【保存版】キウイフルーツ全史(toyoty農業講座Ⅰ)
toyoty農業講座シリーズ作物全史、果物編
第1章 猿も知っている果実──中国の山々に眠った二千年
スーパーの棚に並ぶキウイフルーツを手に取ったとき、その産毛に覆われた茶色い外皮からは、この果実がたどってきた長い旅の気配など、まったく感じられません。ところがキウイフルーツは、人類が栽培化した果物の中でも屈指の「古顔」であると同時に、商業流通という意味では最も新しい果物のひとつでもあります。その不思議な二面性は、この果実の波乱に富んだ歴史そのものを映しています。
二千六百万年前の葉脈
キウイフルーツは「孑遺植物(活化石植物)」とも呼ばれる、起源が非常に久遠の植物です。1979年、中国科学院南京地質古生物研究所が広西壮族自治区田東県でいくつかの葉片化石を発見し、地質年代を分析したところ、中新世早期のもの、つまり今から約二千万〜二千六百万年前の地層から産出したことが確認されました。 (Kepuchina) つまりキウイフルーツの祖先は、人類が地球に誕生するはるか昔から、温暖湿潤な東アジアの山岳地帯に蔓を伸ばしていたことになります。
マタタビ科マタタビ属(Actinidia)に分類されるこの植物グループは、現在でも多様な野生種を抱えています。1980年代初頭の時点で、世界で発見されていた野生のマタタビ属植物は約54種と多数の変種におよび、そのうち原産が中国のものが52種、38変種を占めていました。 (Nwafu) 文字通り、マタタビ属の本拠地は中国なのです。その主要な分布域は秦嶺以南、横断山脈以東の地域に集中しており、北緯25度から30度の帯状地帯、つまり中国大陸の中南部が密集分布区域を形成しています。 (Biopublisher)
日本の読者にはなじみ深いサルナシ(Actinidia arguta)も、同じマタタビ属の仲間です。サルナシは北海道から九州まで日本の山野に自生しており、皮ごと食べられる小粒の実が愛されています。キウイフルーツを「大型のサルナシ」と理解すると、植物学的な立ち位置がぐっとわかりやすくなります。

『詩経』に登場する「苌楚」
中国の古典文献を遡ると、キウイフルーツの記録は驚くほど古くまで届きます。その名は『詩経』『尔雅』『说文』『广雅』などに「苌楚(ちょうそ)」「铫弋(ちょうよく)」「鬼桃」「羊桃」などの呼称で登場しており、辛樹帜・石声汉両教授の考証によれば、これらはいずれも現在のマタタビ属植物を指すものだとされています。 (Nwafu)
約2500年前に成立した『詩経』には、湿った低地に生え、枝や花・実がしなやかに揺れる「苌楚」の情景が詠まれています。「隰(しつ)有苌楚、猗傩其枝……」(低湿の地に苌楚あり、その枝のしなやかなること……)という詩句は、詩人が山野のキウイを愛でた証であるといえるでしょう。
「猕猴桃(ミフウトウ)」という現在の中国語名が初めて文献に現れるのは、おそらく唐代のことです。唐代の陳蔵器が著した薬学書『本草拾遺』には「猕猴桃は味咸温にして毒なし、薬用に供し、骨節風、瘫痪不遂、長年白発、痔病などを主治する」と記されており、少なくとも今から1200年以上前に、中国ですでに庭院に棚架を設けてキウイフルーツを栽植していたことがわかります。 (Ciae)
唐代の詩人・岑参(715〜770年)が詠んだ詩には「中庭井欄上、一架猕猴桃」(中庭の井戸の囲いの上に、猕猴桃の棚が一基)という一節があります。庭先に棚を組んでキウイを育て、その緑陰を楽しむ暮らしが、千二百年前の中国に実在していたことを、この詩はありありと描き出しています。
李時珍と「猕猴」の由来
明代の大薬学者・李時珍は、その不朽の名著『本草綱目』(1596年)に、キウイフルーツをこう記しています。「其形如梨、其色如桃、而猕猴喜食、故有諸名」(その形は梨のごとく、その色は桃のごとく、猕猴〔サル〕がよく食べるゆえに諸名あり)。 (Baidu Baike) この一文から、「猕猴桃」という名が「猿の好む桃のような果物」に由来することがよくわかります。深山に生えるキウイは、人間よりもサルたちに先に味わわれていたのです。
宋代の薬学書『本草衍義』(1116年)には、さらに精細な記述が残っています。「猕猴桃は、今の永興軍(現・陝西省)の南山に甚だ多く、食せば実熱を解す……十月には爛熟し、色は淡緑、生のときは極めて酸く、子は繁細にして芥子のごとし。枝条は柔弱にして高さ二三丈、多くは木に付して生ず。浅山傍道ならば存するものがあるが、深山では多く猕猴に食われてしまう」。 (Baidu Baike) この「深山では猿に食われてしまう」という記述こそが、「猕猴桃」の名の由来のひとつとも言われています。
