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「完全オーダーメイド」は、何人まで「完全」でいられるのでございましょうか


豊川コータロー★でございます。
今日の題目は「『完全オーダーメイド』は、何人まで『完全』でいられるのでございましょうか」でございます。

教育の世界には、たいへん魅力的な言葉がございます。

完全オーダーメイド。

お子さま一人ひとりに合わせます。
学力に合わせます。
性格に合わせます。
志望校に合わせます。
生活リズムに合わせます。
部活動にも合わせます。
得意不得意にも合わせます。

なるほど。

そこまで合わせていただけるのでしたら、もはや教育というより仕立屋さんでございます。

採寸して、仮縫いして、着心地を確かめて、少しでも合わなければ直す。

実に丁寧でございます。

ただ、豊川コータロー★は、そこで一つ気になってしまうのでございます。

生徒が三人なら、できそうです。

十人でも、先生が丁寧ならできるかもしれません。

では、

三十人。

五十人。

百人。

二百人。

となったとき、

その「完全」は、いったい何人目まで完全なのでございましょうか。

「完全」という言葉には、定員がないようでございます。


オーダーメイドとは、最初に計画表を作ることなのでしょうか

子どもに合わせた学習計画を作る。

これは大切です。

今の学力を見る。
目標を見る。
学校の進度を見る。
必要な教材を選ぶ。

ここまでは、よくわかります。

しかし、子どもというものは、その計画通りには動いてくれません。

数学が予定より早く進む。

英語で急に止まる。

学校の授業が予想より速い。

部活動が忙しくなる。

定期テストの日程が変わる。

本人の志望校まで変わる。

昨日はできたのに、今日はできない。

これが子どもでございます。

したがって、本当にオーダーメイドであるなら、

最初に計画を作るだけでは足りません。

子どもが変わるたびに、計画も変わらなければならない。

ここが大切です。

最初に立派な個別学習計画表を作って、

三か月後も、

「予定通り進めましょう」

であるなら、

子どもに合わせた計画というより、

計画表に子どもを合わせている

可能性がございます。

主語が、いつの間にか入れ替わっております。


名前が違えば、オーダーメイドになるのでございましょうか

教育の個別化では、ときどき実に興味深い現象がございます。

Aさんの学習計画表。

数学20ページ。
英語30ページ。
理科15ページ。

Bさんの学習計画表。

数学20ページ。
英語30ページ。
理科15ページ。

Cさんも、

数学20ページ。
英語30ページ。
理科15ページ。

しかし、一番上のお名前だけは違います。

なるほど。

完全オーダーメイド。

この理屈でございますと、学校の通知表も完全オーダーメイドでございます。

全員、同じ書式。

教科も同じ。

評価欄も同じ。

ただし、お名前は一人ひとり違います。

日本中の学校は、すでに壮大なオーダーメイド教育を実現していたことになります。

文部科学関係の皆さまも、さぞ驚かれることでしょう。


教材が同じでも、別に悪くはございません

ここは誤解のないように申し上げます。

全員が同じ教材を使うこと自体は、何もおかしくございません。

よい教材なら使えばよいのです。

計算練習なら、この教材。

英文法なら、この問題集。

漢字なら、このドリル。

共通して使えるものはたくさんあります。

むしろ、一人ひとりに毎回教材をゼロから作ることが、よい教育とは限りません。

大切なのは、

教材が同じかどうかではなく、使い方を変えられるか

でございます。

この子は全部やる。

この子は基礎だけ。

この子は一度戻る。

この子には別の説明をする。

この子はもう先へ進む。

ここに個別性があります。

ですから、

「共通教材を使いながら、一人ひとりに必要な部分を調整します」

これで十分に立派でございます。

ところが教育広告になると、

それでは少々地味なのでしょう。

完全オーダーメイド。

と、急に背広へ着替えます。

中身は同じ教材。

言葉だけ銀座へ出店しております。


本当に一人ひとりを見ると、かなり時間がかかります

子どもを個別に見るというのは、なかなか大変なことでございます。

テストの点数だけではわかりません。

数学50点。

これだけ見ても、

計算ミスが多いのか。

問題文を読めていないのか。

公式を覚えていないのか。

公式は知っているが使う場面を選べないのか。

時間切れなのか。

まったく違います。

