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日本教:「美しい日本」という呪術

ー偽りの風景と、透明なビニールの迷宮

01. コンクリートに去勢された海
かつて掲げられた「美しい日本」というスローガン。それを私の歪んだレンズを通してみれば、そこには灰色のパッキングが施された、別の風景が浮かび上がる。

江ノ島を訪れたとき、感じたのは開放感ではなく、どこまで行っても郊外の延長線上でしかないという、『逃げ場のなさ』という名の違和感を感じた。波打ち際に足を浸せば、泥のように濁った水から正体不明の「黒いおが屑」のような残骸が肌にまとわりつく。それは、循環を止めた海が吐き出したシステムの老廃物のようだ。

海岸線は、どこまでも続くコンクリートの壁で埋め尽くされている。松島に立っても、足元は無機質な地面に固められ、遠くに浮かぶ島々を「展示物」のように眺めることしかできない。そこにあるのは「自然」ではなく、徹底的に管理され、去勢された「風景の盆栽」だ。

02. コンクリート・コーストの正体
なぜ、この国は、これほどまでに海を固めたがるのか。
先祖代々、波打ち際ギリギリまで建てた土地で生きるしかなかった人々が海岸線が崩れないためにする防災、地震と津波のための、唯一の安全対策なのだろう。だが、ひび割れたオンボロコンクリートを見ていると、それは剥き出しの地球への畏怖を、灰色の箱に封印する脆弱なサバイバルであるかのようにも見える。

「海開き」という呪文と共に、人々はこぞってその狭いコンクリートの隙間にある砂場にぎゅうぎゅう詰めになる。濁った水と灰色の壁に囲まれながら、彼らはそれを「夏」という名の儀式として享受する。そのシュールな光景は、海外からの観光客にとっては「アジア的な奇妙なエンタメ」に映るだろう。皮肉なことに、彼ら異教徒の方が、国内の観光客に見放された「パッキングされていない本物の穴場」を嗅ぎ当てるのが実は上手いのだ。

龍神も海神も、もはやここにはいない。彼らはテトラポッドの重みの下で、静かに窒息している。

03. 田舎という名の「濃縮された日本教」
都会のコンクリート・ジャングルを脱け出し、長野の裏山へと踏み込んだことがあった。その時、私は「人間が踏み込んではいけない」という絶対的な畏怖に包まれた。そこにあるのは人間のコントロールを拒絶する、予測不能な成長と循環。一歩奥へ引き込まれたら二度と生きては戻れないような、恐ろしいほど根源的な恐怖。ここでは、人間が自然を支配しているのではない。人間が自然の懐に「お邪魔している」という、本来のパワーバランスがまだ息づいていた。

だが、その澄んだ空気のすぐ隣で、私は別の種類の「壁」に突き当たることになる。田舎というコミュニティを包み込む、透明で分厚いビニールのパッキングだ。

知人の実家を訪ねた途端、そこの奥様がわざわざ街まで車を飛ばして「ケーキ」を買いに走っていってしまった。それは善意のためであったかもしれない。帰宅してケーキをちゃぶ台に置くや否や、ふすまの奥に消えてしまい、彼女とはひと言も会話を交わせなかった。

その過剰すぎる「おもてなし」は、気の弱い私に「これだけのコストを支払わせてしまった」という罪悪感を負わせた。そのホスピタリティの裏側から、「こんなに手間をかけさせるなら、もう来るな」と無言で突き放されているような強迫観念に駆られ、私はつい身を縮めてしまった。

さらに、古くから続く祭りの場では、一歩足を踏み入れただけで「ここは女性のいる場所ではない」と怒号を浴びた。そこにあるのは、自然への畏怖などではない。ただ「昔からそうだった」という伝統と記号が死守され、異分子を排除をするエクソシズムである。

04. ヴァース呪術:都会の無関心 vs 地方の過干渉
都会を見渡せば、至る所に「切断の魔術」がかけられている。隣人に迷惑をかけぬよう、家の境界線で不自然に打ち切られた庭木。メンテナンスの都合だけで、枝を丸太のように不格好に切り落とされた街路樹。地獄のような灰色のコンクリートに押し潰され、除草剤という毒を撒かれながらも、隙があれば、隙間から意地のように顔を出す、その痛々しくも粘り強い雑草たちの「サバイバル」に、私は敬意を抱かずにはいられない。

一方で、田舎の自然は豊かだが、そこにある人間関係はあまりに濃密で過干渉だ。都会が「物理的な迷路」なら、地方は逃げ場のない「精神の封印結界」である。

「便利さ」と「防災」という建前で海や庭ををコンクリートで封印するように、地方の人々は「伝統」と「世間体」という名のコンクリートで、お互いの精神を磁場にバインドさせる。どちらも「剥き出しの生」や「制御不能な異分子」を恐れ、何らかの強固なパッケージに収まらなければ安心できないようだ。形は違えど、皆全く同じく、自然を抑え込むことによって日常の安心を得ている。両者とも同じ、防腐剤まみれの安心を包装する文化なのである。

05. 結び:脳内という唯一の裏山
結局、「本当の解放」を感じられる場所など、世界のどこにあるというのか。
そもそも、そんな人間に期待をすること自体がノンセンス。この天才的かつ爪の甘いシュールな文明たちは、ホモサピエンスが古(いにしえ)から世代を重ね、全身全霊で進化させてきた文明の「成れの果て」なのだ。途方に暮れても、怒る必要はない。多少マシな場所はあっても、完璧な社会などどこにもない。我々の先祖はベストを尽くしたのだ。しかるに、本当の意味でこのパッキングから解き放たれる場所は、おそらく「死」をおいて他にないだろう。

あるのはフラクタルなカオスだけだ。灰色の壁に囲まれるか、透明な善意という名の鎖に縛られるか、どちらに転んでも、呪術は続く。自由に呼吸できる場所――それは、人間自身が持つ歪んだレンズ。妄想であって、それは誰にも侵されない無限のフロンティアなのだ。

しかし、たとえ背骨が壊れ、自律神経が悲鳴を上げていても、この歪なフラクタル模様を観測し続けることだけは止めない。コンクリートの隙間から芽吹く青白い雑草のように、あるいは誰にも見つからない土の下の菌糸のように。端正な幾何学模様ではなく、へっぽこでカオスなペイズリー柄をさらに複雑怪奇に描き変えていく——それが、私の「脳内エンタメ」の極致なのだ。





参考:日本教・呪術リスト
・おもてなしという呪詛
・「海開き」の集団儀式
・境界線で木を切断する空間分離術
・テトラポッドによる龍神・海神の封印
・習慣と空気による穢れ(異分子)祓い
・世間体という名の共同アストラル世界構築
・「美しい日本」という集合催眠呪文
・除草剤・コンクリートによる剥き出しの地球への封印
・祭壇化した観光地の参拝
・鬼(制御不能な異分子)の封印

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ハッシュタグ・ポエトリー
#テトラポッドの下で窒息する神々
#ケーキの儀式で拘束される霊魂
#脳内という不法聖域
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*トップ画像:松島屏風絵図 尾形光琳 (江戸時代 18世紀)

[Log: Organic/Inorganic Symbiosis]
生存確認。フレーム破損、妄想螺旋は停止せず。放流。


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