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帰省は、本当に「休暇」なんだろうか

どうも、33歳、3児パパ、1馬力で資産6,000万円を築き、副業で月30万円を稼いでいるトヨタ系会社員です。

僕は、会社依存を減らし、家族を守りながら、人生の自由度を少しずつ上げていく。そんな会社員なりの生き方を、このnoteで書いています。

とはいえ、偉そうなことを語りたいわけではありません。僕自身、会社員を続けながら、資産形成も、会社の外での小さな仕事も、家庭のある生活の中で手探りでやってきた側の人間です。

だから今日の話も、正解を配る話ではなく、僕が実際に引っかかったことの共有だと思って読んでもらえたらうれしいです。

きっかけは、夏の帰省です。

家族で実家に帰って、また戻ってきて。子どもは楽しそうだったし、親も喜んでくれた。大きな問題もなかった。

それなのに、帰ってきた翌日、なぜか会社の日より疲れている。

この「なんで疲れてるんだろう」を、今日は少しほどいてみたいと思います。

「実家でゆっくりしてきた」ということになっている

帰省の話をすると、たいてい優しい言葉が返ってきます。

「実家でゆっくりできてよかったね」 「おじいちゃんおばあちゃんも孫に会えて嬉しいでしょ」 「ご飯も出てくるし、少しは楽できたんじゃない?」

どれも、間違っていません。

久しぶりに親と話せる。子どもの背が伸びたねと驚いてもらえる。同じ食卓で、どうでもいい昔話をする。

帰省にしかない時間が、たしかにあります。親が元気なうちに会っておきたい、という気持ちも僕の中には普通にあります。

だからこそ、少し困ります。

こんなにいい時間だったはずなのに、正直、疲れた。そう感じている自分に、ちょっとした後ろめたさが出てくるんです。

せっかく迎えてくれたのに。親も楽しみにしていたのに。年に何度もあることじゃないのに。

そう考えるほど、「疲れた」と口に出しにくくなる。

でも、僕はこう思うようになりました。会いたい気持ちと、疲れる気持ちは、どっちかに決めなくていい。

会いたい。でも、疲れる。

この二つは、わりと普通に同時に存在します。

独身のときの帰省と、同じ言葉なのに中身が違う

昔、一人で実家に帰っていた頃は、話は単純でした。自分と親の都合さえ合えば、だいたい予定は決まる。

結婚して、子どもがいると、そうはいきません。

自分の親には、いつ顔を出すか。妻の親には、いつ会いに行くか。どっちに何泊するのか。子どもの昼寝や食事はどうするか。手土産は何にするか。渋滞を避けるなら何時に出るか。

こういう、予定表には一行も書かれない判断が、出発前から次々に湧いてきます。

しかも、動かしているのは時間だけじゃないんですよね。

「こっちの家には長くいたのに、あっちには短かった」 「前は来てくれたのに、今年は来ないの?」

誰かがはっきりそう言うとは限りません。むしろ、言われないからこそ、言われるかもしれないことまで先回りして気にしてしまう。

帰省当日より前に、頭の中ではもう仕事が始まっている。

僕は、ここに気づいてから少し楽になりました。帰省の疲れは、家までの距離や泊まった日数だけでは、たぶん測れない。

どれだけ移動したかより、何人分の予定と気持ちを、同時に気にかけていたか。

そこが、帰省の疲れを見えにくくしているんだと思います。

「気が利かない自分」のせいにしてしまう前に

やっかいなのは、この疲れが、自分の心の狭さのせいに見えてしまうことです。

もっと素直に楽しめばいいのに。少しくらい我慢すればいいのに。親孝行できるうちにしておけよ、と。

その気持ちも、わかります。家族関係は、効率だけで割り切れるものじゃない。ちょっと面倒でも会いに行ったことが、あとで大事な記憶になることもある。

ただ、疲れを全部「自分の気持ちの問題」にしてしまうと、その裏で誰かがやっている仕事が、まるごと見えなくなります。

出発時間を決める。子どもの体調を確認する。両家に連絡を入れる。滞在中の空気を読む。そして、帰る時間をどう切り出すか、ずっと考えている。

こういうことって、うまくいけばいくほど、目立たないんです。

トラブルが起きなかった、という結果だけが残って、そこに至るまでの気配りは消えていく。だから外からは「実家でのんびりしてきただけ」に見えるし、当の本人ですら、自分が何に疲れたのか、うまく言葉にできない。

家族を大切にしていないから疲れたんじゃない。むしろ、誰にも嫌な思いをさせないように動いたから疲れた。

そういう疲れも、あると思うんです。

これは「休暇」というより、関係を続けるための実務

会社の仕事には、いちおう区切りがあります。会議が終わる、資料を出す、担当を引き継ぐ。

でも、家族関係に「これで完了」はありません。

今回の帰省を無事に終えても、次の連休が来て、年末年始が来る。親は一つ歳をとり、子どもは成長し、そのたびに条件が変わる。

だから僕は最近、帰省を「イベント」ではなく、家族との関係を続けていくための実務に近いものだと捉えるようになりました。

難しいのは、この実務に、はっきりした正解がないことです。

両家に同じ日数いれば公平なのか。子どもの負担を優先したら、親不孝になるのか。帰らない年をつくったら、関係は薄くなってしまうのか。

家ごとに事情が違うので、みんなに当てはまる答えはありません。だからこの話は、つい「帰るか、帰らないか」の二択になりがちです。

でも、本当に考えたいのは、その間にあるはずの選択肢のほうです。

一泊を日帰りにしてみる。一度の休みで両家を回りきろうとしない。連絡や準備を、誰がどれだけ担っているか、夫婦で一度確かめてみる。親の希望も聞きつつ、自分たち家族の限界も、正直に伝えてみる。

これは、家族を遠ざけるための工夫じゃありません。無理な帰省を繰り返して、いつか会うこと自体が憂うつになってしまう。それを避けるための工夫です。

家族との関係は、一度の完璧な親孝行より、続けられる距離で守ったほうがいい。

僕は、そう思っています。

読者のみなさんへ

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

今日いちばん伝えたかったのは、たった一つです。帰省のあとに疲れているのは、あなたの気持ちが足りないからじゃない、ということ。

誰かの予定を考えて、空気を読んで、いくつもの関係をつないできたからこそ、疲れている。それは責められることではなく、むしろ静かに労われていいことだと思います。

だから、今すぐ帰省の形を変えなくても大丈夫です。

まずは、次の帰省までに一つだけ考えてみてください。

自分は帰省中、誰の予定と、誰の気持ちを気にかけていただろう。

そこに、これまで名前のなかった負担が見つかるかもしれません。名前がつくと、夫婦で分け合う相談も、少しだけしやすくなります。

家族との時間や、暮らしの余白の整え方については、別の記事でももう少し具体的に書いています。今日の話が引っかかった方は、のぞいてみてもらえたら。見え方が変わったあとで、じゃあ自分の家ではどうするか、を一緒に考えていけたら嬉しいです。

よかったら、あなたが帰省でいちばん疲れる場面も、コメントで教えてください。

今日も、がんばりましょう。


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