国語60点でも同じです。

本文が読めない。

設問の意味が取れない。

根拠を探せない。

記述だけ書けない。

語彙が足りない。

同じ60点でも、中身は別人でございます。

本当にオーダーメイドするなら、

問題を解いているところを見る。

手の止まり方を見る。

目線を見る。

消した式を見る。

どこで迷ったかを見る。

ヒントを出したあと、何が変わったかを見る。

そこから次の課題を決める。

そして翌週、

前回の見立てが合っていたかを、また見る。

たいへん地味です。

広告にすると、

「手の止まり方を見ております」

では弱い。

そこで、

「完全個別最適化型オーダーメイド教育」

となります。

観察していただけなのでございますが、突然、研究施設の香りがしてまいります。


人数が増えるほど、標準化は必要になります

生徒が増えれば、仕組みが必要になります。

これは当然です。

記録の方法をそろえる。

教材をそろえる。

指導手順を決める。

確認テストを共通化する。

先生同士で情報を共有する。

むしろ、きちんとした運営なら必要でしょう。

問題はございません。

ただし、ここで少し面白いことが起こります。

生徒が増える。

運営を標準化する。

教材を共通化する。

指導手順を統一する。

それでも広告には、

「完全オーダーメイド」

と書いてある。

なかなか見事でございます。

中身は工場生産へ近づいているのに、包装紙には、

「職人が一着ずつ心を込めて」

と書いてございます。

教育界の生産管理は、たいへん奥深いのでございます。


「一人ひとり違う」から「全員この方法です」へ

教育広告で、豊川コータロー★がたいへん味わい深いと思う流れがございます。

まず、

「子どもは一人ひとり違います」

と始まります。

その通りでございます。

学力も違う。

性格も違う。

家庭環境も違う。

学び方も違う。

そして、その直後。

「だから、当塾独自の○○メソッドで伸ばします」

……

少々お待ちくださいませ。

一人ひとり違うのでございますよね。

ところが方法は一つなのでございましょうか。

子どもは百通り。

メソッドは一通り。

なかなか勇気のある個別化でございます。

もちろん、教育には共通して有効な考え方があります。

思い出す練習。

間隔を空けた復習。

適切な難易度。

フィードバック。

こうした原則は多くの子に使えます。

しかし、どこで、どのくらい、どう使うかは違います。

そこを調整するから個別なのです。

「全員違う」と宣言した直後に「全員これ」でございますと、

教育理念が一段落の間に自己解決しております。


AIを使えば「完全」になるのでございましょうか

最近では、AIによる個別最適化もございます。

正答率。

解答速度。

苦手単元。

過去の学習履歴。

これらを分析し、一人ひとり違う問題を出す。

これは便利です。

人間だけでは難しい規模でも、細かく調整できます。

ただし、

違う問題が出た。

だから、

完全オーダーメイド教育。

というところまで一気に進むのは、少し待ちたいのでございます。

AIには、

昨日、学校で嫌なことがあった。

今日は眠い。

親とけんかをした。

数学を見るだけで不安になる。

本当は問題が難しいのではなく、失敗するのが怖い。

こうしたものが全部見えているとは限りません。

学習データに合わせることと、

人間に合わせることは、

重なる部分もありますが、同じではございません。

自動販売機も、ボタンを押した人に合わせてコーヒーかお茶か選んでくれます。

しかも最近は、

温かい。
冷たい。

まで選べます。

かなり個別最適化されております。

それでも駅前で、

「完全オーダーメイド飲料コンシェルジュ」

とは名乗っておりません。

自動販売機は、たいへん謙虚でございます。


「完全」であるほど、変更できなくなる不思議

もう一つ気になることがございます。

「完全オーダーメイド」と言った以上、

方法が合わなかったときにどうするのでしょう。

この子には合わなかった。

計画を読み違えた。

教材選びが違った。

こういうことは教育では普通に起きます。

なぜなら、人間を相手にしているからです。

本当に子どもを見ている先生なら、

「最初の見立てが違いました」

となることがあります。

それでよいのでございます。

しかし、

最初から「完全」と名乗っておりますと、

なかなか間違いを認めにくくなります。

完全な計画がうまくいかなかった。

では、何が悪かったのでしょう。

計画は完全。

方法も完全。

システムも完全。

