見出し画像

先輩の夢:4月25日

4月25日、土曜日。

朝のリビングで、明日からの外出の準備をしている謙二朗の背中を眺める。

明日、日曜日に彼が麻衣さんの家へ行くことは、口に出さずとも察しがついた。以前の私なら、そのデートの内容をどうにかして暴き、彼の精神を揺さぶるための「材料」として蓄えていただろう。

​だが、今の私は、彼の明日の予定などどうでもよかった。

むしろ、彼が不在になる日曜日に、このマンションで一人、どれほど濃密に慎太郎先輩への想いを深められるか。そのことばかりを考えていた。

​(お兄ちゃん、もう、私の視界から消えていいよ)

​謙二朗への興味が、完全に「無」へと反転した瞬間だった。

私は朝食を終えると、すぐに道場へ向かう準備を始めた。土曜日の合同稽古は時間が長い。それは、慎太郎先輩という実在の熱量に、より長く触れていられることを意味していた。

​道場での慎太郎先輩は、相変わらず爽やかで、そしてひたむきだった。

「晶さん、昨日の課題だった入り身投げ、もう一度確認しようか」

彼が差し出す大きな手。その掌の厚み。

私は彼の腕を掴み、その重心を奪うたびに、昨日夢でタロを組み伏せた時の感触を思い出していた。現実の慎太郎先輩の腕は、夢のタロよりもさらに重く、血が通っている。

​(この筋肉も、この熱も、いつかすべて私の管理下に置く)

​私は稽古中、一度も彼と目を合わさなかった。ただ、彼の肉体の動き、呼吸の乱れ、汗の匂いだけを、捕食者が獲物を分析するように全身のセンサーで受け止めていた。慎太郎先輩は、私のそんな異様な集中力を「熱心な後輩の向上心」と勘違いし、いっそう熱っぽく指導に当たってくれた。その無防備さが、たまらなく私の支配欲を刺激する。

​夜。笹塚のマンション。

謙二朗は明日に備えて早めに眠りに就いたようだ。私もまた、自分の獲物とまみえるためにベッドに入った。

​夢の荒野。

現れたタロは、昼間の稽古で触れた慎太郎先輩の逞しさをそのままに、さらに攻撃性を増して襲いかかってきた。

「今日は逃がさないぞ、晶……!」

タロが私を力任せに押し倒そうとする。私はその巨体の重みを合気道の理合で受け流し、一瞬で彼の首筋を捉えた。

​昨日と同じく、私は彼を仰向けに沈め、その顔面に私の肉体の重みをすべて預ける。

​顔面騎乗。

​「んぐっ……! ……ぁっ!!」

​タロの視界を、私の体温が遮断する。鼻と口を塞がれたタロは、必死に私の腰を浮かそうと、その逞しい腕で私の太ももを掴み、爪を立てるようにして足掻く。

その、酸素を求めて悶える野性的な筋肉の振動。

​「いいわ、タロ。もっと必死に縋りなさい。あなたの絶望が、私の生の実感になるの」

​私は一点の揺らぎもなく、彼の顔面を私の肉の檻で封じ込めた。

足掻くタロの力が、徐々に、けれど確実に失われていく過程。命の灯火が私の支配下で細くなっていくその瞬間。私はこれまでにないほど、自分の心が鋭く研ぎ澄らされていくのを感じていた。

​現実の相模慎太郎を、この夢のタロのように。

明日、謙二朗が外の世界で誰に飼われようとも、私はこの聖域で、私の王国の基盤を固めるだけだった。

いいなと思ったら応援しよう!