何も続かなかった自分が トライアスロンだけは続いた理由
自分は、何をやっても続かない人間だ。
興味を持って始めても、
気づけばやめている。
すぐに飽きてしまう。
これまで生きてきた中で、
趣味と呼べるものはたくさんあった。
でも、長続きしているものはほとんどなかった。
そもそも、
ゲーム以外の趣味がなかった陰キャな自分は、
社会人になってから、周りに勧められるがまま、誘われるままにいろいろやった。
スキー、スノーボード、ビリヤード。
オンラインゲーム。
スケートにアイスホッケー、ローラーブレード。
バイクにサーフィン。他。
思い返せば、オンライゲームだけは元々ゲーム好きも相まって、4年も続いた。
たばこと麻雀だけは頑なに手を出さなかったな。
どれも「つまらなかった」わけじゃない。
楽しいと感じるものももちろんあった。
でも、どれも長くは続かなかった。
楽しいけど何かが違う、あるいは、
時間や何かを失っている気がしていた。
理由はシンプルで、
心の底から充実感を得られるものはなかった。
だから続かなかったのだと思う。
◽️そもそも運動は大の苦手
初めに言っておくと、自分は運動が得意な人間ではなかった。
いわゆる「運動音痴」だったと思う。
センスもなかった。
特に走るのは遅かった。
他人に迷惑がかかるから、リレーなどのチーム競技やバスケやサッカーなどの球技が苦手だった。
子どもの頃から、
タイムや身体操作の巧さ、見た目で優劣がはっきり出るスポーツが嫌だった。
◽️でも、水泳だけは違った
その代わり、水泳だけは違った。
小さい頃からスイミングに通わせてもらって、
水泳だけは、人より少し速く泳げた。
だから大人になってからも、
趣味を書く欄には、
とりあえず「水泳」と書いていた。
本当に好きなのかどうかは、
正直よくわからなかったけど。
自分にとって水泳だけは、唯一の特技と言ってもいいものだった。
と言っても、大会で優勝したとか、そんなレベルではない。地方の県大会でギリギリ入賞できるかどうか、たまたま新人戦で一回入賞した程度の実力。
夏の時だけ、プールでは並の人よりは早い。
それだけで好きになるには十分な動機だった。
そんな自分が、
なぜかトライアスロンだけは続いている。
正直、最初から好きだったわけじゃない。
むしろ、苦手なもののほうが多かった。
それでも続いている。
その理由は、
自分の中に“強い意志”があったからじゃない。
◽️好きなものが見つからない時代
むしろ、その逆だ。
自分の好きなものがわからない。
趣味が見つからない。
気づけば、ずっと探し続けている。
そんな人が、今は多い気がする。
当時はそういう定義がなかっただけで、
過去の自分もそうだったのかもしれない。
今は情報が多すぎる時代。
スマホ、SNS。AIの影響は特に大きい。
その結果、タイパやコスパが重視されて、
無駄なく、苦労せず、効率よく人生を攻略しようとする人が後をたたない。
人生をゲームのように捉えること自体は悪くない。
でも、ひとつだけ大きな違いがある。
現実の人生には、決められた攻略法がない。
正解ルートもなければ、
誰がやっても同じ結果になる道もない。
それなのに、
「正解があるはずだ」
「もっと効率のいいやり方があるはずだ」
そう思ってしまう。
だから迷う。
だから決められない。
だから、他人やAIが勧める攻略法にすがりたくなる。
だから、“自分だけの好き”がわからなくなる。
本当はシンプルだ。
正解なんて、最初からない。
自分が信じたものが、
あとから答えになるだけだ。
自分の場合で言えば、それがトライアスロンだった。
でも、トライアスロンそのものが好きなのかと言われると、少し違う。
最近気づいたのは、
自分は「水泳以外の運動そのもの」がコンプレックスであり、
「身体を鍛えないと、周りから置いていかれる」
という強迫観念のようなものに駆られている、ということだった。
前述した趣味をする時にも頭の片隅には、
走らないと、泳がないと、身体を鍛えないと。
運動音痴な自分は、人よりも運動しないといけない。
そんな想いが頭に常によぎる。
だから、多少でも運動した日は心が晴れた。
逆に運動ができないと、何か充実感がない。
それは今も変わらない。
◽️変化した強迫観念のようなモノ
今の自分にとって、
この気持ちはもっとシンプルな欲求に変化している。
今の自分の身体で、どこまでいけるのか。
どこまで速く走れるのか。
どこまで速く進めるのか。
どこまで強くなれるのか。
年齢は40歳を超えたが、
まだ、自分の最高到達点には届いていない。
だから、面白い。
これはたぶん、自分が若い頃に
本気でスポーツをやってこなかったから、
運動に苦手意識があったから、
だと思う。
もしあの頃、限界までやりきっていたら、
あるいは水泳で輝かしい結果を出せていたら、
今ここまで楽しめていなかったかもしれない。
一度見えてしまった“天井”は、高い。
でも本当は、
そのときの限界が、
一生の限界とは限らない。
今は、そう思う。
登り方を変えれば、
歳をとってもまだ上にいける可能性はある。
山の登り方は、ひとつじゃない。
歳をとって登り方が上手くなる。
若さと勢いで登っていた頃とは別の登り方がある。
◽️続けられる理由は、
特に理由もなく、
身体を鍛えられなかった日は、
なぜか少し後悔が残る。
この感覚は、
トライアスロンを始める前からあった。
当時の自分は、好きなことを探していた。
でも、どれも続かなかった。
実は、ロードバイクもトライアスロンも、
若かりし時に一度は勧められてやっている。
でもやめた。
理由はシンプルだ。
ひとりだったから。
続けるには、「環境」が足りなかった。
「仲間」と呼べる存在もいなかった。
今ならわかる。
人は、ひとりでは続けられない。
大会という目標があるから頑張れる。
同じ目的を共有する仲間がいるから続けられる。
家族など、大切な誰かの存在を感じるから、踏み込める。
そして、自分が変わったきっかけは、大会だった。
トライアスロンの大会に出ると決めた。
決めたからには、やるしかない。
マラソンのときは違った。
「なんとかなるだろう」と思っていた。
結果はボロボロ。
もう2度と走るか、そう思った。
でも、トライアスロンはごまかせない。
泳げなければ終わる。
乗れなければ終わる。
走れなければ終わる。
さらに、トランジッションもある。
機材を忘れたら終わり。
前の人についていくだけでは、完走できない。
大会のルールやコースも知っておく必要がある。
すべてにおいて、逃げ道がない。
だから、やるしかなかった。
続けられた理由は、
意志じゃない。
逃げ道がなかっただけだ。
そしてもうひとつ。
妻の存在も大きい。
正直、あまり褒めてはくれない。
むしろ、
「走らなくていいの?」
「練習しなくていいの?」
「大会で大恥かくよ?」
容赦がない。
でも、それがいい。
弱い自分が出てきたときに、
引き戻してくれる。
だから勝手に思っている。
トライアスロンをやりきる自分でいてほしいと、
思ってくれているんだと。
そして、もうひとつ。
これはあまり綺麗な話じゃない。
でも正直に言う。
「すごいですね」
そう言われたい。
少し誇らしくなりたい。
少し認められたい。
そんな気持ちも、確かにある。
でも、それでいいと思っている。
続く理由なんて、
綺麗じゃなくていい。
気合いじゃなくてもいい。
続けられているもの。
何度も戻ってきているもの。
それが、たぶん
自分の「好き」なんだと思う。
だから今も、続けられている。
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