『ぼくが生きてる、ふたつの世界』みたンゴ
公開日の9月20日朝一番で観てきました!!!!
そして幸運にも21日昼の舞台挨拶に当選しまして行ってきましたわよ~!!!
今回も最近の出来事を時系列で目次作ってみたので、興味あるところだけ読んでくださると嬉しいです。なんかほんと、好きなことを好きなだけ書いて、読んでくれた人に何かしら刺さってくれたら嬉しいなあって思って始めた日記なので、いいね?っていうか♡を押してくださる方いらはるのが不思議な限りです。ありがとうございます。(noteってnoteに登録しなくてもいいねできるのが気軽な感じでええですよね。書いた側からしたら誰がしてくれたんかいっちょんわからんので見ず知らずの人に「…アッありがとうございます…」っていつも思ってます笑)
『CODA』感想
以前、日比谷のシャンテで公開されてたときに観に行きました。どんなやっけなってちょっと細かいところ思い出したくなって、最近ネトフリで見返しました。シャンテのTOHOシネマズはけっこうマイナーというかニッチな映画が上映されていて個人的に好きでしたね。いやまあ『CODA』はアカデミー賞受賞作品なのでニッチなわけがないんですが。
日本は日本でアカデミー賞をガラパゴス化してしまってるのが、外野から見てる感じではもったいないんかなぁと。国内消費に期待せず最初から世界狙ってるのが韓国ですよね。K-POPや韓ドラなど、国を挙げて世界に輸出しているのはほんますげえなって思います。お芝居も上手やもんね韓ドラの俳優さんたち。日本のドラマとか映画ってときどきほんまお遊戯会が混じってるのがね…心臓にわるいンゴ。一生懸命に演ってはいらっしゃるんやろけども。(お口がわるぅございますわよ!!!)
『CODA』を見返した感想としては、ルビーのinitiationの物語やったんやな、と。つまりは成人儀礼ですよね。少女から大人へ。束縛から解放へ。人生の岐路に立ったとき、何を捨て、何を選ぶのか。何を自分の中に後生大事に残すのか。イニシエーションの物語なので、マイルズとのセックスがなかった代わりに、崖から飛び降りるという演出が必要になってくるわけです。バヌアツだっけな。成人の通過儀礼でバンジージャンプしなきゃいけない国がありますよね。
ルビーの家族は漁で生計を立てていて、父母兄妹という家族構成で妹のルビーだけが聴者です。CODAって言葉を知ったのは、だいぶ前だったと思うんですけど、なんでだっかな。確か学部生のときに言語学の講義を取って、
「手話は言語の一つです。日本語ではありません。日本語とは文法構造も異なります」
って先生から教わって、ほんま驚いて、色々調べたときだったかと。
当時の講義レジュメが出てきたので載せてみます。10年くらい前の話なので、当時習ったこととして、アップデートできていないことはご了承ください。


学部生の頃、一番勉強してたなぁ(遠い目)
中途失聴者や難聴者が登場する物語では、有川ひろさんの『図書館戦争』に出てくる毬江ちゃんの話とか、『レインツリーの国』とかも有名ですよね。中学生のときに読んで、ろう者とろうあ者の違いとか、突発性難聴のこととかを学びました。物語をきっかけに、図書館やネットで実際に調べるのは、子どもにとっていいことなのではないかと個人的に思ひます。
「小牧、答えろ。このお歴々はどういう容疑をお前に被せた?」
「……聾唖者に難聴者の登場する本を勧めたことが甚だしく被害者への配慮に欠ける、とのお話でした」
「聾唖者って誰のことですか?」
毬江がすかさず切り込む。これだけはっきりと日本語を操る毬江は、少なくとも聾唖者の定義には当てはまらない。
「いや、それは聾者と言い間違えて」
くぐもった言い方が毬江には聞き取れなかったらしい。付き添っていた柴崎が持っていた手帳にその台詞を書いて見せ、
「聾者って誰のことですか?」
読み終わるや毬江がまた突っ込む。
「皆さんは聾者と中途失聴者と難聴者の区別もついていないのに、どうして私がその障害者として差別されたと分かるんですか?」
聴覚障害者にとってそのカテゴリーは自身のアイデンティティに関わる重要な違いがある。
大きくは言語の問題だ。日本語獲得以前に聴覚障害を負い、手話を思考の第一言語としているタイプの聾者と、日本語獲得以後に聴覚障害を負い、日本語を思考の第一言語としているタイプの中途失聴者や難聴者では、持っている文化やコミュニケーション方法そのものが違う。
しかもそのカテゴリーは外的な条件で部外者が一律に区別できるものではなく、当事者が選択的に変更することさえできるのである。どのカテゴリーに属するかは重大な個性の選択だ。
特に聾は、アイデンティティの表明として聾という言葉が使われるくらい独自の文化圏を形成している。
