を認めながら、なおその上に宗教的な上位原理を置く国だ。
イランでは、国家の affairs は選挙や国民投票による public opinion に依拠するとされる。
その一方で、統治機構は Wilayat-ul Mutlaqah の監督下に置かれ、Leader は軍や国家政策の中核に強い権限を持つ。
つまり、民意は重要だが、それだけが最終根拠ではない。
イラクでは、さらに露骨に三つの軸が並ぶ。
法はイスラムに反してはならず、同時に民主主義の原則にも反してはならず、さらに憲法上の権利と自由にも反してはならない。
美しく聞こえるが、実際にはこの三者が常に整合する保証はない。
パキスタンも同じく、国家権力を人民の代表を通じて運用する枠組みを持ちながら、国家宗教をイスラムとし、Objectives Resolution を憲法の実体的部分とし、既存法と新法をクルアーンとスンナへ適合させる方向を明記している。
ここでは矛盾は欠陥ではない。
むしろ、近代国家の制度言語と、共同体の宗教的自己理解を、どちらも捨てなかった結果**だ。
Guardian Council「選挙による民意と指導者の監督権限を併置するイラン憲法」
Iraqi Parliament「イスラム・民主主義・基本的自由を同時に最上位化するイラク憲法」
National Assembly of Pakistan「国家宗教と人民代表制とイスラム適合化を重ねるパキスタン憲法」
日本との違いはどこにあるのか
ここで日本へ戻ると、特徴が見えてくる。
日本は、宗派配分国家でもない。
民族配分国家でもない。
宗教的上位原理を憲法の中核へ正面から書き込んでもいない。
日本のねじれは、もっと日本的だ。
理想は条文に残す
現実は解釈で回す
そのあいだの苦しさは、なるべく言葉にしない
この沈黙の運用こそが、日本の政治の癖でもある。
だから議論はしばしば、法理論の対立より前に、言い方への不信として噴き出す。
おすすめ記事
正しさを振りかざすほど視野が狭くなる瞬間を、少し冷やしてくれる文章です。
日本の矛盾は、世界標準ではあっても、日本的にかなり厄介である
ここまで見てくると、「矛盾を抱える国は多い」という結論だけで安心したくなる。
だが、それでは浅い。
たしかに多い。
しかし矛盾の処理の仕方は国ごとにかなり違う。
中国の憲法は、人民に権力が属すると書き、言論や宗教の自由も明記する一方で、中国共産党の指導を体制の defining feature として置いている。
ここでは少なくとも、国家が何を優先するかは条文上かなり明示されている。
異論はあっても、支配原理の所在は比較的見えやすい。
エチオピアは逆方向に強烈だ。
連邦民主国家を立てながら、Article 39 で各 Nation, Nationality and People に、無条件の自己決定権、さらに分離独立権まで認める。
国家統一を守るために離脱を禁じるのではなく、離脱の可能性を抱えたまま統合を維持しようとする。
これらはどちらも極端だ。
だが極端であるぶん、矛盾の位置が見える。
日本はそこが見えにくい。
9条の理念を前面に残しつつ、
安全保障の現実は政府解釈と同盟実務で支え、
しかもその全体像を国民に対して一つの明晰な言葉で引き受けることを、長く避けてきた。
その結果、日本の矛盾は、条文対現実というだけではなく、
理念対運用
説明対実態
国民の直感対政治の語彙
という三重のねじれになった。
だから日本の問題は、矛盾があることそれ自体より、
矛盾を正面から名前で呼ばないことにある。
では、どう向き合うべきか
必要なのは、乱暴な二択ではない。
9条があるから全部きれいだと言わない
現実が厳しいから条文は飾りだとも言わない
国家には矛盾があると認めたうえで
その矛盾をどこまで許すのかを言葉で引き受ける
この作業は面倒だ。
人気も出にくい。
だが、それを避けたままでは、日本の安全保障論はいつまでも
感情的な護憲
と
感情的な現実論
の往復から抜けられない。
大切なのは、他国にも矛盾があると知って居直ることではない。
他国にも矛盾があると知ったうえで、自分の国の矛盾の質の悪さを、もっと精密に言い当てることだ。
日本は、平和主義を掲げたことが悪いのではない。
現実に備えることが悪いのでもない。
悪いのは、その緊張を引き受ける政治の言葉が、長く薄かったことだ。
The State Council of the People’s Republic of China「人民主権と党指導を同時に書き込む中国憲法」
Embassy of Ethiopia, Brussels「連邦国家でありながら分離独立権まで認めるエチオピア憲法」
最後に
国家とは、矛盾のない完成品ではない。
いつも少しずつ無理をして、壊れない線を探し続ける構造物だ。
その意味で、日本だけが異常なのではない。
だが日本は、矛盾の存在そのものよりも、矛盾の説明の薄さで、長く自分を苦しめてきた。
見ないふりをやめること。
それが、改憲か護憲かより前に必要な出発点になる。
おすすめ記事
声の大きさではなく、語らない自由と語る責任の境目を考え直したくなります。
今日のワンフレーズ
国家は、矛盾があるから壊れるのではない。
矛盾を言葉にできなくなったとき、静かに傷み始める。