注目すべきは、これほど豊富な文献記録がありながら、史料を見る限り、この野生果物はずっと山間の人々に利用されてきたものの、その利用方法は生食・醸酒・薬用にとどまり、大規模な栽培化には至っていなかった (Nwafu) という点です。なぜ中国では「果物の女王」になり損ねたのでしょうか。理由のひとつは、野生の果実が豊富に採れた環境があったこと、もうひとつは、追熟しなければ食べられないという扱いの難しさにあったと考えられます。その性質が逆に強みになるのは、ニュージーランドで冷蔵輸送技術が発達してからのことです。
第2章 種を運んだ校長先生──ニュージーランドへの旅
1904年の春、一人の女性がイギリス領事館の往来を経て中国内陸部へと旅立ちました。ニュージーランドのワンガヌイ女学院の校長、イザベル・フレイザーです。彼女が宣教師として働く姉を湖北省宜昌に訪ねたこの旅が、後に世界の果物産業を塗り替えることになるとは、誰も想像していませんでした。
一握りの種子
1904年、ワンガヌイ女子校の校長イザベル・フレイザーが中国揚子江渓谷の姉の伝道所を訪れ、キウイフルーツの種子をニュージーランドへ持ち帰りました。それらの種子は園芸家アレクサンダー・アリソンの手へと渡りました。 (Zespri)
アリソンの農場で1906年に播かれた種子は1910年に初めて実をつけました。アリソンはその種子を北島各地の苗木業者や果樹栽培者に配り広め、1917年には「チャイニーズ・グーズベリー」という名称で苗木として販売されるようになっていました。 (Wikipedia) 「チャイニーズ・グーズベリー(中国のグーズベリー)」という名は、原産地の地名と、ヨーロッパ人になじみ深いグーズベリー(スグリ)に果実が似ていることから自然に生まれた呼び名でした。
フレイザーが持ち帰った種子が育ったアリソンの農場、その場所が現在のキウイフルーツ産業の出発点です。ただし当時の果実は小さく、毛が多く、商品価値はほとんどありませんでした。この「原石」を磨き上げる作業には、さらに数十年の歳月が必要でした。
ブルーノ・ジャストの情熱
1920年代にはキウイフルーツの苗木が苗圃で販売されるようになり、1930〜40年代にかけて徐々に普及していきました。普及に大きく貢献したのが苗木業者のブルーノ・ジャストで、1920年代後半に8000〜1万株を北島各地に販売し、テ・プケやタウランガ地区への普及に貢献しました。 (Wikipedia)
ジャストはまた、自ら30株の実生から選抜して「ブルーノ」と名づけた品種を世に送り出した育種家でもありました。ブルーノ種は果実が細長く、安定した結実性を持つことで知られ、後に最初期の輸出品のひとつにもなっています。
しかしこの時期の果実は、依然として「庭先の珍果」の域を出ませんでした。真の飛躍は、一人の苗木業者の観察眼から生まれようとしていました。
「キウイフルーツ」という名の誕生
フレイザーが種子を持ち帰ってから半世紀が過ぎた1959年、この果物の歴史を変える命名が行われました。「チャイニーズ・グーズベリー」という名称が1959年に廃止された背景には、輸入業者がその果実をニュージーランドと結びつけられないという問題がありました。「メロネット」などの名も試みられた末、オークランドの果物包装会社ターナー&グロワーズが「キウイフルーツ」という名称を提案しました。 (Sandra's Garden)
「チャイニーズ・グーズベリー」が「メロネット」を経て「キウイフルーツ」に改名されたのは、オークランドの果物包装会社ターナー&グロワーズによる1959年のことです。この名称はやがて園芸業界の標準名として定着しました。 (Te Ara Encyclopedia of New Zealand)
ニュージーランドの国鳥キーウィ──飛べない鳥として知られるこの小さな生き物は、ずんぐりとした体形と茶色いざんばら毛を持ちます。その姿が、茶色い産毛に覆われた楕円形の果実と重なったのは、偶然ではなく、マーケターたちの見事な直感でした。同時に「キウイ」はニュージーランド人の自称でもあり、この命名には「これはニュージーランドの果物だ」という強いナショナル・ブランディングの意図が込められていました。
アメリカへの輸出を念頭に置いたこの命名は、後に世界市場で絶大な効果を発揮します。
第3章 ヘイワードという奇跡──品種改良の科学
