練習だけしていても上達に限界がある理由
音大生の時、練習することだけが上達への道だと思い、だったら誰よりも練習をすれば良いのだと安直な思考で早朝に大学へ入り、夜は追い出される直前までとにかくトランペットを吹いていました。
でも結論としては同じ学年のトランペットの中でもトップになることもできず、悔しい思いばかりしてきたことが印象深く残っています。
もちろん練習は大切です。テクニックを自分のものにするために奏法を研究したり教則本の隅から隅まで吹けるようにする。合奏や室内楽、ソロの曲を徹底的に譜読みする。楽譜に書かれていることを正しく理解し、作品の場面ごとに自分が思う表現で演奏する。こうしたことは自分と向き合う練習時間をたくさん作らないと手にいれることはできません。
しかし、ここで重要な事実を忘れてはいけません。練習は「自分の中に持っているもの以上は習得することができない」という点です。したがって、何らかの方法で自分の枠を広げるための行為が必要になるのです。
例えば、アゴーギク(緩急を含んだ演奏表現)をつけて歌うように演奏して、と言われても、緩急をつけるための理論がなければその方法は見出せないし、アゴーギクをつけた演奏を聴いて、それがアゴーギクをつけた表現なのだと理解しなければ(それを自分の知識のストックとして取り込んだものがなければ)実現は多分難しいと思います。
吹奏楽団や部活に所属されている方は、必ずと言って良いほど指揮者や指導者に言われたことがある「音を遠くに飛ばす」「響きのある音」「柔らかい音」などの抽象的な表現による指示・指摘を投げかけられた際、それが具体的にどういった方法(奏法や表現)で実現するのかを知り、そして実際にそうした演奏を間近で聴く機会を経験していなければ、「意味がよくわからないけど音を遠くへ飛ばそう」と楽器に息をおもいきり吹き込んでしまったり、「よくわからないけど柔らかい音を出そう」と体をグニャっとさせて軟体動物のような体の使い方で演奏してしまうかもしれません。
方法も目指す結果もわからないのに抽象的な指摘をされただけでは当然わからない。したがって多くの場合、指揮者や指導者が求めている結果とは違う演奏になってしまい結局「違う!」と一喝されてしまったりするわけです。なんと理不尽!
この場合は指導者が具体的にどうするかも合わせて奏者に伝える必要があります。音を遠くへ飛ばすという比喩や抽象的表現では理解できない人がいる可能性を考えて、誤解されないように奏法的なものも含めて伝えなければならないのです。
このように、練習ばかりしていても自分の知識や表現、イメージの枠組みが広がることはありません。そこで、レッスンを受けたり、演奏会に行ったり、音源を聴いたり、そうした「自分の枠を広げる」行為が重要なのです。音楽以外のたくさんの芸術、表現行為に触れることも自分を成長させるためにとても大切です。
トランペットのことを、より具体的に学びたいのであればリサイタルや金管アンサンブルなどを小さいホールやホール前列で生音を浴びてみることをオススメします。僕も学生の時に初めてプロオーケストラにエキストラで乗せていただいた時の前後左右の楽器の音がそれまでイメージしていた管楽器の音と全然違ったことに衝撃を受けました。
練習で自分の技術を高めつつ、外界からたくさんの情報や知識を手にいれる。この繰り返しで演奏力も表現力が広がっていくのだと思います。
荻原明(おぎわらあきら)
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