KORI ANRI JAPAN 加藤かなる インタビュー 完全版
加藤かなる
KORI ANRI JAPAN
1995年大阪生まれ、十代でドイツに移住。2020年より豊岡杞柳細工を学ぶ。独立して豊岡市街地に店舗兼工房を開き「KORI ANRI JAPAN」を展開。
Q:昨年ドイツでの展示会に参加したと聞きましたが、どうでしたか?
ドイツ、バイエルン州のリヒテンフェルスっていう町なんですけど、そこで世界中のカゴ職人(柳を編む)が集まる展示会があるんです。ご縁があって参加させて頂きました。僕が独立後、ブランドを立ち上げて活動している中で、ある方と出会ったのがきっかけでした。神戸にお住まいの作家さんで、ヨーロッパ仕込みの技術で柳のかごを作ってらした。その方の紹介で主催者と繋げてもらって参加するに至りました。年に1回、秋にリヒテンフェルスで行われる展示会。今回は第44回。主催者の話によると、どんどん規模が大きくなっているみたいでした。出展者数でいうと今回は世界中から80程の職人、アーティストが参加していました。僕は日本からですが、ヨーロッパ各地から、アメリカからも来る人もいる。もうむちゃくちゃニッチな業界の祭典で、職人、アーティスト、バイヤーやコレクター、材料屋や関連企業が集まる。リヒテンフェルスの町全体が、柳の籠一色に染まる3日間なんですよね。僕ら出展者は各々ブースを持っていて、展示販売はもちろん、実演、商談、ワークショップで参加するアーティストさんもいましたね。日本からの参加は今回は、僕も含めて実演販売で3名、ワークショップで1社でした。日本人の割合は過去一番多かったと聞きました。
注:ドイツ南部のLichtenfels(リヒテンフェルス)は「カゴの町」と言われており、年に一回開かれる「カゴ祭り」には世界中の柳のカゴが集まります。
Q:日本では豊岡杞柳細工(きりゅうざいく)だけですが、ヨーロッパに柳を編む文化がたくさん存在してるっていうこと?
そう!すごく面白かった。勉強になりましたね。リヒテンフェルスが、なぜそういう展示会が開かれる場所になってるかっていうと、「柳で籠を編む」っていうカルチャーが本当にその町に深く根付いているところにあるんです。例えばヨーロッパで唯一の柳の籠編みの専門学校があったり。ちなみに紹介頂いた神戸の作家さんは日本人で唯一、その学校の出身者なんです。ドイツ以外でもフランスだったり、イギリスの方もすごく柳の文化が根付いていますね、聖地とされているのは一応ラトビアと聞いています。
Q:ヨーロッパでは商品としては籠がメインになりますか?
そうですね。籠編みの文化は深くて、やっぱり物を入れるなり持ち運ぶためだったりのツールとして世界中で作られてきたんだと思います。日本でもそう。そこが一応起源となっています。そこからの時代の流れの中でその技術は多用途に流用されてきたんだと思うんですが、現代では、オブジェクトというか、こうアートに振り切ったような作品を作られる作家さんもたくさんいらっしゃって、今回の出張は本当にいい刺激になりました。
Q:豊岡杞柳細工と同じようなものはあった?
そういうところも結構気になってて、今回参加するのを楽しみにしてたんです。並べた商品は大体20点くらいの作品数。豊岡杞柳細工ならではのクラシカルな柳行李だったりとかも持っていきましたし、僕がブランドで展開しているオリジナルな作品も持っていきました。作品の特徴はやっぱり違っていて、豊岡杞柳細工の技術的な部分は特に、仕上がりの編み目の雰囲気やそのプロセスっていうのは、間違いなく唯一無二でしたね。僕も会場内をぐるっと回ったんですけど他になかったし、同業者と交流していても新鮮に興味を示してくれていたので、これはやっぱり豊岡の、もっというと日本の強みなんだなっていうふうに思いました。
ヨーロッパは、いわゆるピクニックバスケットみたいな見た目のカゴが主流なんで、ウチで展開しているような比較的カバンに近い商品というか、いわゆるトランクケースや旅行鞄みたいなもの、そういう作りのものっていうのはあまりなかったみたいで、お客さんだけじゃなく、本当に多くの同業者が、すごく興味を持って話しかけてくれました。
Q:柳行李やトランクケースは、形がスクエアでしょ。そのいわゆるバスケットっていうものは丸い印象なんだけれども、スクエアのものってヨーロッパで作っていますか?
スクエアのものもあります。というのも、例えばピクニックバスケット一つにしても。丸みを帯びているものとスクエアのものがあるんですけど、違いとしては技術が全然違いますね。いろんなアーティストさんからいろんなお話を聞いて、僕も知見を養うために技術を盗もうとしてたんですけど、ヨーロッパベースの技術でいうと丸みを帯びているものよりは、スクエアの角張ったものの方が技術的に難しいとはおっしゃってました。