キウイフルーツの歴史において、一人の人物の名前が他を圧倒して刻み込まれています。ヘイワード・ライト。現在世界中で流通しているキウイフルーツの大多数が、彼が一世紀近く前に選抜した一本の蔓から生まれているのです。
奇跡の蔓を見つけた男
オークランドの苗木業者ヘイワード・ライトは、大きな果実をつけ、風味に優れ、保存性の高い蔓を育てていました。それらが接ぎ木によって増殖され、やがて栽培者と消費者の双方に好まれる栽培品種(カルティバー)となっていきました。1956年にはその品種に「ヘイワード」という名が冠されました。1960年代後半には輸出用キウイフルーツの標準品種となっていました。 (Te Ara Encyclopedia of New Zealand)
「ヘイワード」品種はニュージーランドのアボンデールで1924年頃にヘイワード・ライトによって開発されました。当初は家庭菜園で栽培されていましたが、1940年代に商業栽培が始まりました。「ヘイワード」は今日最もよく店頭で見かける品種です。 (Wikipedia)
ヘイワード・ライトが行ったことは、現代の遺伝子操作とは無縁のシンプルな作業でした。多数の実生苗を観察し続け、その中から際立った特性を持つ一株を見つけ出し、接ぎ木によって増殖する──という、何千年もの農耕の歴史が培ってきた「選抜育種」の王道です。しかし彼が選んだ蔓は、のちに世界市場を一変させるほどの卓越した形質を備えていました。
では、「ヘイワード」はなぜこれほどまでに世界を席巻したのでしょうか。その秘密は、三つの特性の絶妙な組み合わせにあります。
大きさ:鶏卵ほどの楕円形で重さ100〜130g。消費者が「満足感」を得られる適度なボリュームがあります。風味:甘みと爽やかな酸味のバランスが良く、どんな市場でも受け入れられる普遍性を持っています。そして最も重要なのが貯蔵性です。収穫後も適切に保存すれば数ヶ月間品質を保てるというこの特性こそが、南半球から北半球へと長距離輸送を可能にし、グローバルな果物産業の扉を開きました。
雌雄異株という特殊性
ヘイワードの話を深めるためには、キウイフルーツという植物の特殊な生殖様式を理解する必要があります。キウイフルーツはマタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物の果実です。 (Wikipedia) 「雌雄異株」とは、雌花と雄花が別々の株についているということです。ちょうど人間の男女のように、キウイの木には「雌の木」と「雄の木」が存在し、実を結ぶのは雌の木だけです。
これは栽培者にとって重要な意味を持ちます。畑に雌の木だけを植えても果実はできません。必ず雄の木を近くに植え、花粉を雌花に届ける授粉作業が必要になります。自然界では蜂などの訪花昆虫が花粉を運びますが、商業栽培では蜂箱を置いたり、人工授粉を行ったりして確実な結実を図ります。
さらに興味深いのは、キウイフルーツの染色体の数です。ヘイワード種(Actinidia deliciosa)は6倍体(2n=174)という複雑な倍数体構造を持っています。これは祖先種がゲノム重複を繰り返した歴史を物語っており、育種家にとっては交配の難しさにもつながります。一方でゴールドキウイ(Actinidia chinensis)は2倍体(2n=58)が基本で、育種的な操作がより容易です。この染色体構成の違いが、後のゴールドキウイ育種の進展を加速させた一因でもありました。
「Shy Girl」と「Friendly Boy」──性決定遺伝子の発見
キウイフルーツの雌雄を決める遺伝子は長らく謎のままでしたが、近年の日本の研究者たちがその仕組みを解明しました。京都大学(現・岡山大学)の赤木剛士助教らの研究グループは、キウイフルーツなどマタタビ属のY染色体上に、雌しべの発達を抑制する遺伝子が存在することを突き止め、これを「Shy Girl」と命名しました。さらに解析を進めたところ、Shy Girl遺伝子はマタタビ属の進化のある時期に起きた全ゲノム重複をきっかけとして、元々は持っていなかった性別決定という新機能を獲得したものであることが分かりました。 (JST)
さらに続く研究で、マタタビ属の全ゲノム情報を比較した結果、性決定遺伝子である「Shy Girl遺伝子」と「Friendly Boy遺伝子」はゲノム中で頻繁に重複して存在しており、種によって次々と独立した新しいY染色体を進化させていることが判明しました。 (Mynavi)
