なんでなんで攻撃
子どもたちが小さかったころ…
そしてまだわたしが若くて
たいへん真面目に子育てしていたころ…
真面目な若いわたしは、
思うようにいかない子育てを
なんとかせねばと
頑張っていた。
でもそれは
なかなかに
しんどい道だった。
子どもって言ったって
一人のひとなんだから、
こちらの思うようになんか
全然ならない。
だけど
親なんだから
なんとかせねば…
と頑張っていたのだ。
あら若いなぁ〜と今なら思うけど、
当時はなかなかに真面目でカチコチで
しんどい日々を送っていた。
なにがしんどいって…
ちっちゃい子どもたちには、
まずは、
お世話
をしてあげなきゃいけない。
山ほどあるお世話を
真面目に完璧にやろうと
必死でこなす。
ほぼワンオペだった。
お世話にはずいぶん振り回されたが、
それ以外に
もうひとつ
相手
もしてあげなくちゃいけない
ってのが
計算外だった。
この
相手役として子どもに翻弄される日々が、
若くて
お世話をちゃんとやらねばと
必死になってるわたしには
なかなかにたいへんだった。
わけのわからないことを言う
思うようにならないひとの
相手
だ。
これ、
真面目で
完璧にお世話をやり遂げたいわたしには
苦手だった。
よくわからないことを繰り返す遊びに
合わせて
楽しんでるふうに
付き合うとか。
わたしには
ちっともおもしろくない。
でも
おもしろそうに
心を込めて親切に
相手をし続けなきゃいけないんだろうと
若いわたしは思っていた。
おろそかにしたり
ほっといたりしたら
きっと
子どもの人格形成に問題が…
なんて考えて、
わたしがおもしろくなくたって
そんな気持ちは隠して
我慢しなくちゃいけない
って思っていた。
わけのわからない相手の中で
特にダメージが大きかったのが、
子どもからの
なんでなんで攻撃
だった。
あるいっとき、
子どもから
なにを言っても
なんで
と言われる時期がある。
答えてもまた
なんで
と来る。
禅問答みたいになってくる。
なんでってなに???
なんで
なんでって言うの???
もう
わけがわからない。
でもわたしは親だから
真面目に
すべてに丁寧に
そして正確に
答えなくてはならないと思っていた。
この
なんでなんで攻撃は
ヤダ!
より
わたしにはしんどかった。
時が過ぎ
ふたりめ…
さんにんめ…
よにんめ…
と子どもたちが増えるにつれて、
わたしは
この
なんでなんで攻撃のかわし方が
うまくなった。
わかったのだ。
子どもは
正解が知りたいっていうよりも
やりとりを楽しみたいだけなのだ。
だから
いいかげんな答えをしたって
全然構わない。
そして
わたしが答えなくたって
全然構わない。
なんで…
と来たら、
お兄ちゃんに聞いてみな!!
と
にっこりほほえんで
なんど返したことか。
お兄ちゃんは
わたしよりヒマだし
わたしより親切だ。
答えはいいかげんだけど、
相手としては
適任だ。
いいのだ
謎が謎を呼ぶ
なんの話だかわからない答えでも
ほら
みんな
うれしそうじゃないか!
いま振り返って
このころのわたしに
伝えたいことは、
いいかげんでよし!
頼れ!
あらゆるものを使え!
ということと…
なんのはなしですか
という
魔法のひとことだ。