Q:柳の原料の違いっていうのは、ヨーロッパと日本でありますか?
ニッチな業界の話のなかでも本当にコアな部分の話になってくるんですけど。大まかに言うと「ヤナギ科」だから一緒です。僕らの業界(杞柳細工)で使われている材料っていうのは、いわゆるヤナギ科の落葉低木である「コリヤナギ」っていう材料を主として使うんですけど。ヨーロッパでは厳密にいうとコリヤナギはなかったですね。材料屋に聞きました。名前が違うのかもしれませんけどね。代わりに日本では流通していないたくさんの種類がヨーロッパの籠市場にはあって、それぞれ特徴が違うので勉強になりましたね。ドイツの作家さんはアメリカ産や、スペイン産をよく使ってると聞きました。作家が相当数活動していて、籠専門の道具や材料を扱う業者がいる。つまり生きたマーケットが存在しているんで、羨ましい。日本とは環境が違いましたね。ドイツでも僅かですが自分たちで栽培している方もいましたよ。うん。ブリティッシュ・ウィローとかも業界では有名なんですけどね。
Q:展示会で学ぶことは多かった?
めちゃくちゃ多かった。お客さんとのコミュニケーションから感じるものや、フィードバックいただくものもそうですけど。一番収穫だったのは横のつながりですかね。国内だと生きたマーケットが存在してないというか、「柳を編む」ことに関連するようなことに見識がある人や事業者がほぼいないんです。僕の知る限り僕ら「杞柳細工の業界」「神戸の作家さん(個人)」「山梨の作家さん(数名)」くらい。理由はわかってるんですけどね。展示会では同業者との繋がりはもちろん、いろんな情報交換ができたのがやっぱりでかかったです。
Q:日本の伝統を基に参加してるっていうのは、かなる君だけ?
僕以外の日本の参加者の方たちは、それぞれヨーロッパの技術にルーツがあって。神戸の方はリヒテンフェルスの専門学校なんでドイツベース。山梨でやっている作家さんはもともとはラトビアの技術を現地で学んだとおっしゃっていました。なのでやっぱり日本の伝統的なものを作っている僕には参加してほしい!って言われましたね。(紹介してもらった経緯)柳を編むっていう文化は国内ではすごく珍しくて、豊岡を含めた但馬地方では昔から柳行李をはじめ一大産業であった過去があるほど文化として定着していたんですけど。史実として豊岡がその技術をほぼ独占していたんですよね。なので豊岡杞柳細工の技術は(ヨーロッパの方々から見ると特に)オリジナルなんだなって思いました。網目の雰囲気、仕上がりはもちろん違いますけど、ほんとうにベースが違う。ヤナギっていう素材は一緒だとしてもそのプロセスが1から10まで全く違いました。

Q:コミュニケーションはドイツ語でとっていたと聞きましたが、なぜ話せるんでしょうか。
高校を卒業後に単身でドイツに移住して、そこから7年間程ドイツのフランクフルトっていう場所で暮らしてました。高校2年生ぐらいでみんな進路を決めないとってなるじゃないですか。その時に、僕は進学でも就職でもなくて、海外移住の1択だったっていうのがまずあって。で、それもなんでなんだ?って聞かれたら、まためちゃくちゃ話が長くなるんですけど。とにかく世界が見たかったんですよね。両親も結構背中を押してくれたんで、行っちゃえって感じで。もちろん当初ドイツ語は話せなかったんですけど、もう帰国する気があまりなかったんで、まずはドイツ語をネイティブぐらいまで話せるようにならないとなと思って勉強して、2年目ぐらいからは、さらにドイツ語の向上の意図もあって、接客業を選んだんですよね。バリスタだったりとか、バーテンダーだったりとか。本当、色々経験しましたね。ドイツ語で飲食店の接客業のことを「ケルナー」って言うんですけど、フランクフルトではずっと「ケルナー」を生業としたって感じですね。
今回の展示会は、僕の過去のつながりやコミュニティから来たお話っていうわけではなく、僕がこの杞柳細工の世界に入って活動してる中で、ご縁があって。そこからのプロセスだったので。本当、偶然といえば偶然。まあでも、なんかこう点がつながるじゃないですけど、なんか運命めいたものを勝手に感じてました。
Q:豊岡に移住したきっかけは?
本当は日本に帰ってくる気はなかったんですけど、まあいろんな要因やトリガーがあって帰国を決意しました。25歳の頃でした。ただ、特に仕事のアテがあって帰ってきたわけでもなかったんで。半年ぐらい大阪にある実家で過ごしていて、それから豊岡っていう土地に旅行か何かで出会って、「なんかいい街だな」と思って移住を考え始めたって感じでしたね。
ものづくり系の仕事がしたかったんですよ。でそこに伝統工芸っていうのが乗っかってたんで、「なーんか面白そうだな、この世界」って。ほんとふわっとした感じの動機です。でもドイツでの7年間はほぼ飲食業の接客で暮らしてましたけど、実は高校が工業高校だったりとか、子供の時からものづくりが好きだったりとか、小学校の図工の授業とか、中高になったら美術の授業がありますよね?それが一番好きだったし成績もよかったんですよね。だからものづくりには昔から興味はあったんですよね。好きな分野ではあったっていうのは、ある意味つながってるんじゃないかなと思います。
そうそう、実はドイツ生活の5~6年目ぐらいの時にも、「もう20代後半に入ってくるんだ俺」と考えるようになった頃、キャリアを変えようとしたことがあったんですよ。その頃ドイツ語がもうドイツ出身と間違えられるくらいになってたんで、飲食業はもういいかなと思ってて、で、当時に住んでた地域に、すごい雰囲気のある、白髪のおじいちゃんが一人でやってる革靴をリペアしてくれる専門店があって、僕革靴好きだったんでよくお世話になってたんですけど。そこに一度「働かせてください」と言ったことがあるんです。まあいろんな理由で叶わなかったんですけど、ドイツにいた7年間の後半のタイミングで、ものづくりの世界に行きたいなっていうアンテナがそういえば自分の中にはあったんですよね。今思い出しましたけど。