2023年3月に英国科学誌「Nature Plants」に掲載された岡山大学・赤木剛士研究教授らの研究は、様々なキウイフルーツの全ゲノム配列を解読し、進化の過程でキウイフルーツが何度も新しいY染色体を重複して生み出しており、これには従来の定説を覆す新しい進化メカニズムが関与している可能性があることを示しました。キウイフルーツのオスは花が多く・花が早く咲くといった「オスらしさ」を持っていますが、この特徴が従来の説のようにY染色体が作られる過程で生み出されたのではなく、性別決定遺伝子そのものが本来持つ機能であることを明らかにしました。 (Okayama University)
これはキウイフルーツが、植物の性染色体進化研究の最先端モデル生物として注目されていることを示しています。おいしい果物を育てているだけでなく、生命科学の重要な問いに答えるための「生きた教科書」でもあるのです。
ヘイワードの限界と次世代育種
ヘイワード種の輝かしい成功には、しかし一つの大きな弱点が隠れていました。遺伝的な均一性です。世界中の畑に広がるヘイワードは、アリソンが農場で育てた三株(雌二株・雄一株)を起源とする、遺伝的にきわめて近縁な個体群です。全世界のヘイワードは、いわばクローンの集団に近い。これが何を意味するか──病気への脆弱性です。この「アキレス腱」が致命的な形で露呈するのは、半世紀後のことでした。
一方、1970年代後半にはニュージーランドのHortResearch(現・Plant & Food Research)がActinidia chinensisの種子を中国から導入し、新しい育種プログラムを開始しました。この取り組みが後にゴールドキウイという全く新しい市場を生み出すことになります。
第4章 黄金の革命──ゴールドキウイの誕生とゼスプリの戦略
20世紀末、キウイフルーツの世界に新しい色が加わりました。黄色です。
Hort16Aの登場
ゴールドキウイの主要商業品種であるHort16Aは、1987年にニュージーランドのHortResearch(現・Plant & Food Research)で開始された育種プログラムで開発され、1999年に商業的に発売されました。ゼスプリ・ゴールドとして販売されたこの品種は、通常100〜130gの大果を実らせ、滑らかで薄い毛のない黄金色の外皮と、甘くトロピカルな風味の黄色い果肉を持ちます。 (Grokipedia)
グリーンキウイとの違いは味だけではありません。ゴールドキウイは酸味が弱く、糖度が高い。外皮の産毛がなく(あるいはきわめて少なく)、皮ごと食べられる品種も多い。消費者調査でしばしば指摘される「キウイの産毛が苦手」「酸っぱすぎる」という声に正面から応えた、徹底したマーケットイン型の育種成果でした。
2000年に国際市場に登場したゴールドキウイは瞬く間に人気を集め、ゼスプリは2010年までに総売上の三分の一をゴールドが占めるほどの成長を達成しました。
Psa──致命的な病原菌との戦い
しかし栄光は長くは続きませんでした。2010年に、細菌性つる枯れ病を引き起こすシュードモナス・シリンガエ pv. アクチニディアエ(Psa)がキウイフルーツ農園に被害を与え始めました。ゴールドキウイのHort16Aは特にこのPsa菌に対して高い感受性を持っており、蔓が深刻なダメージを受けました。 (Zespri)
ニュージーランド・イタリア・日本・韓国で相次いだPsa発生の原因菌が単一起源であることが国際共同研究によって明らかになり、Psa菌はアジアに起源を持つと報告されました。 (Science Learning Hub)
感染が広がり、ニュージーランドでは12,000を超える農園がこの高病原性Psa-V株に感染し、全農園の約40%に達しました。 (Science Learning Hub)
これはキウイ産業の存亡をかけた危機でした。Hort16Aの農園は壊滅的な打撃を受け、栽培者たちは絶望の中にありました。有機農家の視点から言えば、この事態は単一品種への極端な依存がいかに危険かを白日のもとに晒したできごとでもありました。自然の中には無数の病原菌が存在し、遺伝的に均一な作物群はそのひとつに対しても無防備です。
Gold3(サンゴールド)という答え
危機の中で光明が差しました。Gold3品種の開発につながる研究は1995年に始まっており、最終的にGold3となる植物は2002年に植えられた2800の実生交配のうちの一本で、2年後に初めて4個の果実をつけました。 (RNZ)
