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【歴史23】イラン史備忘録8(アレクサンドロス最期・ディアドコイ戦争・アンティゴノス朝・プトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・リュシマコス)

イラン史の学習内容を深めていきます。

①アレクサンドロスは中央アジアから北西インドまで広がっていたペルシア帝国を征服した。ペルシア人と協力体制をとりアレクサンドリアという都市を建設した。ペルシア人とギリシア人の民族混合政策を行った。

②この中でギリシア人とマケドニア人が対立した。アレクサンドリア長官となったギリシア人が権力を握ったためマケドニア人が抵抗した。BC323年にアレクサンドロスはバビロンで病死した。

③アレクサンドロスが後継者であるディアドコイを決めなかったので各地の有力者が「自らが王だ」と宣言した。そのなかでマケドニア将軍のアンティゴノスが権力を握った。

④アンティゴノスはアナトリア、シリア、パレスチナ(イスラエル)、東方に位置するイランを支配した。BC306年にアンティゴノスはマケドニア王を宣言した。アンティゴノス朝が成立した。

⑤BC305年にプトレマイオスは王を宣言しエジプトを支配した。アンティゴノスによって追われていたセレウコスはバビロンに戻ってセレウコス1世を名乗った。

ここからセレウコス朝シリアとなった。

⑥BC301年にはアナトリア中部のイプソスでプトレマイオスとセレウコスが協力をしてアンティゴノスと戦った。

⑦アンティゴノスは戦死した。

こうしてプトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアとアンティゴノス朝マケドニアの3つの国が成立した。

⑧アレクサンドロスの側近のリュシマコスはアナトリアを支配していた。BC281年にセレウコスと戦い敗れた。

BC323年からBC281年まで続いたアレクサンドロスの後継者戦争をディアドコイ戦争と云う。

⑨BC300年代の末にセレウコス1世はチグリス川河畔にセレウキアという都市をつくった。BC300年にオロンテス川の河畔にアンティオキアという都市をつくった。東はイランの半分、西はアナトリア半島の南部、北はコーカサス地方を支配した。

⑩マケドニア人のセレウコスが支配し広い領土には多くの民族が住んでいたが対立は起こらなかった。

セレウキアを中心に東アジアの絹やインドの香料、アラビアの宝石などの貿易で経済基盤を固めた。

■参考文献 『1冊でわかるイラン史』関 眞興 河出書房新社

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