Q:そもそもの話をしますが、コリヤナギを使った豊岡杞柳細工の歴史はどういうものなのでしょうか?
いろんな説があるんですけど、まず但馬地域(豊岡を含む兵庫県北部)で生産されたとされる、小さな丸い柳行李が、奈良県の正倉院宝物庫に収められてあるんです。その作品の存在が、豊岡杞柳細工が最低でも1300年以上、日本に根付いてるんだっていう証になっているわけなんです。で、朝鮮半島から流れてきた文化だっていう説だったりとか、神様が授けたみたいな神話もあって、そんなのも含めると2000年っていう説もあるんですけどね。確証がないんですよね。
結局、僕がいろんな情報を集めてフラットに現実味で捉えたのは、ルーツとしては豊岡は水害が多い地域だったのでお米がうまく育たなかったと。だけど、湿地帯だった豊岡の円山川の河川敷にはコリヤナギが自生していて、それを編んで使い始めた。なんかその文脈が一番リアルな信じられるルーツなんじゃないかなと思います。今では豊岡はカバンの生産地としてひそかに知られてますけど、その鞄産業の礎になったのが杞柳細工にあることは間違いないですね。厳密に言うと柳行李ですね。1300年前から時を経て、明治時代に柳行李に革ベルトと取手をつけた行李カバンっていうものが発明されて流通することになるんですけど、間違いなくそれが今の鞄産業のルーツになってる。なので、豊岡にあるカバン屋さんのご先祖さんなんかはほぼ間違いなく杞柳細工に携わってらっしゃったとかなんとか。
杞柳細工にもたような技術、カテゴリーがあるんですが、中でも代表的な「柳行李」は本当にいろんな目的に汎用されていて、時代によっても違うと思いますけど、保存用の箱が一番軸となる用途であったと思いますね。柳行李っていうのは目がしっかり詰まってるのである意味密閉された箱のように見えて、実は1本1本の芯に通ってる綿が湿度管理をしてくれるから、すごく通気性がいいんです。つまり丸木の枝のまま使うのが特徴かもしれません。防湿効果があるのが、コリヤナギの特徴だと思ってます。密度高く仕上がる編み方を使ってるんで、強度も伴いますね。

