令和人文主義とか
いたるところで年末進行が発生し、炎上気味。
果たして乗り切れるのか。
令和人文主義をめぐる議論が盛り上がっている。
そんなカテゴリーないと思っているのだけど、それを軸にしようとする人々によって、実体化されてきたみたいだ。
そのうちまとまったことを書こうかな。
とりあえずいま思っていることだけ。
少なくとも、それが令和人文主義かどうかは別にして、近年の人文思想系の著作に求められているのは、トリッキーな専門用語でなんだかよく分からない本ではなく、日常的な語彙で展開され、普通に読める本なのだろう。
ただそれだけな気がする。
その背景にはトリッキーな言葉遣いの人文書に対する失望があるとは思う。トリッキーな言葉遣いは、「攪乱」としてのポジティブな機能を持つかも知れないが、同時にただの衒学的な粉飾にしか見えないこともある。
少なくとも僕はそういう本に対する失望は大いに共感するし、人文書なんだから衒学的な粉飾をしても許されると思っている著者は、甘えていると思う。
しかしその一方、人文書が持つ「攪乱」の戦略が機能しなくなっていることもまた事実だろう。そうした側面をいかに引き受けていくかが、自分にとっては課題。
とはいえ、会社員向けになることで、ビジネス用語が多用される傾向があるなら、それには反対。新たな衒学的粉飾が人文書を蝕むことになりそうだから。「PDCAを回す」とか「ペルソナ」とか。