Psaが発見された時点で、新しいゴールドキウイ品種「Zesy002」(栽培者からはGold3と呼ばれ、世界にはゼスプリ・サンゴールドとして販売)が商業化の初期段階にありました。育種プログラムから生まれた数百の遺伝的多様性を持つ品種の集中的なスクリーニングの結果、Zesy002がこの疾病に対して耐性を持つことが判明しました。 (Food Navigator Asia)

Plant & Food Researchはゴールド3品種の商業化を急ピッチで進め、2000ヘクタールを超えるGold3植物が栽培者に供給されました。 (Science Learning Hub)
Gold3(サンゴールド)は、Psa耐性を持つだけでなく、Hort16Aを超えるトロピカルな甘さを実現した品種です。その育種の完成度は、10年以上にわたる系統的な交配・選抜プログラムの賜物でした。Psa危機への対応で得られた科学的知見により、2016/17シーズンにゼスプリは23億ニュージーランドドルのキウイを輸出し、Psa発生前の2008シーズンより約20%増加しました。 (Food Navigator Asia)
この逆転劇は、育種と科学が危機を乗り越える力を持つことを雄弁に示しています。
知的財産としてのキウイフルーツ
ゼスプリが採用した戦略の核心は、品種を「知的財産」として管理するビジネスモデルです。Gold3(サンゴールド)を栽培するには、ゼスプリからライセンスを取得する必要があります。年間の入札競争を経て限られた数のライセンスが発行され、その価格は高騰を続けています。2022年には、サンゴールドのライセンスの中央値価格が1ヘクタールあたり801,000ニュージーランドドルにまで跳ね上がりました。 (GemTaste)
果物が特許権に守られた知的財産となった時代──これは単なる農業の話ではなく、育種成果の価値が「土地」ではなく「遺伝情報」に宿るという、現代農業の本質的な変容を示す出来事です。
第5章 緑の黄金が世界を覆う──グローバル産業の地図
ニュージーランドのテ・プケという小さな町は、「世界のキウイフルーツの首都」と呼ばれることがあります。人口1万人に満たないこの北島の町を起点に、キウイフルーツはどのように世界に広がったのでしょうか。
テ・プケからカリフォルニアへ
ヘイワード種が開発されると、第二次世界大戦中にニュージーランドに駐留していたイギリス軍とアメリカ軍の兵士たちがこの果物を食べるようになりました。キウイフルーツは1953年にイギリスとオーストラリアに輸出が始まり、続いて1959年にカリフォルニアへも輸出されるようになりました。 (Wikipedia)
1950〜60年代のニュージーランドでは、商業的に実用的な品種の開発、農業技術、輸送・保存・マーケティングを通じて、キウイフルーツが農産物商品として確立されていきました。 (Wikipedia)
ヘイワード種の圧倒的な貯蔵性が、この長距離輸出を可能にしました。0〜2℃の冷蔵庫で3〜6ヶ月の保存が効くこの果実は、冷蔵コンテナ船による海上輸送との相性が抜群でした。
ヨーロッパへの波及とイタリアの台頭
1970〜80年代、キウイフルーツはヨーロッパ市場で爆発的な人気を獲得します。1980年代までにはヨーロッパ市場がニュージーランドからの総輸出の75%を占めるようになり、欧州の生産者がヘイワード種のキウイフルーツ栽培を始めることへの関心が高まりました。1990年までにイタリアのキウイフルーツ生産量はニュージーランドを上回るほどになりました。 (Wikipedia)
イタリアのポー川流域は、気候・土壌ともにキウイ栽培に適しており、現在も世界有数の産地として欧州向け市場を担っています。世界の生産量は中国が約238万トンで第1位、2位はニュージーランド、3位はイタリアで、欧州向けのキウイフルーツの産地として有名です。 (Kudamononavi)
中国の逆襲
皮肉なことに、キウイフルーツの原産国・中国は、商業栽培への参入が最も遅れた国の一つでした。1978年、中国はキウイフルーツ研究のための全国協力グループを設立し、野生のActinidia遺伝資源の全国調査を開始しました。この取り組みにより1400以上の候補品種が選抜されました。1980年代初頭に中国はキウイフルーツの商業栽培を始め、当初はニュージーランドから導入した「ヘイワード」品種を1ヘクタール未満の面積で栽培するにすぎませんでした。 (Wikipedia)
