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勉強論

①始点と終点を定める勉強方法は構造的な制度化によって慣習化される。いわば目的が制度化と直結してそのベクトルが動機づけとなっている。

②だが生活や人生というのは始点と終点を定められないものである。特に理由もなく社会に放り込まれていつか寿命が来て朽ち果てる。

作用は②≫①である。なので①≫②になる事はない。文脈によっては①>②であるがその期間は長い人生のなかではたいして長くはない。長い目で見れば①>②は動機づけにはならない。

もし①≫②を押し通すのならば自己ナラティブと現実に著しいほどの矛盾が展開される事になる。この世界はPDCAサイクルで回っておらずRPG的な数量的ステータスに能力を転化しえない。

しかしアテンションエコノミー+業界系+なろう系の世界観が合致しやすい構造になっているので勉強そのものが制度化+リスキリング思考に容易に回収されやすい社会構造になっている。

そのことを受け入れれば勉強は当然虚無そのものである。よってすべての知識や情報や視点や論点や解釈など何の意味もないのである。仮に制度化に適合したとしても世界のすべてを理解する事はできない。

何の意味もないからやらないのではなく何の意味もないからこそ勉強をする意義があるのである。意味があると思うのであればPDCAサイクルの思考が刷り込まれ現実文脈から離れてしまう。

何の意味もない事を享受する事、終わりなど設定できない事を設定して続ける事が勉強の意義となる。

アウフヘーベンやスペックの積み重ねは勉強の本義ではない。
RPGのレベルアップなど現実の世界には生じない事を享受するトレーニングが勉強の動機づけになるのである。

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