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【元ネタ深掘り】第5部「黄金の風」feat.スクアーロ ・ ティッツァーノ・カルネ

『ジョジョの奇妙な冒険』第5部「黄金の風」に登場するボス親衛隊は、ディアボロ(ボス)直属の精鋭部隊であり、暗殺チーム以上に高度な任務遂行能力を持つメンバーで構成されています。

スクアーロ & ティッツァーノ

スクアーロ

非常に冷静で戦略的な思考を持ち、ティッツァーノとの連携によって巧妙な攻撃を仕掛けます。

スタンド「クラッシュ」

水を介して瞬間移動し、奇襲攻撃を仕掛けるスタンド。
敵を噛みつくことで大きなダメージを与える攻撃型能力。


元ネタは、イギリスのパンクバンド

「The Clash」

The Clash is the debut studio album

The Clashは、1976年にイギリス・ロンドンで結成された伝説的なパンク・ロックバンドであり、単なるパンクの枠を超え、社会的メッセージ、音楽の多様性、そして革新性を持ち合わせたバンドです。


パンクの始祖であるセックス・ピストルズが「破壊と混乱」の象徴ならば、ザ・クラッシュは「怒りと反骨精神を持ちながら、音楽的に進化し続けたバンド」でした。

彼らは「パンクは3コードだけでいい」という単純な音楽性を超えて、レゲエ、ダブ、ファンク、ジャズ、ヒップホップ、ロカビリーなど、幅広い音楽ジャンルを取り入れながらも、反骨精神あふれる音楽を作り続けました。

その影響力は、後のロック、オルタナティブ・ロック、ヒップホップにも及んでいます。

London Calling

『London Calling』は音楽史に残る名盤として、現在も多くのアーティストに影響を与えています。



『Combat Rock』(1982年)はバンドのベストセラーアルバムで、アメリカではダブルプラチナに認定され、イギリスでは2位に達しました。



ティッツァーノ

作戦中も陽気な態度を見せる一方、スクアーロとの信頼関係が非常に深く、彼を全力でサポートします。

スタンド「トーキング・ヘッド」

標的の言葉をすべて嘘にする能力。
スタンドが標的に取り付くことで、標的は真実を話せなくなり、嘘しか話せなくなります。


元ネタは、アメリカのニューウェーブバンド

「Talking Heads」

Talking Heads は、1970年代後半から1980年代にかけて活躍したアメリカのニューウェーブ/ポストパンクバンド。

アートロック、実験音楽、ファンク、アフロビート、電子音楽 など、多様な音楽要素を取り入れた前衛的なスタイルで、ロックシーンに革命をもたらしました。



『Remain in Light』(1980年)は、アフロビートを大胆に導入し、ポストパンク/ニューウェーブの最高峰とされるアルバム。

Remain in Light


『Speaking in Tongues』(1983年)からのシングルカット
「Burning Down the House」がアメリカで最もヒットした楽曲です。


荒木先生が伝えたかったこと


スクアーロ とティッツァーノは、互いのスタンド「クラッシュ」と「トーキング・ヘッド」を組み合わせることで強力なコンビネーションを発揮する、連携型の戦闘スタイルを持つキャラクターです。

しかし、元ネタである The Clash と Talking Heads には、共演した記録はなく、直接的なコラボレーションの歴史はありません。


The Clashは、単なるパンクロックバンドではなく、社会への反抗、音楽の自由、そして多様性を象徴する存在でしたから、このバンドの攻撃性、機動力、反骨精神をスクアーロのスタンド「クラッシュ」に込めたと考えられます。

Talking Heads は、音楽的な実験性、知的なアート志向、不条理なユーモア を持ったバンドでしたから、「現実の歪み」「嘘」「コミュニケーションの混乱」 というテーマを、スタンド「トーキング・ヘッド」に落とし込んだと考えられます。

「異なるものが組み合わさることで新しい価値が生まれる」

荒木先生は、「異なる個性が補完し合うことで最大の力を発揮する」ことを表現したのではないでしょうか?



カルネ

ほとんど台詞がなく、登場シーンも極端に少ない謎多きキャラクター。
他の親衛隊メンバーのように戦略的な行動をとるわけではなく、命を捨てる覚悟で敵に突撃します。

スタンド「ノトーリアス・B・I・G」

シリーズ屈指の「本体の死後に発動する自動操縦型スタンド」。
敵の動きに反応し、自動追尾する「成長」するスタンドであり、動くものを吸収して進化します。


元ネタは

The Notorious B.I.G.

