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ゴミ捨て場を公園にすること、抑留の現場で歴史を伝えること

 戦後80年の節目の年である2025年。天皇皇后両陛下が日本の天皇として初めてモンゴルを公式訪問された。その様子は日本及びモンゴルのメディアで報道されたので、ご覧になった方も多いだろう。
 また、抑留死没者慰霊碑に供花される様子が報道されたことで、モンゴルでもソ連による強制抑留があったことを初めて知ったという方もおられると思う。
 10月21日、私のシラスのチャンネルで、モンゴル人をゲストに配信を行った。「ゴミ捨て場を公園にすること、抑留の現場で歴史を伝えること」というタイトルの番組を配信した。

10月21日の番組

ゴミ捨て場になっていた「採石場」

 日本人抑留者は、まだ建設が始まったばかりのモンゴル人民共和国の首都ウランバートルの建設に従事させられた。スフバートル広場を中心に、政府庁舎、外務省、オペラ劇場、映画館、中央図書館、モンゴル国立大学など多くの建物の建設現場に抑留者たちが配置された。
 建築現場で使用される資材になる石を切り出していた採石場が何箇所かあり、採石場としての役割を終えると、ゴミ捨て場にされてしまっていた。
 そのゴミ捨て場を、私財を投入して公園に整備したのが、この配信での主役、ウルジートグトホである。
 ゲル集落に公園を作りたいと考えていたウルジートグトホは、この採石場跡地のゴミ捨て場の使用権を得た。
 そもそもは窪地の上の方は丘になっており、ウランバートルの街並みがよく見える場所だったことが気に入ったという。しかし、ゴミ捨て場になっている窪地で子どもたちが遊んでいることに心を痛め、まずはゴミを片付けることにした。

夏場はボート遊び、冬はスケート遊び

 ゴミ捨て場は、夏場に少し水たまりができることから、地下水脈があるのではないか、と考えたという。近隣の人に聞くと、確かにかつては池があったという。
 ゴミを片付けると、夏場には池になり、冬は完全に凍結した。
 ウルジートグトホは冬場にスケート場として、レンタルの靴などを用意して、安価で近隣の子どもたちが遊べるようにしたという。
 ゲル集落は、集合住宅がある中心部と違って子どもたちが安全に遊べる遊び場がほとんどない。スケート場は近隣から高い評判を得ることになった。
 そんなときに、この池の窪地はどうしたのか? 自分で掘ったのか? などと聞かれたという。
 なぜここに窪地があるのか由来を知らなかったウルジートグトホは歴史を調べ始めた。

「日本人抑留」の歴史を知る

 調べていくうちにわかったのは、池がある窪地は建設資材の石を切り出したためにできたもので、第2次世界大戦後は日本人抑留者が強制労働に従事し、日本人抑留者が帰還した後は、モンゴル人の受刑者が働いていたという歴史を知った。
 日本人が「抑留」されていたことを知らなかったウルジートグトホは衝撃を受け、さらに詳しく歴史を調べることにした。日本人抑留者の強制労働により、ウランバートル中心部の主要な建造物が作られ、その多くが現役で使用されている。そして、抑留中に多くの日本人が命を落とし、「日本人墓地」などに眠っていたことも知った。

歴史を伝える「サクラ博物館」

 子どもたちの遊び場が抑留者たちの強制労働の現場だった歴史を伝えたいと考えたウルジートグトホは、敷地内にゲル(モンゴル遊牧民の伝統的な移動式住居)一つを使って、資料を展示し「さくら」と名付けた。

日本人抑留者の博物館「さくら」開館式 在モンゴル日本大使館 

 この博物館は無料で見学できる。
 このように、子どもたちの遊び場の整備とともに、日本人抑留の歴史を伝えるという2つの大きな活動を、現在では同時進行で行っているウルジートグトホの話はとても興味深いものだった。ぜひ、上のリンクから配信をご覧いただければと思う。なお、無料で視聴できるのは冒頭30分のみである。
 ウルジートグトホは現在も日本人抑留の歴史研究を個人的に続けている。
 モンゴル側の資料は、公文書館に保管されている当時の資料のほかは、書籍が2冊あるだけだという。日本側の資料を関係者や知人から提供されるなどしており、日本語を読めないウルジートグトホは、Google翻訳を利用して、モンゴル語に変換して読んでいるという。
 今後は、ゲル一つでは手狭なので、新しく建物を作る計画を進めている。今後、一番のハードルは資金をどうするかということだという。
 日本で生活しているモンゴル人を含め、多くの人から協力を得たいと考えているそうだ。


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