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自らの姿勢について(2025年3月27日)

自らの姿勢について、現時点での考えを雑駁に記す。

混沌とする現代は、分裂の時代だと言われる。我々人類は、コロナ禍を経て、ますますその傾向を強め、また、世界各地で紛争が絶えない悲惨な現状を生きている。社会は分断され、それぞれが他者に向かって、己の正義と利益を主張し、糾弾し、非難し、対立は深まる一方だ。悲しみが恨みを呼び、恨みが悲しみを呼ぶという負の循環の21世紀を、どうしたら変えられるだろうか。我々人類には、どのような希望が残されているのだろうか。

私は、藝能が、人類を救済することになると思う。

藝能は古来、人々の生活に根付き、人々の生活・喜怒哀楽とともにあった。人々の感情を赤裸々に吐露し、人々の感情がそこに憑依した。藝能に携わった人々は、決して階層によって分けられず、さまざまな人が、その階層を越えて、藝能を愛し、藝能に癒されてきた。そして藝能に希望を託し、実際に藝能に救済されてきたのだ。その藝能のひとつの到達点が近世の藝能であり、それは、中世までの藝能の流れを明確に受けつつ、より人々の人格や社会経済が明示される形で開花したのだ。

個人主義が展開し、覇権主義が横行する現代において、これまで人々を感情によって繋げてきた藝能という存在が、救世主となることを疑わない。ここでは近世のような共同体的な繋がりが求められるのではなく、新たな藝能との関わりが希求されることは間違いない。しかし、藝能がこれまでの果たしてきた実績を鑑みるに、人々を繋げ、前に歩ませていく(広い意味で人類を存続させる)ために、藝能の果たせる役割は非常に大きいと考える。

この文脈において、藝能が歴史上果たしてきた役割をより具体的に検証し、分断される現代での有効性を立証することは非常に有意義であると考える。

そこで、私が藝能の中でも、人形浄瑠璃を研究対象とすることの意義は以下の通りである。すなわち、人形浄瑠璃の形態の特殊性である。舞台上に創出される人間の感情の連鎖の表象、すなわち藝能的空間を、役者という一種類のファクターで維持することを放棄したのが人形浄瑠璃である。太夫と三味線、そして三人遣いを主体とする人形の三業によって藝能的空間を展開する様は、非常に特異である。それが近世的藝能のひとつの達成の様を表すとするなら、この藝能に当時の人々の感情がどのように織り込まれ、当時の人々がこの藝能とどのように共鳴したのかを明らかにすることは、現代の藝能との関わりの可能性を探究する上で、非常に有効と言えるだろう。

浄瑠璃がどのような過程で作られたかを明らかにすることが、近世人と浄瑠璃との関わりを明らかにする方策であることは自明だが、それを人々がどのように享受したのかを明らかにする営みも、藝能との接点を見出すことにつながらないはずがない。当時の人々がどのような共通認識・共通知識を有した上で、浄瑠璃と向き合っていたかが、当面の最大の関心事である。当時の人々が何を観ていたかや何を読んでいたかは、義太夫年表や丸本の書誌学的研究の進展で、徐々に明らかにされつつあるかと思う。一方で、どのような背景をもって、浄瑠璃に接していたかは、依然として検討の余地があるのではないかと考える。例えば、ある浄瑠璃が軍記を典拠に含むとして、それに触れる(人形浄瑠璃として観劇する/丸本を出版物として読む)人がどのような認識・知識を持っていたか(あるいは作者や他の人々と共有していたか)という点において、浄瑠璃研究は、近年更新されている軍記研究の業績を着実に活かせているだろうか。浄瑠璃と軍記の関係を、その享受層をも視座に入れつつ、改めて見直すことはできるのではないだろうか。

そのような視点を持って、浄瑠璃やその周辺文学にあたりたい。そしてそこを基準としつつ、演劇としての人形浄瑠璃のあり方、藝能の将来的有効性を実証したい。これが、現時点で、私を研究に駆り立てるパトスである。

ここでひとつ注意したいのは、藝能と藝術の違いである。藝能と藝術は明確に違う。藝能が共同体によって共有される藝を基盤とするのに対して、藝術は個人の情熱的発露を基盤としてそれが公衆に受け入れられる様を指すと考える。そして近代以降、藝能と藝術は混淆され、混乱が生じている。もちろん、藝の極致に藝術的側面は認められ、また一方で藝術にも共同体的な藝能的側面が認められる場合もあるが、しかし本質的には藝能と藝術は違う存在である。それがあたかも似たようなもののように扱われるのは、誤謬を招くものであり、その違いを明確に言語化して立証することも、藝能が人類を救済することの証明が自らに与えられた社会的使命であるとするならば、重要なことなのかもしれない。

藝能の特徴は、積層性の上に成り立っていることである。それ単体では成立し得ず、その時代までに存在するさまざまな要素を共同体的に取り入れながら成立して、展開していく。近代以降、それまでの時代の積層が完全に否定され、さらには個人主義の進展も相まって、共同体が破壊された現代において、そのような藝能がどれほどの意味を持続できるかは不審せざるをえない。しかし、藝能の人を繋げる能力を信じ、現代に藝能を再び立ち上がらせることが、私に課せられた使命なのだと思う。

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