残っているのは、

子どもだけ

でございます。

これは、少々怖い構造です。

教育の方法は、子どもに合わせて変わるものでございます。

子どもを方法に合わせるのではありません。


ここで、ひとつ教訓でございます

オーダーメイド教育とは、最初から完全な計画を作ることではなく、子どもを見ながら何度でも計画を作り直せることでございます。

ここでございます。

初めから全部わかる教育者など、おりません。

やってみる。

見る。

違う。

直す。

少し伸びる。

また変える。

それが教育です。

ですから、本当に個別に見ている場所ほど、

「完全」

という言葉から少し距離を置くのではないでしょうか。

「この子には、まずこうしてみます」

「うまくいかなければ変えます」

「今はここまで見えています」

こちらの方が、ずいぶん誠実に聞こえます。

教育とは、完成品を納品する仕事ではございません。

子ども自身が変わっていくのですから、教育の側にも変わる余地が必要なのでございます。


保護者が確認したいのは「完全ですか」ではございません

「完全オーダーメイド」と書いてあったら、

本当に完全かどうかを追及する必要はありません。

もっと具体的なことを聞けばよいのでございます。

教材はどこまで共通ですか。

学習計画は誰が作りますか。

何週間ごとに見直しますか。

授業中の様子は記録しますか。

予定通り進まなかった場合、どうしますか。

担当者が変わったとき、情報はどう共有しますか。

学校の進度が変われば対応しますか。

子どもが方法に合わなかった場合、方法を変えますか。

こう聞けば、その教育の個別性が見えてきます。

「完全です」

より、

「ここは共通です。ここから個別に変えます」

と答えてくれる方が、かえって安心できることもございます。

共通部分を認められる教育の方が、個別部分も見えやすい。

これは案外、大切なことでございます。


では、何人まで完全なのでございましょうか

結局、本日の題目へ戻ります。

「完全オーダーメイド」は、何人まで完全でいられるのでしょう。

答えは、人数だけでは決まりません。

一人を見るための時間。

記録する仕組み。

先生同士の情報共有。

計画を変更できる柔軟性。

本人の反応を見る仕組み。

これらがあれば、人数が多くても高い個別性を保てるでしょう。

反対に、生徒が五人しかいなくても、

全員同じ教材。

全員同じ宿題。

全員同じ声かけ。

なら、あまりオーダーメイドではありません。

つまり大切なのは、

何人いるかではなく、何人いても一人を一人として扱えているか

でございます。

これは広告の文字サイズからは、なかなかわかりません。


最後に

完全オーダーメイド。

よい言葉でございます。

「わが子をきちんと見てほしい」

という保護者の願いに、たいへんよく届きます。

だからこそ、言葉だけで安心しない。

何が個別なのか。

何を変えているのか。

どれくらい頻繁に変えるのか。

誰が判断するのか。

子どもが変わったとき、教育側も変われるのか。

ここを見る。

本当にオーダーメイドなら、具体的に説明できるはずでございます。

もっとも、名前さえ違えば完全オーダーメイドと呼べるのであれば、豊川コータロー★も明日から新事業を始めたいと思います。

「完全オーダーメイド定食」

でございます。

一人目のお客様。

唐揚げ定食。

二人目。

唐揚げ定食。

三人目。

唐揚げ定食。

百人目。

もちろん唐揚げ定食。

ただし、ご安心ください。

お盆の上には、それぞれ、

「田中様」
「鈴木様」
「佐藤様」

と、お名前を書いた札を置きます。

これで世界に一つ。

完全オーダーメイドでございます。

お客様から、

「全員、唐揚げではございませんか」

と尋ねられたら、胸を張って申し上げます。

「いいえ。佐藤様の唐揚げ定食は、佐藤様だけにお出ししております」

完璧でございます。

さらに完全度を高めるため、ご飯の量を、

大・中・小

から選べるようにいたしましょう。

究極の個別最適化でございます。

なお、唐揚げが苦手なお客様にはどうするのか。

そこから先が、

本当のオーダーメイドでございます。

教育も、たぶん同じです。

子どもの名前を変えることと、教育を変えることは、同じではございません。

教育の言葉は、きれいに聞こえるほど、少し距離を置いて読むものでございます。
本日も、ありがたいお話に足をすくわれませぬよう。
豊川コータロー★でございました。

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