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イグアス謎のうんこもらし事件 2009年7月24日

(はじめに)
 日記をつけていた無印良品のA4リングノートがいっぱいになったので、パラグアイの文房具屋で2冊目を買った。パラグアイ製の学習用ノートだ。今日から、その2冊目のノートに書かれた日記を書き起こしていく。
 この日記はボリビアからパラグアイへ国境を越えるところから始まるが、ボリビア移動中に起きた恐ろしい出来事が記されていなかったため、ここに追記する。
 ある日ボリビアの山岳道路をバスで走っている最中、突然車が動かなくなった。渋滞が起こり、車が数珠つなぎにどこまでも続いている。何事かと前方の様子を見に行くと、道路わきの断崖絶壁から、何かを引き上げているところに出くわした。それは人の遺体だった。狭い山岳道路を踏み外したバスが崖下に転落したのだ。次々に、ロープに括り付けられたインディヘナの人たちの遺体が引き上げられていく。まるで砂袋を積み上げるみたいに、道路わきに遺体が積まれていくのを見た。
 数時間足止めを食らいバスは動き出したが、残る道程も事故があった道と同様、断崖絶壁の山岳道路だったため、自分が乗っているバスが転落しないことをひたすら祈っていた。恐ろしさに気が気ではなかった。
 それは、僕が旅行中、初めて見た遺体だった。というか親戚の葬式以外で、人生で初めて人の亡骸を見た。旅行に出て初めて、死というものをまざまざと突き付けられた。衝撃的な体験だったにもかかわらず、日記には記述がなかった。不思議である。そのため、あの事故が前述の「死の道路」で起こったものなのか、別の山岳道路で起こったものなのか、定かではない。
 ボリビアでの出来事でもう1つ日記に記されていなかったのは、ポトシ銀山を訪ねたときのことである。オキナワ村を経て、スクレを出た後、ポトシに向かった。南米に進出したスペイン人が開発し、莫大な富を生んだポトシ銀山の、坑道の中に入ることができたので、探検した。探検はスリリングで楽しかったのだが、首からぶら下げていたデジカメRICOH GX200を、坑道の地下深くに落としてしまった。深すぎて、回収はあきらめるしかなかった。デジカメ自体も大切だったのでショックが大きかったし、オキナワ村滞在初期までの写真はバックアップを取っていたため無事だったが、オキナワ村滞在後半から、スクレで撮った写真は、デジカメに入ったままで、失われてしまった。
 今もポトシ銀山の地下深くで僕のデジカメは眠っているのだろうか。もしデジカメを拾った人がこの記事を読んでいたら、ぜひコメントで教えてください。

2009年7月24日
パラグアイ、イグアスにて

 ボリビアからパラグアイへの道のりは、まあそんなに大変というほどではなかったけれど、すんなりといったとも言えない。

 ウユニ塩湖の塩のホテルで過ごした後、ウユニ塩湖周辺を車でめぐるツアーに参加し、そのままチリのサンペドロ・デ・アタカマに抜ける予定だったが、インフルエンザ対策のため、チリが国境を閉めてしまったという。仕方ないので別ルートを取り、あまり王道とはされていない、ボリビアからパラグアイへ直接抜けるルートを選ぶ。

 ウユニを朝6時に出て、トゥピサへ。トゥピサまでの道は奇岩の織り成す絶景が続いていた。ツアーでも人気のエリアのようで、いずれ有名になりそうだ。”ボリビアのカッパドキア”と誰かが形容していた。

 トゥピサには昼過ぎに着き、そこからタリハへの夜7時発のバスに乗り、朝4時に到着。標高は下がっているしたいして寒くないだろうと高をくくっていたが、寒い。僕の持つ心もとない最強防寒装備にマフラーと手袋を身に着けても、寒さは「ふっ、こんなもの」と言わんばかりに容易に体にしみ込んでくる。バス停の周りには、4、5軒アロハミエント(宿)があったが、泊まれるか聞いても、すべて部屋はないという。本当かよ。セントロ(町の中心部)に行ってうろうろするのもいやだったので、仕方なしに朝までバス停で待つことにした。