しかしその後の拡大は驚異的でした。2020年には、キウイフルーツの農園面積は29万ヘクタールにまで拡大し、「ヘイワード」が栽培面積に占める割合はわずか6.3%となり、国内で育成された品種が主流を占めるようになりました。2023年には中国はイタリアとニュージーランドを抜いて世界最大のキウイフルーツ生産国になりました。しかし、その大部分は国内消費に向けられており、輸出量は少ない状況です。 (Wikipedia)
中国が生み出した独自品種には、四川省で野生の実生から選抜された赤肉品種「紅陽(ホンヤン)」や、黄肉品種「金艶(ジンヤン)」、赤肉品種「東紅(ドンホン)」などがあります。かつてニュージーランドから学んだ国が、今や独自の育種力を持つ一大産地に成長したのです。

第6章 ミカンの転作から生まれた産地──日本のキウイフルーツ物語
日本にキウイフルーツが本格的に定着したのは、農業の構造変化と密接に結びついていました。
ミカン暴落とキウイの登場
日本では1970年代にミカンの過剰生産による価格大暴落があり、愛媛県を発端として、ミカン農家や関連農協によって転作作物としてキウイフルーツが全国に広まっていきました。 (Wikipedia)
愛媛県は栽培面積・生産・出荷量・販売額とも国内第1位で、1970年代からミカン栽培からの転作によって産地が発展しました。 (Wikipedia)
温州ミカンの産地だった愛媛では、柑橘栽培と気候的・地形的条件が重なるキウイが自然な選択肢でした。日当たりの良い南斜面、温暖な気候、有機物に富む火山性土壌──これらはミカンにもキウイにも理想的な条件です。そして当時、珍しかったキウイは高値で売れた。農家にとってはまさに「救世主」のような果物でした。
福岡県は国内第2位で、八女市立花町が大部分を占めます。八女市は自治体単位で生産量日本一となっており、「甘熟娘」「キラキラ・キウイ」「甘うぃ」などのブランド品を開発し、キウイワインなどの加工品生産も盛んです。 (Wikipedia)
日本独自の品種育成
輸入品とは一線を画す「日本らしいキウイ」の開発も進んでいます。近年、果肉が黄色で糖度の高い新品種が国内でも育成されています。さぬきゴールド、静岡ゴールド、東京ゴールドなどがその例です。 (Kyosyokuinzaidan) また、香川県でヘイワードが自然交配してできた緑肉品種「香緑」、静岡県を中心に栽培される赤肉系「レインボーレッド」なども、地域ブランドとして定着しつつあります。
日本の育種の方向性は明確です。「甘さ」と「低酸度」です。生食市場の成熟した日本の消費者は、酸っぱいキウイを敬遠します。そのため国産の高糖度品種は、輸入ヘイワードとの差別化を図るうえで重要な役割を担っています。
栽培技術の面では、日本特有の工夫も生まれています。積雪地帯での防寒対策、台風に備えた棚の強化、人工授粉の精度向上、そしてエチレン処理による追熟コントロール──これらの技術開発は、農家と農業試験場が長年かけて積み上げてきた財産です。
有機栽培の視点からは、キウイフルーツは比較的農薬への依存度を下げやすい果樹の一つです。もともと病害虫への抵抗性が比較的高く、棚仕立てにすることで通風・採光が確保されやすい。ただし日本では花腐細菌病(Pseudomonas syringae pv. syringae)や、Psaとは別のキウイかいよう病(花腐れ病)が問題になることがあり、有機栽培では耕種的防除と環境づくりが鍵になります。
第7章 ビタミンCの謎と酵素の力──栄養科学から見たキウイ

キウイフルーツは「ビタミンCの王様」と呼ばれることがあります。100gあたりのビタミンC含量は約70mg(グリーンキウイ)から140mg(ゴールドキウイ)で、レモンやイチゴをしのぎます。なぜこれほどビタミンCが豊富なのでしょうか。
なぜビタミンCが多いのか
植物がビタミンC(アスコルビン酸)を豊富に生産するのには、光合成の保護という役割があります。強い光にさらされた時に生じる活性酸素を消去するのにビタミンCは不可欠で、旺盛に光合成を行う植物ほど多くのビタミンCを蓄えます。
キウイフルーツが特に高濃度のビタミンCを持つ理由の一つは、その果実が熟す秋まで緑色を保ち(クロロフィルが豊富)、比較的高い光合成活性を維持することにあると考えられます。また果実の細胞密度が高く、水分含量が適度なため、単位重量あたりの成分が凝縮されやすいという構造的な特徴もあります。
