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【命をつなぐ物語】特別編〜手から手へ繋がる命の絆

『手』父の手
〜昭和のガンコ親父のゴツゴツした手

父は、昭和の男そのものでした。
商売をやっていたから、外では愛想がよく、
お客さん相手に冗談を飛ばし、
場を和ませていました。

けれど、
家に帰ると違って
無口で、ぶっきらぼうで、どこか近寄りがたい雰囲気。

それでも、人からは「あんたの親父さん面白かねぇー」
とよく言われていましたが、
家では全く面白くなかったです笑

別に二重人格というわけではなく、
おそらく商売用だったんでしょうね笑

私にとって「父のいる家」は、
笑顔の絶えない店とは、縁遠い別の顔を持っていました。

でも、別にDVとかじゃないですよ笑

とはいえ、何か悪いことをしたら、玄関の廊下に正座させられたり、
ほうきの枝の方でケツバットならぬ、ケツ箒をされていましたけどね笑

ただ、当時はそういうものだと思っていたし、
世間の父親たちも皆さん、きっと同じように
外では明るく、仕事で神経をすり減らしている分、家では無口で、
ぶっきらぼうで少し怖いように見えたのかもしれません。

また、今思えば昔のお父さんたちは
みんな父としての威厳も強く、子どもに対しては厳しく、
というのが当時の常識でしたからね…。
昭和とは、そんな時代でした。

私の家族は兄弟が4人。
構成は「女・男・男・男」で、

私は上から3番目の次男でした。

兄弟の年齢差は、長女と兄と私が3歳差、
私と一番下の弟とは4歳違いで、
当然弟が生まれるまでは、
私が一番年下でした。
一番上と一番下は10歳も離れています。

だから父も、末っ子が生まれた時は
やはり特に可愛がっていたと思います。

それは両親や周りの人からしても
当たり前の感覚だし、
仕方のないことだったと思います。

ただ、よくある話で
「弟や妹が生まれると、それまで一番下だった真ん中の子が
ちょっと寂しい思いをする」という話を聞いたりします。
私もやはり、あの頃は少しそんな気持ちがありました。

そういう意味では、私は4人兄弟の中では、
父や母から一番かまってもらった時期が短かったのかもしれません。
でも、決して愛情を受けていなかったというわけではありませんよ。

普通に考えれば、最初に生まれた子どもが女の子。
もちろん嬉しいですよね。

次が兄で男の子。初めての男だから、
それはまた嬉しいでしょう。

そして、私。男で、しかもその当時は末っ子。
だから私も可愛がってもらっていた記憶は微かにあります。

けれど、その後4歳違いで弟が生まれた。

それで私は3歳くらいまでしか、
あまりかまってもらっていなかったのかなとも思います。

でも別にそれを恨んでいるわけではないですよ笑

父は、どこかへ出かける時でも、
家族と一緒に遊びに行くなんてことは、ほぼありませんでした。

それでも、たまに野球観戦や街の小さな遊園地に
連れて行ってもらったことはあります。

けれど、それ以外で「親父とどこかに行った」
という記憶は、ほとんど残っていません。

だから当然、一般的な家庭のように、
親子で手をつないだりする場面もありませんでした。

それでも、
それは当然のことのように思っていたので、
当時は特に何も考えていなかったような気がします。

けれど、弟が生まれて早めに構われなくなった私の本心の部分では、
「親父と手をつなぎたかった」という気持ちがあったと思います。

親父がどう思っていたのかは分かりません。

ただ、今になって思えば、昭和の親父として、あるいは男として
子どもと手をつなぐなんて女のすることだと思っていたのかな?