Q:コリヤナギの栽培について教えてください。
柳の栽培をするっていう文脈も、歴史を紐解くと結構面白いなと思うんです。この杞柳細工が豊岡市を中心に但馬地域での一大産業だった時代が長らくあったんです。でも今では、かなり少なくなってるんで分業制ではなくなっていて、僕は自分で使う柳の材料は自ら栽培するっていうスタイルをとってますね。国指定の伝統工芸品って文脈でもいろんなジャンルがありますけど、やっぱり素材から着手してるというか、素材作りから、材料を作るところから手がけてるっていうのはすごく限られている。僕らは当たり前のように栽培からしてますけど、結構手はかかりますしもちろん大変なんです。けど、素材作りからやってるから生まれる強みみたいなのもあるのかなと思ってます。例えば現代では。材料が貴重で入手が困難になって、価格の高騰とかで、その業界がなくなる。淘汰される。そんな話なんかよくありますし。栽培から加工までの技術が継承されているのは、豊岡杞柳細工の強みだなとは思いますよね。
豊岡市内に僕のヤナギ畑がいくつかあるんですが、水はけが悪くても全然よくて、湿地帯とか理想的な土壌なんじゃないかなと思うんです。それ相応にお世話はするんですけど。まあでも基本的には放っておいても育つ強い植物なんで、ぶっちゃけ誰でも育てられる。コリヤナギは挿し木で増えます。枝を畑に差し込むと土から顔を出してる部分からどんどん芽吹いてきて、枝分かれしていって、天に向かってまっすぐ伸びていくっていう特徴の植物なんで、結構スタートは簡単だと思います。
挿し木をするのに理想的なのは2月、3月くらいですかね。その前に土壌を整えます。3月、4月くらいになると、土壌が良ければすぐ芽吹いてくる。夏から秋にかけてぐんぐんと成長していって、天に向かって伸びていく。最大で3~4メートルくらいになるんですけど。1年目からそこまで伸びることはないかな。大体挿し木してから2、3年経たないと、ある程度の量で長さが伴った材料が収穫できないっていうところではありますね。
柳の収穫時期は大体12月前後ですね。刈り取って束にして、そのまま畑に突き刺して、冬越しさせる。2月、3月に暖かくなってきたら束をほどいて、バラした状態で畑に立てかけて、1本1本に春の陽気を感じさせる。冬越ししてる時は柳は仮死状態になってるんですよ。だけど春にそういうアプローチをすることで、また芽吹いてきて、生き返ってくる。刈り取って冬越しさせる時に、その柳たちをちゃんと土に突き立てるっていうのは結構重要なんです。寒い冬でもその土の中からわずかな栄養は吸い取ってるんだと思います。そして4月頃、芽吹いてきたところで、1本1本皮むきして、洗って干してっていうのが数週間続いて、やっと夏ぐらいに材料になる、そういう周期ですね。2年から3年ぐらいかけて素材に変える。こうやって言葉にするとハードなことしてるんだなって思いますよね。

日本では市場が小さいというか、「ない」に等しいので手に入らない。ヨーロッパでは材料屋があるんで売ってます。柳で籠編んだりとかする作家さんが比較的まだ多いし、材料だったりも道具だったりも専門店で結構流通している。展示会に行った時もそういうところを何軒か紹介してもらいました。他にも柳で籠を編むっていう仕事に特化した道具とかが売ってあるんで、本当に楽しかったです。
Q:自身のブランド「KORI ANRI JAPAN」について教えてください。

KORI ANRI JAPANは、ドイツ時代に苦楽を共にした親友と考案しました。彼はベルリン在住でドイツのシューズメーカーでプロダクトデザインなどを生業としているので、ロゴマークとかネーミングを相談しながら作ってもらったんです。「KORI」は行李の意味。うちは杞柳細工の中でも「柳行李」の技術がベースなので。「ANRI」は「行履」と書くんですけど、実は「行李」と同義語なんですよね。で、「行履」には仏教用語としてふたつの意味があって、もうひとつが「日常の一切の行為」といいます。僕が独立する際、クラシックな文脈の商品ももちろん作り続けていきたいけど、別の側面として「現代の生活に合ったもの」や「固定概念から逸脱するようなもの」も作っていきたいなって意志が強かったんです。「コリ・アンリ」っていう語呂もいいですしね。なので、このネーミングで行こうと。海外展開も意識してるんで、JAPANつけないとねって。

商品や販路についてはKORI ANRI JAPANの受注の主軸になってるのはオーダーメイドですね。強いポリシーもあって積極的にやってます。納期は大体1〜2ヶ月くらいは見積もってお伝えさせてもらってます。
今後の活動は変わらず「周知」ですかね。国内もそうですけど力入れたいのは海外展開。実は「豊岡杞柳細工」って国内の伝統工芸の世界の中でもかなり認知度が低いんですよね。KORI ANRI JAPANもまだ独立して3年目なんで、まだまだこれからのブランドではあるんですけど、いろんな意味で周知しないとダメだなと思ってます。僕はヨーロッパと日本の比較でしか分析できないですけど、日本生まれで日本育ちの日本人より、海外の人間の方が日本の伝統文化や伝統工芸に対してのリスペクトがすごく強くて、見識のある人もかなり多いと思います。あとはKORI ANRI JAPANの最終的な目標っていうところですね。常に見据えてます。僕が縁あって出会ったこの仕事の文脈を通じて、「ローカル」と位置付けられているこの地域で、若い世代の雇用を生むような明るい未来を作るんだって。なのでやっぱりブランドを大きくしていく必要があると思ってるんで、そのために海外展開っていうのは、結構重要なプロセスなのかなと思ってます。
KORI ANRI JAPAN 加藤かなるの商品はこちらから購入できます。
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インタビュアー・原稿執筆 岡山拓(豊岡BASE)
写真・ドキュメント リット(豊岡BASE)
場所 KORI ANRI JAPAN
日時 2/4 2026