ゴールドキウイ(Actinidia chinensis)はグリーンキウイ(Actinidia deliciosa)よりさらにビタミンC含量が高い傾向があります。これは種間の代謝経路の差に由来しており、育種の選抜でもビタミンC含量は重要な指標の一つとなっています。
アクチニジン──肉を柔らかくする酵素
キウイフルーツのもう一つの特徴的な成分が、タンパク質分解酵素「アクチニジン(actinidin)」です。蛋白質分解酵素であるアクチニジンを含むため、食肉軟化剤としての応用や、舌苔除去タブレット(ブレオ)等への利用が行われており、果実の生食により消化促進効果も期待されています。 (Wikipedia)
これはなぜかというと、アクチニジンはシステインプロテアーゼと呼ばれるタンパク質分解酵素の一種で、パイナップルのブロメライン、パパイヤのパパインと同じグループに属します。肉料理にキウイを使う「キウイ漬け」が肉を柔らかくするのは、この酵素が肉のコラーゲン・タンパク質を分解するためです。
ただし料理への活用には注意も必要です。キウイを生のままゼラチン系のデザートに混ぜると、アクチニジンがゼラチンタンパクを分解してしまい、ゼリーが固まらなくなります。また牛乳タンパク(カゼイン)への影響から、キウイと乳製品を長時間混合すると風味が変わることがあります。一方、加熱するとアクチニジンは失活するため、火を通した料理では心配不要です。
アレルギーという影
キウイフルーツは近年、アレルギー原因食品として注目されるようになりました。症状は口腔内のかゆみや腫れ(口腔アレルギー症候群)から、重篤な場合はアナフィラキシーに至ることもあります。特に花粉症(シラカバ花粉)との交差反応が知られており、シラカバ花粉アレルギーを持つ人がキウイを食べてアレルギー症状を起こすケースが報告されています。
この問題は消費者が増えるとともに認知度が高まり、食品表示での対応も各国で進んでいます。育種の分野では、アレルゲンタンパク質の少ない低アレルゲン品種の開発も研究課題の一つとなっています。
第8章 ゲノムが語る未来──分子育種の最前線
21世紀に入り、キウイフルーツ育種は新たな段階を迎えています。ゲノム解読が育種に革命をもたらし始めているのです。
キウイフルーツゲノムの解読
2013年、Actinidia chinensis(ゴールドキウイ系)のゲノム解読が国際研究チームによって達成されました。これにより、キウイフルーツの全遺伝子の概要が初めて把握されました。さらに技術の進歩とともに解読精度が向上し、現在では染色体レベルで組み立てられた高精度ゲノム配列が利用可能になっています。
ゲノム情報は育種を劇的に加速します。従来の育種では、交配した実生が結実するまで数年を要し、望む形質を持つかどうかは実際に育てて確かめるしかありませんでした。しかしゲノム情報があれば、種子や苗木の段階でDNAマーカーを調べることで、目的の形質(甘さ、色、病害抵抗性など)を早期に予測できます。これを「マーカー補助選抜(MAS)」と呼びます。
Gold3育種の成功も、このゲノム情報の蓄積なしには語れません。Plant & Food Researchの育種家ルイス・ヘアは、育種プログラムが保有するキウイフルーツの遺伝資源コレクションを「育種の王冠宝石」と呼んでいます。これは中国以外では世界第二位の規模を誇り、将来の品種育成に向けた病害抵抗性などの遺伝源を保有しています。 (RNZ)
「Shy Girl」解明の意義
先に述べた岡山大学・赤木教授らによる性決定遺伝子「Shy Girl」「Friendly Boy」の解明は、単なる基礎研究にとどまりません。この研究成果は植物における性染色体の進化過程やその役割を世界で初めて明らかにしたものであり、作物の性表現に関わる重要な知見として、食物の安定的生産や新しい育種を可能にする技術に発展していくと期待されています。 (Okayama University)
たとえば、将来的に雌雄異株性の制御が可能になれば──一本の木で結実する「自家授粉型キウイ」を作り出せれば──農家は雄の木を栽培する手間を省くことができ、収益性が劇的に向上します。実際、既存品種の中にも自家和合性(一本で結実する)の系統「ニューエメラルド」が存在しており、今後の品種開発の重要な方向性の一つとなっています。
ゲノム編集育種の可能性と課題
ゲノム解読とゲノム編集技術(CRISPR-Cas9など)の組み合わせは、育種に新たな可能性をもたらしています。Psa耐性、アレルゲン低減、貯蔵性向上、さらには新しい果肉色の付与──こうした形質改良を、従来の交配育種より迅速に実現できる可能性があります。