 午前6時にようやく空が明るくなり始め、7時になるともう朝だ。それを確認し、パラグアイのアスンシオンへバスが出ているというビヤ・モンテスへのバスチケットを買う。夜8時発。12時間以上あるので、荷物を預け、タリハの町を歩くことにした。

 タリハは僕が見てきた中で最もボリビアらしくない町だった。こざっぱりとしていて、ワインの産地というのもボリビアっぽくない。しかし居心地の好さそうな町だったし、何とかというタコスのような味のひき肉料理がとてもおいしかった。写真を撮っていいかと屋台のおばちゃんに頼むと、逃げてしまった。別に料理を撮りたかっただけなんだけど。

 夜8時タリハ発のバスで、朝7時にビヤ・モンテスへ到着。バスが出るときに、別れを惜しみ、涙している見送りの人々がたくさんいたので、僕は何か危険なバスに乗ってしまったんじゃないかと少し不安になったが、何事もなく、どことなくボリビア・アマゾンのルレナバケに似た町に着いた。

 ビヤ・モンテスでアスンシオン行きのバスを探していると、ブエノス・アイレス在住のウルグアイ人の女性、ビルヒーニアに出会う。彼女によると、バスは翌朝5時に出るという。これはまた20時間以上待たなければ…と思っていると、彼女が「トラックのヒッチハイクでも行ける」と言い出した。彼女は身なりのきれいな、頑強とは言い難い普通の30代女性。意外な発言に驚いていると、彼女は「当然よ」といった風に、ガソリンスタンドに向かって歩き出した。「私はボリビアが好きじゃない。早くこの町を出たい」「パラグアイも好きじゃないけど、ここよりはまし。ボリビアは、アフリカだ」と彼女は言っていた。そうかもしれない。だから僕は好きだ。

 トラックのヒッチハイクは南米ではノーマルだ、と言い放つ彼女にとりあえず従うことにして、車が来るのを2人で待つ。彼女は手書きの地図やパンフレットをさかんに僕に見せてくれて、それをくれた。英語の苦手な彼女は、こうやって僕とコミュニケーションを取ろうとしてくれた。

 しかし待てども待てどもパラグアイへ行くトラックは来ない。結局二手に分かれて朝5時発よりも早く出るバスを探しに行き、僕が午前2時発のバスを見つけた時には、夕方になっていた。バス停に向かう頃にはビルヒーニアはくたくたになってしまい、そのバスに僕が乗ると言うと、彼女は、「私は一度サンタ・クルスまで戻り、そこでバスに乗る」と言った。ここで僕らは分かれた。最後も彼女はノートとペンを手にして、手書きの地図を僕にくれた。

 そのバス停は、バス停のはずが、ペンションと銘打ってあった。謎である。見た目はレストランのようで、その店の奥に、怪しげなホセという男に導かれてゆくと、一応バス会社のオフィスのようなところがあった。そこで40ドルを払い、どこで待てばいい?と尋ねると、ここで待てばいい、とホセは言う。地面は土で汚れていたが、ここで寝れるぞ、と彼は言う。まあ、無理じゃないけど…。

 結局そのオフィスのようなところにあった椅子で寝かせてもらい(ホセは毛布を貸してくれた。意外といいやつかもしれない)何度か目を覚ましたが、その何度目かに時計を見ると、午前3時、発車予定時刻を過ぎている。あわててホセを起こすと、彼は親指を立てて「大丈夫」と言う。コロイコからルレナバケへのバスで痛い目にあっていたので(注:これが冒頭で触れている転落事件が起きた山岳道路だったかもしれない)今日は乗れないかもなと覚悟したが、3時半ごろようやくバスがやってきた。ありがとうホセ。彼と握手してバスに乗り込む。

