それは、ただの“個人的トラブル”ではない─ガスライティング、ナルシシズム、職場の心理的虐待
私たちが誰かと深く関わるとき
それがアートの現場でも、職場でも、あるいは小さなチームであっても
対話や信頼が破綻していく場面に出くわすことがあります。
「そんなつもりで言ったんじゃないのに…」
「どうして、こんなふうに歪められてしまうのか?」
そして、気づけば「悪者」にされている。
これは単なる“誤解”では済まない、もっと根深く、構造的な問題かもしれません。
ガスライティング─記憶を否定される痛み
心理学の用語で「ガスライティング(gaslighting)」と呼ばれる行為があります。
これは、相手の記憶や認識を否定し、じわじわと「自分はおかしいのかもしれない」と思わせる精神的操作のこと。
たとえば、
言っていないことを「あなたが言った」と責められる
実際に見た・聞いた事実を「そんなことなかった」と否定される
誰かをかばうと「あなたも同罪」と断定される
こうした積み重ねが、「私は間違っていたのかもしれない」と自己否定を加速させていきます。
ガスライティングという言葉はもともと、1944年の映画『ガス燈(Gaslight)』に由来しています。
夫が妻に「お前の記憶は間違っている」と思わせ続け、精神を追い詰めていく、そんな心理的操作を指すようになりました。

この概念は、近年ますます注目されています。
とくに“職場”におけるガスライティングは、単なる性格の問題ではなく、明らかに“構造的な問題”として研究が進んでいるのです。
ガスライティングは、たった一人の加害者の「性格の歪み」だけで説明できるものではありません。
むしろ問題の本質は、それが組織のなかで“機能してしまう”構造や文化にあります。
Wikipedia英語版「Workplace Gaslighting」の記述より
“Gaslighting at work is a form of psychological abuse in which the perpetrator manipulates information or events to make the victim question their memory, perception, or sanity.”
「職場におけるガスライティングとは、加害者が情報や出来事を操作して、被害者が自分の記憶・認識・正気を疑うように仕向ける心理的虐待である」
同記事では、以下のような現象との関連が示されています:
Abusive supervision(権威の濫用)
Toxic leadership(有害なリーダーシップ)
Mobbing(組織内いじめ)
つまりガスライティングは、ただの対話のすれ違いではなく、「支配」や「操作」に基づいた、権力構造による暴力であるとされています。
近年の研究:Tripathi et al., 2022
インドの研究者たちによる2022年のレビュー論文(Tripathi et al., Gaslighting in interpersonal and organizational contexts)では、ガスライティングが発生する背景として以下の点が指摘されています。
ナルシシズム傾向のある人物が、自己の価値を守るために攻撃的に振る舞う
組織文化がそれを容認し、誰も異議を唱えないことで加害が継続される
被害者は長期にわたる心理的疲弊・離職・孤立に追い込まれる
この研究は、ガスライティングが“静かな精神的暴力”でありながら、深刻な職場崩壊の引き金となることを改めて強調しています。
ナルシシズムと“豹変”する人たち
さらに、こうした行為の背後に見え隠れするのが「自己愛性人格障害(ナルシシズム)」の傾向です。
ナルシシズムを持つ人々は、自分の支配・評価・立場が脅かされそうになると、突如豹変し、他人を攻撃・否定する行動に出ることがあります。
この「豹変」は、周囲にとっては唐突で理不尽なものに見えますが、本人にとっては“自分の正しさを守るための当然の防衛”なのです。
その結果、周囲は
急激な暴言や決めつけ
一方的な断罪
記憶や事実の“書き換え” に巻き込まれ、深い精神的ダメージを受けることになります。
では、なぜこうした「豹変」は起きるのでしょうか?
「自己愛性人格特性(ナルシシズム)」は、しばしば「自己中心的」「自信過剰」といったイメージで語られがちですが、本質的には、不安定で脆い自己像を守るための“過剰な自己防衛”がその根底にあります。
こうした人々は、表面的には自信に満ちていたり、優しげで魅力的に見えたりしますが、内面では「自分が否定されること」や「無力な存在だと思われること」への強い恐れを抱えています。
このため、周囲からのちょっとした指摘や提案、意見の違いを「攻撃された」と感じてしまい、次のような心理的プロセスが始まります。
自分の“理想像”が脅かされる
→(例:「あなたは間違っていないですか?」という一言が、“自分の正当性を否定された”と受け取られる)強い不安と怒りが生まれる
→(「バカにされた」「コントロールされそうだ」と感じる)自分を守るために相手を“悪者”にする
→(急に怒鳴る/無視する/過去の出来事を捏造して「裏切られた」と主張する)
こうした一連の反応は、心理学では「ナルシシスティック・レイジ(narcissistic rage)」や「スプリッティング(分裂思考)」とも呼ばれます。
これは、自己像を守るために“善悪”や“正誤”を極端に二分化して世界を見てしまう心理現象です。
つまり、相手を「信頼できる協力者」から一転して「裏切り者」へとラベリングし直し、自分の“正しさ”と“被害者性”を保とうとするのです。
そして、これは一度起きてしまうと、対話や論理、事実による修復は極めて困難になります。
なぜなら、相手にとって「事実」とは、自分の内面を守るために必要な“物語”だからです。
“壊れているのは私じゃない”
ガスライティングに巻き込まれた人は、たいてい「自分が間違っているのでは?」「私が悪いのかも」と思いがちです。
でも、研究も現場の声も、それが「組織の病理」からくる被害であることを証明しています。
だから、声をあげていい。記録していい。
あなたが“おかしいと思ったその感覚”は、間違っていません。
ガスライティングとは、個人ではなく“構造”がつくる病なのです。
そして、その構造に風穴を開けるためには、被害者自身が「可視化すること」つまり、声をあげることが最初の一歩となります。
沈黙に包まれたままでは、構造は温存され、また新たな被害者が生まれるでしょう。
だからこそ、「こんなことがあった」と記録すること、言葉にすることが、社会にとっても重要なのです。
だから私は、記録することにした
私自身も、善意で始めた関係性のなかで、記憶をねじ曲げられ、誤解され、ついには「悪者」にされていく経験をしました。
ある日を境に、突然相手が豹変し、暴言や決めつけ、過去の捏造が始まったのです。
そのときの衝撃は、「心の底が抜けるような」感覚でした。
しかし、私の経験は決して特別なものではなく、多くの人が職場や地域、文化活動のなかで似たような体験をしていることに気づかされました。
“被害を受けた”というだけで黙っていると、
「そんな人じゃない」と否定される
「どっちもどっちでしょ」と矮小化される
「あなたにも非がある」とすり替えられる
そうして二次被害が積み重なっていきます。
だからこそ、私は「note」という場所に、自分の体験を丁寧に、構造的に、言語化して記録することにしました。
この記録が、同じような苦しみを抱える誰かにとっての道標となり、これ以上“野放し”にされないための証言となり、日本のアート業界や職場文化の再構築につながっていくことを願って。