本名:クリストファー・ジョージ・ラトーレ・ウォーレス
(1972年5月21日~1997年3月9日)

愛称はビギー・スモールズ(Biggie Smalls)
単にビギー(Biggie)とも呼ばれる。

1990年代のアメリカ東海岸ヒップホップシーンを代表する伝説的ラッパー。彼の重厚なリリックと独特のフロウは、多くのリスナーに深い印象を与えました。

ニューヨーク・ブルックリンで生まれ育ったウォーレスは、17歳の頃、武器の不法所持で逮捕されました(5ヶ月の執行猶予判決)
これを機に、ジョージ・ウェスティンハウス情報技術高校を退学。

麻薬の売人時代から、そのカリスマ性でよく知られた存在で、フリースタイルバトルで頭角を現しました。
その才能がプロデューサーのショーン・コムズ(パフ・ダディ)の目に留まり、Bad Boy Recordsと契約。

東西抗争の始まり

1993年
ビギーは、仕事でロサンゼルスを訪れた際に地元のドラッグディーラーを介して2Pacと出会い、その後二人は友情を育みました。

2Pac

ビギーはデビュー前に2Pacにマネジメントを依頼しましたが、2Pacは反応しました。

ショーン・コムズ(パフ・ダディ)に任せておけば大丈夫」


1994年9月18日

ビギーがデビュー・アルバム『Ready To Die』リリース

Ready To Die

1994年11月30日
2Pacは、ビギーがレコーディングしているタイムズスクエアにあるクワッド・レコーディング・スタジオを訪れ、強盗襲撃事件(頭部に2発、股間に2発、手に1発もの銃弾を被弾)に巻き込まれました。

2Pacは一命を取り留めましたが、この事件を仕組んだのは

ショーン・コムズ(パフ・ダディ)とビギーだ

と思い込んでしまったのです。

Who Shot Ya?


1995年8月3日

ニューヨークの会場で全国放送されている『The Source Awards』の授賞式で、Death Row Recordsのシュグ・ナイトが、ショーン・コムズ(パフ・ダディ)をディスったのです。

2Pacよ常に周りに注意しておけ。俺らはお前の味方だからな。そしてアーティストやスターになりたいけど、プロデューサーがやたら曲中に登場したり、MVにてずっと踊ってたりするのが嫌なやつはデス・ロウにこい。


ドクター・ドレー(Dr. Dre)がベストプロデューサー賞を受賞した時、観客からはDJ Premierが受賞しなかったことにブーイングの声も聞こえる中、スヌープ・ドッグがマイク・パフォーマンスを行ったのです。

お前ら東海岸はドレーとスヌープにリスペクトがないのか!?
お前らは西海岸に愛がないのか!?


「東海岸VS西海岸ヒップホップ抗争」の幕が切って落とされました


Bad Boy Records vs Death Row Records


2Pacの保釈金をDeath Row Recordsが肩代わり


【2Pacの逮捕歴】

1993年4月5日
野球のバットで別のラッパーを倒して10日間ミシガン刑務所

1993年10月31日
警察官が嫌がらせを受けていたと感じた黒人運転手を助けるために警官との争いに発展(結果的には告訴は取り下げられた)

1993年11月18日
ニューヨークで性的虐待と同性愛罪と武器犯罪で逮捕

1994年11月10日
映画「Meance II」に出演する予定だったが監督を殴って15日間の刑務所へ

1995年2月14日
クリントン矯正施設で9ヶ月間働くことに(1993年11月18日の件)


1995年10月
シュグ"・ナイト(Death Row Records)の申し出を受け入れた2Pacは獄中で契約

【条件】保釈金140万ドルを支払う代わりにアルバム3枚をリリースすること
(8ヶ月の刑務所生活から解放される)

2Pacは10月13日から2週間スタジオにこもってレコーディング

1996年2月13日
ヒップホップ史上初の2枚組アルバム
『All Eyez On Me/オール・アイズ・オン・ミー』をリリース


ニューヨークの特定のラッパーをディスる曲「Hit 'Em Up (Dirty)」リリース
ビギーの楽曲『Who Shot Ya』のアンサー・ソングと言われています。

2Pac - Hit 'Em Up (Dirty)


取り返しがつかない事態に


1996年9月7日
ラスヴェガスで行われたマイク・タイソンの試合観戦後、シュグ・ナイトが運転する車に同乗していた2Pac

横付けされたキャデラックに乗る何者かが発砲した銃弾が2Pacの胸と腰、右手、太ももに命中

2Pacはすぐに病院へ運ばれて緊急手術を受けたが

9月13日午後4時3分に息を引き取る(享年25歳)

運転席にいたシュグ・ナイトは破片で頭にかすり傷を負っただけ

今だに犯人は捕まっていない


1997年3月8日
ビギーことノトーリアス・B.I.G.1997年3月25日にリリースされるセカンド・アルバム『Life After Death(1997年3月25日リリース)』のプロモーションでロスを訪れて、プレゼンターとして「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」に出席

1997年3月9日0時30分頃
何者かが乗るシボレー・インパラが横付けされ、ビギーは4発被弾した

病院へ運ばれたが1時15分に死亡が確認された(享年24歳)

犯人の似顔絵が公開されたが逮捕に至っていない



続く、、、



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