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顎から見知らぬ毛が生えました。

もうすでに廃校になったが、私が通う高校にはボランティアの授業というものがあり、週に一回、私は老人施設におもむいていた。
まだうら若き10代の後半だった私は、入浴介助の後のほかほかのおじいちゃんとおばあちゃんの髪に櫛を通し、ドライヤーで乾かす係。
先行組のおじいちゃん達の髪を乾かしていると、花王のシャンプーに混ざった資生堂のアフターシェーブローションの揃いのにおいがしていた。

「職員さんにしてもろてヒゲもスッキリや。自分では剃り残すからね、顎の下とか首のわきを」
「確かに見えへんとこやもんね」

シワシワだけどやわやわの羽二重餅のようなじいちゃんたちの口元はツルツルで、鼻毛も綺麗にカットされている。

続いて出てきたおばあちゃん達は、目の前に置いてもらった大きめの鏡を覗きながらヘチマの化粧水を顔にはたき「次、私もドライヤーお願いね」とピンクのほっぺで声をかける。
「はーい」と元気に返した私の返事と同時に「あら」と呟いた。

「嫌やわ、こんなところに毛ぇ生えてる」

そういって、鼻の下の産毛を撫でた。
カミソリを使って顔そりをしているおばあちゃんもいるが、手間になるので産毛くらいと残している人も多い。
口の周りの少し長い産毛だろうと見てみると、「産毛」の一言ではカバーし切れないほどの存在感を放つ1本の毛が、黒々と生えていた。

ヒゲだ。

瞬間私は貝になった。
女子高生の自分にだって脇毛や口元の産毛はあるが、さすがにヒゲまで生え揃えるほどの大人の階段をまだ登っていない。
かと言っておばあちゃんに対し「ヒゲですね」と返せるほど私は達観されていなかった。
シンプルにセンシティブ。
そう判断した私は即座に聞き流すことを選択し、意味もなくドライヤーをソフトからハードに切り替え、音で声をかき消す作戦に出る。
だが、一緒にドライヤー係をしていたこの施設のホームヘルパーさんが、悪魔のような声で笑っておばあちゃんの肩をパシーンッと叩いた。

「○○さん、ヒゲ生えてるやん!」

勇者なのか悪の大魔王なのか分からん彼女の勇気の一言に私は驚愕した。
昭和一桁生まれの人生経験豊富な先輩で、しかもかつての乙女にたとえ真実であってもその一言を軽々しく口に出したらあかんやろ!と。

だが、おばあちゃんも一緒にケラケラ笑ってヒゲをむんずと指で摘んだ。
「ほんまやわ!女がおばさんになって、おばあちゃんになって、ついにおじいちゃんになった!」
そしてプツっと引っこ抜いた。
「上り調子やなぁ、さてさて次はなんになるんやろか!」
「乞うご期待?」
「はは、いうてる間に仏になるわ!」
「やだぁ、○○さんったら!」

2人の和やかな会話の近くで違うおばあちゃんも「あら、私も!ほら見て、顎!」と笑っている。

後からそのヘルパーさんに聞いたのだが、女性も閉経後にホルモンが失われ始めるとヒゲが生える人もいるらしい。
ここではよくあることだから、気にしない人にはあぁやって笑いに、気にする人にはそっと処理してあげるのもケアの一つ、と女心を学んだ。



あれから長い年月が流れ、私は立派なおばさんになった。
若い頃は処理に悩んだ全身のムダ毛も日に日に薄くなり、スカートを履いて出かける時と夜の予定があるときだけの処理で事足りる。
まだ閉経の年齢ではないが、早いうちに子宮を全摘出しているので更年期障害のリスクが高い。
などと医者や諸先輩方に色々言われていたが、特段悩まされることもなくお気楽に生きている。

だが最近は、友人や姉の月経事情を聞きながら、自分にもすっかり忘れていた更年期が訪れていると実感し始めた。
一足お先に色んなことを卒業した私に、そろそろ周りが追いつくな?とそわそわしていた矢先、表題に書いた見知らぬ毛を発見した。

もみあげから顎のラインの骨の上、髪の毛にしては下すぎるし、産毛にしては濃くて太くて鼻毛くらいしっかりしている。
最初は驚いたが、思い返せばこれは私にとって見知った毛。
指の腹で押さえるとしっかりコシがあってビヨンビヨンと跳ね返り、黒く、太く、艶々している。
処理せず様子を見ていたら2センチまで伸びた。
こいつは鼻毛より伸びるし、もしもこれが鼻毛なら一周回って立派すぎる!

「なみさん、ヒゲ生えてるやん!」

あの時のおばあちゃんよりはだいぶ若いが、あの日の経験のおかげで自分の老いと女心に向き合えた。
ちなみにヒゲは人と会う前だけ処理をして、それ以外は伸ばして毎朝スキンケアをしながら様子を見ている。

そろそろ名前でもつけようかしら?

女のヒゲだから名前は「ヒゲンヌ」かな

#なんのはなしですか
#賑やかし帯

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