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『進化論と文明論で「日本史」を訂正する!』 2/16(日)シラス配信

 わたしのシラスチャンネルでおなじみの與那覇潤さんをゲストにお招きした配信を、2/16(日)15:00-18:00に行います。

 與那覇潤さんがnoteで紹介してくださっています。

 日曜の午後のひととき、進化論と文明論をキーワードに議論を展開する予定ですので、お楽しみいただけると幸いです。なお、基本的に有料の配信ですが、冒頭30分のみは無料でご覧いただけますので、無料部分をご覧になった上での購入も可能です。また、アーカイブでの視聴も可能です。

杉山正明『遊牧民から見た世界史』

 與那覇さんがシラスの配信で取り上げる予定の2冊の本のうち、『平和の遺伝子』に言及されているので、こちらではもう一冊の書籍『遊牧民から見た世界史』に関してご紹介しよう。

 日本は古くから漢字文化圏であり、中国から様々な文化を受容してきた。
 それに対して、モンゴルを含めた遊牧民の文化圏は、漢字文化圏には入っていない。チンギス・ハーンにはじまる大モンゴル国において、フビライ・ハーンの時代には南宋まで勢力下においたのちでも、自らの言語表記に漢字を持ち込むことは一切しなかった。この当時から使われているのが「モンゴル文字」で縦書きで、左から右へ行が進んでいくのが特徴である。当初はウイグル文字をそのまま使っていたが後にモンゴル語の性質に合わせた改良を行い、その後はわずかな変更はあったものの現在でも使用されている。
 日本語の言語性質は、中国語よりもはるかにモンゴル語の方が近い。語順はほぼ同じであること、単語に対して接尾辞がついて変化していく膠着語の性質など、言語の根幹にかかわる部分として性質が似ている。音声面でいえば、中国語のような声調がないことも共通している。逆に中国語には格助詞はなく、動詞の活用もない。
 それでも日本は古い時代に漢字を物や熟語と共に輸入し、日本語の動詞の活用や助詞の表記などをするために、漢字を基に仮名文字を作った。個人的にはこのあたりに無理やり感を意識せざるを得ないのだが、当時の日本人にとっては文字とはそういうものだったのだし、その後も漢字かな交じり文という世界的に見てもトップレベルに変態な文字表記体系を育んでしまった。
 これは、善悪の話ではない。よいわるいに関わらず、現在の日本文化や日本人の思考の根底にこういうものが厳然として存在している、という事である。

『平和の遺伝子』では、西欧ないし西洋中心に影響されない議論が展開されている。一言でいうと日本人の「平和ボケ」は敗戦後にはじまったものではなく、日本人の文化的遺伝子になるくらいには長い伝統がある、という主張だ。
 それに対して『平和の遺伝子』の弱みとして見えるのが、中華思想のくびきだ。梅棹忠夫の『文明の生態史観』からの引用もあるが、『文明の生態史観』ですら、中華思想のくびきが明らかに見えるので仕方ない面もあるだろう。日本人のモンゴル観は長年、おおむね漢文文献によって形成され来たのだから。
 それは何かというと、「遊牧民」は「破壊」や「略奪」、「殺戮」しかしてこなかった「文明」の破壊者、「反文明」の「野蛮人」である、という解釈である。
 杉山正明はモンゴル帝国時代にモンゴル人の手によって、あるいはモンゴル人側の立場にたった人物によって書かれた文献を徹底的に研究した人物である。『遊牧民から見た世界史』の中でも、漢文文献特有の癖に言及し、その中に見え隠れする「中華思想」を批判している。
『遊牧民から見た世界史』に関しては、遊牧民が「国家」と呼びうる体制を作ったと思われる、スキタイ(スキュタイ)やアケメネス朝ペルシャにまでさかのぼって論ずることで、ややもすれば農耕文明こそ文明であるとしがちな文明観を超えて、遊牧民が果たした役割に目を向けている。

遊牧民と日本の関係

 日本と遊牧民族の直接的な接触は全くと言っていいほどなかった。唯一とも言える「元寇」に関しても、騎馬遊牧民が直接海を渡って攻めてきたわけではない。
 では、遊牧文明や遊牧王朝の興亡など、歴史的にも文化的にも関係が希薄な日本にとって、何が得られるのか…
 與那覇潤さんとの対談でじっくりとお話することになるが、前述のように日本を、日本の文化を、日本の歴史を、相対化して観るためには、良くも悪くも日本が強い影響を受けている中華文明とは対極にあるとも言える遊牧民の視点が、極めて大きな意味を持つと考えている。
 中華王朝としては最も大きな版図となったのは、モンゴル帝国であった。騎馬兵の機動力を中心とした圧倒的な軍事力で、広大な版図を可能にしたと思われがちであるが、実はそれは一面に過ぎない。
 フビライ・ハーンを中心としたモンゴル帝国は、極めて重商主義的な国家であり、また陸の帝国から海の帝国へと変貌も遂げていた。
 それに反して、中華文明は農本主義的であり、商業や流通を蔑視している。だからこそ、漢文史料では商業や流通などに力を入れたフビライ・ハーンとその側近たちの働きがほとんど描かれない。
 多くの日本人は、そのような中華フィルターを経由した遊牧民観やモンゴル観の影響を強く受け続けてきたのである。
 すなわち日本のあり方を相対化するために、まずは欧米フィルターないしは西洋フィルターの存在を意識する必要があることと同様に、無意識に根付いている中華フィルターも相対化しなければ、日本の相対化はおぼつかないのではないか。そういう色眼鏡を色眼鏡であると意識させてくれる本が『遊牧民から見た世界史』であると思っている。
『平和の遺伝子』と『遊牧民から見た世界史』をあわせて読むことで、極めて濃厚な議論ができると思う。ぜひ、配信を覗いてみていただきたい。

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