 ボリビアのイミグレーションでスタンプについて少しもめたけど、結果的には問題なく国境を越えた。

 パラグアイ側のイミグレーションでスタンプをもらい、ちょうど昼時だったので、門の前にいた、ハンバーガーやエンパナーダ等の軽食を売っていた女性から、ハンバーガーを買う。ボリビア側のイミグレーションであらかじめ、持っていた45ボリビアーノをパラグアイの通貨グアラニーに換えておいたが、何せ国に入ったばかりの僕には、物価がまったくわからない。何枚か小銭を手のひらに乗せ、差し出す。これでは足りないらしい。ぼられてんじゃないかと警戒しつつ、10000Gsと書かれた紙幣を取り出す。どうやらそれで払えるようだ。何枚かコインのお釣りをもらい、彼女にコインについて少し教えてもらう。お礼を言って立ち去ろうとすると「ありがとう」と彼女は日本語で礼を言い返してくれた。こんな所で日本語を耳にするとは思っていなかった僕は驚いた。そんなに日本人が頻繁にここを通るのだろうか。

 しかしパラグアイに入ったとたん、バスはなんどもなんども停車する。そのたびに、警察がバスの中や乗客を調べる。何回目かに乗客全員が降りるよう命じられた。荷物をすべて一列に並べるよう指示され、その列と平行に客も一列に並ばされた。まずIDを確認し、その後一人一人少し離れたテーブルのある場所に呼ばれ、荷物をチェックされた。女性に対しては女性の係員が当たるらしく、何人かの男性の係員の中に紅一点、女性の係員がいた。ハポン(日本人)はそれなりに信用されているのか、僕のチェックは一瞬で終わった。

 うっかり顔を洗った水が牛臭かったこと以外は、特に問題なく検査は終わった。客が外に出ている間、犬をつれた一人の係員がバスの中を入念に調べていた。コカの葉の密輸の取り締まりのために行われたチェックだと思っていたが、それが全て終わった後、バスのドライバーが平然とコカの葉を口に詰め込んでいた。ドライバーだからいいのか?

メモ

アスンシオン
・広場でパラグアイ茶を飲みながら
・ホテル内山田
・パラグアイ美人

ラ・コルメナ(日本人移民の入植地)
・美人が豚を引く
・エンパナーダ美人
・パラグアイの緑と赤土と
・田舎の風景

イグアス移住地(同じく日本人移民の入植地)
・リサさんとつとむさん
・うんこもらし事件(ホテル出禁)
・米、豆腐、しょうゆ

欄外のメモ

はなえさん
・スリランカ シーギリア
・シチリア島 エリチェ
・カンボジア シアヌークビルから東(プノンペンの真下)の廃墟の町

オウム カムシュワール 巡礼(インド)

ファテープル・シクリー
世界で最も完璧に保存されたゴースト・タウン(byガルブレイス)

ヴェネチア、ジェノヴァ、アムステルダム
ハンザ同盟の都市(ベルギーのブルージュ)、商業都市(p433)

(日記を書き起こしての感想)
 日記を書くのがめんどくさくなったらしく、箇条書きで印象深かった出来事がメモしてあったが、今やすべて忘れてしまった。ちゃんと書かないとだめだったなぁと思っても、後の祭りである。
 イグアス移住地のメモにある「うんこもらし事件(ホテル出禁)」の詳細も、気になるが、もはや誰にもわからない。
 メモに書かれていることについて、何か知っている人がいらっしゃいましたら、コメントしていただけましたら幸いです。

冬山登山

コロナ禍,半地下のアパートの一室で弾き語りと曲作りを始める.
2023年5月ライブ活動を開始.
2024年3月HIP LAND MUSICによる「FRIENDSHIP.」のサポートを受け1st Single「千の丘の国」をデジタルリリース.
2025年5月初のワンマンライブを開催.

★Apple Music、Spotifyほか各種サブスク音源はこちら⇒https://friendship.lnk.to/LoaTH (1st Single「千の丘の国」)

★ライブ情報はHP下部へ
https://tozanfuyuyama.studio.site/

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