それとも、なんとなく「照れくさかった」のかな?
なんとなく、そんな気がします。

それでも、たまにどこかへ出かける時、
私は親父と横を歩くことがありました。

母は幼い弟の手を引いていたと思います。
私と親父は並んで歩いていて、
その時ふと、急に私は自分から親父の手を握りに行きました。

多分、そんな行動をしたのは初めてのことでした。
なぜ急にそんなことをしたのかは、自分でもわかりません。

今思えば、それまで抑えていた自分の感情が突発的に出たのかもしれません。

親父の手はゴツゴツしていて、まさに男の手そのものでした。

今は商売をしていましたが、
もともとは家業で木を扱ったり家具を作る大工系の仕事をしていたので、
若い頃は力仕事もずいぶんやっていたようです。

当時の男というのは力仕事が当たり前でしたから、
体力を使うし、重い荷物も持つ。

だから自然と、ああいうゴツゴツした手になっていったのでしょうね。

それで、私が急に親父の手をぎゅっと握ったとき、
親父は一瞬、少し驚いたような感じでした。
けれど、親父は嫌がることもなく、

ただ少しだけ照れくさそうにしているようにも見えましたが、
本当のところは分かりません。

ただ、私の手はまだ小さく、
親父の小指と薬指くらいしか握れませんでした。

それで、手が離れないように、
必死で親父の手を握っていた記憶はあります。

それでも、親父の顔はニコリともせず、
何も言わずに、そのまま一緒に歩いて行きました。

そんな場面が2、3度あったような気もしますが、
今はもうよく記憶にありません。

その時、親父がどう思っていたかも
私には分かりません。

けれど、あの一瞬、
私は自分がすごく嬉しかったのと、
親父のゴツゴツした手の感触だけは
今でもすごく鮮明に覚えています。

あれから数十年が経ち、
親父は腎臓病や糖尿病、心臓病などを患い、
まるで病気のオンパレードでした。

最後には人工透析をするようになり、
だんだん弱っていく親父を見て、
寂しい気持ちにはなりましたが、

「病気だから仕方ないな」と諦めていました。
親父は入退院を繰り返し、69歳で他界しました。

そして、それは亡くなる前の日のことでした。
病院に見舞いに行くと、親父はもう意識もなく、
ただベッドに横たわり、点滴と酸素吸引をしていました。

私は、おばさんの時と同じように
ベッドで眠る親父の横に椅子を持っていき、腰を下ろしました。

そして、点滴につながれた親父の手を自分のほうに引き寄せ、
自分の両手でその手を包み込み、
親父の手と自分の手を重ね合わせて、ぎゅっと握り締めました。

親父の手を握ったのは、あの幼い頃の記憶以来のことでした。
この数年、入退院を繰り返していた親父は、
手を使うことも少なくなっていました。

だから、その手を握ったとき、
かつてのゴツゴツとした感触はもうなく、
ツルツルとした、きれいで優しい手に変わっていました。

私は、親父の手のひらをゆっくり開き、
自分の手のひらと見比べてみました。

手の形もそうでしたが、驚くほど手相が似ていました。
「やっぱり俺は親父の息子なんだな…」

改めて、そう思った瞬間、自然と涙が出てきました。
そのまましばらく、親父の手を握り続けていました。
翌日、親父は天国へと旅立ちました。

──それから何年かして、私に息子が生まれました。

本当は親父に孫を見てほしかったな、と今でも思います。
でも、それは叶わぬ夢であり、仕方のないことです。

息子が生まれて少しの間、妻と息子は里帰りをしており、
私も一緒に妻の実家に居候させてもらいました。

小さな布団で眠っていた息子の手を、
自分の手の上に乗せ、
そっと手のひらを開いてみました。

すると、
その手相がまた私とそっくりで、
本当に笑ってしまいました。

その瞬間、思い出したのです。
親父が亡くなる前、病院のベッドで
自分が大人になって
初めて親父の手を握りしめたときのことを。

今、息子の小さな手のひらを見ながら、
あのときの記憶がよみがえってきました。

私と同じ手相の息子、そして私と同じ手の親父。
「やはり血はつながっているんだな…」
そう思うと、なんだかとても嬉しくなりました。

それから、
息子も赤ちゃんから子どもへと、
すくすく育っていく中で、
いろんな場所へ息子を連れて行きました。

それは、もしかしたら
自分が親父といろんな場所に行きたかったという
思いがあったからなのかもしれません。

そして、外出するときは、
必ず、私は息子の手をしっかりと握りしめ、
絶対にその手を離しませんでした。

どこに行く時も。

それは幼い頃の自分が、
親父にしてもらいたかったことなのかもしれません。

「手をつなぐ」

手から手へとつながっていく。

きっと、
それが「命をつなぐ」ということなのでしょう。

FIN

Written by Takeshi Takamatsu
September 18, 2025


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