ただし、キウイフルーツのゲノム編集育種が実用化されるには、まだ多くのハードルがあります。ゲノムが6倍体という複雑な構造を持つヘイワード種での編集は技術的に難しく、また消費者や規制当局の受け入れも不可欠です。有機農業の観点から言えば、ゲノム編集品種を有機として認証できるかどうかという問題も残ります。この点については、世界各国の有機認証団体の間でもまだ議論が続いており、一様な答えは出ていません。
終章 キウイの未来を考える
キウイフルーツは、野生の山果から世界規模の産業へ、わずか120年という短期間でその地位を確立しました。その軌跡は人間の観察力、育種の情熱、そして商業的な戦略の融合によって生まれたものです。
品種の多様性という財産
この物語を振り返ると、一つのことが繰り返し確認されます。遺伝的多様性の喪失は危機の種を内包するということです。
ヘイワード一強の世界がPsaに対して無防備だったように、単一品種への依存は持続可能ではありません。Psa危機を乗り越えられたのは、Plant & Food Researchが長年にわたって多様な遺伝資源を収集・保存し、地道な育種プログラムを継続していたからです。Gold3はある意味で、その「種の銀行」から引き出された貯金でした。
中国が野生のマタタビ属を保有する意義も同じです。キウイフルーツ属約66種のうち、62種が中国に分布し、その大部分が中国固有種です。 (Biopublisher) この野生種のプールが、将来の育種素材として計り知れない価値を持っています。
日本の在来種・サルナシの可能性

日本の山野には、キウイフルーツの近縁種であるサルナシ(Actinidia arguta)とマタタビ(Actinidia polygama)が自生しています。サルナシは「ベビーキウイ」「キウイベリー」とも呼ばれ、皮ごと食べられる小粒の果実が特徴です。
サルナシは耐寒性が強く、北海道でも栽培可能。農薬への依存が低く、管理の手間も普通のキウイより軽い傾向があります。キウイフルーツより糖度が高い品種も多く、有機栽培との親和性は高いといえます。那須塩原のような寒冷地でも栽培できる可能性があり、地域の新たな特産品として注目されています。
私が思うのは、「新しい品種」と「在来の多様性」の両方を大切にする必要があるということです。最先端のゲノム育種と、土地に根ざした伝統的な品種保全は、対立するものではありません。
追熟という哲学
最後に、キウイフルーツが教えてくれる農哲学について触れたいと思います。
キウイフルーツは収穫直後には固くて酸っぱく、とても食べられません。時間をかけてエチレンが生成され、澱粉が糖に変わり、酸が穏やかになって初めて「おいしいキウイ」になります。キウイフルーツ、特にヘイワード種は自らエチレンを生成しにくいため、単独でそのままおいておくと追熟せずにしぼんで傷み始めてしまいます。リンゴと一緒に保存すると良いというのは、リンゴが発散するエチレンを利用するためです。 (Foodslink)
これは農業全般に通じる真理に似ています。良いものを育てるには、時間と辛抱強さが必要です。手を急かしすぎても、ほったらかしにしても、おいしくならない。適切なタイミングで、必要なだけ関わること。キウイフルーツの追熟は、農の本質を静かに語っているように思えます。
中国の山奥で猿が食べていた酸っぱい果実が、長い旅を経て世界の食卓に届くまでの歴史は、植物と人間が少しずつ歩み寄ってきた、時間の積み重ねの物語でもあります。その旅はまだ続いています。ゲノム科学が新たな品種を生み出し、有機農家が土の力を信じ、消費者が食の背景に思いを馳せるとき、キウイフルーツの物語の次の章が書かれていくことでしょう。
参考動画、キウイの一生(栽培)
【参考文献・資料】
Ferguson, A.R. (2004). 1904—the year that kiwifruit came to New Zealand. New Zealand Journal of Crop and Horticultural Science 32(1):3-27. / Te Ara Encyclopedia of New Zealand「Kiwifruit」/ 岡山大学プレスリリース「キウイフルーツのゲノム解読が『性染色体進化の定説』を覆す」(2023年3月7日) / 中国農業博物館「猕猴桃」/ Wikipedia「キウイフルーツ」/ 農林水産省「作物統計」/ ゼスプリ インターナショナル公式サイ