毬江は自分を日本語獲得以後に聴覚障害を負ったという意味での中途失聴者であり、難聴者であると位置づけている。意思疎通は発声による会話と筆談(の代わりの携帯メール)が主だ。
「私は小牧さんに勧められた『レインツリーの国』という本を楽しんで読みました。私がこの本を楽しんだことが差別されたことになるんですか?」
真っ向から質す毬江に委員たちは誰一人答えない。その表情はバツの悪さを通り越し、いっそう苦々しげですらある。自分たちの思惑に沿わなければ担ごうとした御輿にさえ不愉快を隠そうとしない身勝手さだった。
「私がこの本を楽しんだことを何で差別だなんて言われなくちゃいけないんですか? せっかくの楽しかった気持ちが台無し。私にはあなたたちが一番私の耳のことを差別したがってるとしか思えません。だって私はこの物語の主人公にすごく思い入れして読んでたのに」
毬江の声が不愉快そうな人々に向けて高ぶる。
「障害を持ってたら物語の中でヒロインになる権利もないんですか? 私みたいな女の子が恋愛小説の主役になってたらおかしいんですか? 私に難聴者が出てくる本を勧めるのが酷いなんて、すごい難癖。差別をわざわざ探してるみたい。そんなに差別が好きなの?」
有川ひろさんの作品については下の日記でも語ってます。
ルビーのお父さんは海の男だからか知りませんが、彼の手話には下品な表現(上品とは言いがたい)も数多くありました。というか、表現が直截的、ストレートなんですよね。
ワシも母方の祖父母が第一次産業(祖父が漁師と百姓、祖母は百姓だけ)で生計を立てている(祖父は既に他界)のでわかるんですが、田舎の方言ってマジで下品ですからね(笑)まあワシの日記からもご推察の通り(ん??)、言葉が乱暴、というか、お口がよろしくないわけですよ。
「かっぺこしゃぁくなしりくそつけんごちしちょけよ!!」
はい、なんて意味かわかりましたか。ああ、なんとお下品なお言葉でせう。お里が知れますわよ。
解説すると、
かっぺ:「かーっぺっ」と唾棄すること
こしゃぁくな:小癪な奴め
しり:尻に
くそ:糞
つけんごち:付けないように
しちょけよ:しなさいよ
訳:調子乗んなよ?
となります。
つまり、方言可愛いとかいう男は端からワシは信用しないって話です。方言が可愛いんじゃなくて、面の可愛い子が言ったらっていう条件付きなんすよね実際のところ。(あれ、何の話ですか?? 誰かに恨みでもあるんですか??笑)
田舎言葉って、個人的にはおもろい言い回しがたくさんあって表現の幅が広がると思います。バイリンガルみたいなもんです。のだめに千秋先輩も言ってましたよね。

おかんに「あんたほんとのだめそっくりよね」ってよう言われるんやけど、ここまでぶっ飛んでるつもりはないですヨ笑
社会の色んな層の方の生き方を知るって、なにげに大切やと思ひます。社会の上澄みで育つと、想像力が乏しくなりそう。知らんうちにマリー・アントワネットになってまう気がする。
ワシの場合、幼少期から中学まで地元のヤンキー、というか団地育ちの子たちと武道してました。でも武道を途中でやめちゃうと高確率で彼らは年少(少年院)に行ってましたね。せっかく武道で培った守る力を、攻撃に転じて暴力に消化しちゃってました。
ただ最近、沖縄出身の子と仲良くなったんですけど、沖縄のヤンキーはちょっとレベルが違うなって思いました。さすがにクスリに手ぇ出してる子は周りにいなかった気が…。近くで見聞きしたのは、未成年喫煙・飲酒・運転、器物損壊、窃盗、売春くらいですかね。(それでもタワマン育ちとか、文京区にお住まいの教育ママとかが聞いたら卒倒しそう)
「きさんコラくらすっぞクルァァァァァア!!!!!!!!!」
と、中学の生活指導の先生が生徒をドアに叩きつけてたの思い出しました。今これやると即行で問題になりそうですね。
こんなふうに周りの環境に鍛えられて生きてきたので、東京弁ですごませれてもワシはな~~~~んも怖くありまてん。東リベとかマジで全然可愛いレベル。大阪府警とヤクザの動画とかYouTubeに上がってますけど、いつ見ても笑えるのすごいよねあれ。ワシの地元の県警もあんな感じなんやろな。
(この方のショート動画、おもろすぎて何回も見てまう笑)
話を『CODA』に戻すと、リアルですよねセリフが。ワシは米国手話も全然わからないので、字幕を読んでしか判断できませんが、実際に漁で生計を立てているろう者の家族の会話に「見え」ました。
お父さんはベースの振動を感じられるからラップが好きとのことで、そういえば音って振動というか、波だったことを思い出しました。ライブハウスとか行ったら楽しいんちゃうかな。腹に響きますよね音って。ルビーのお父さんは「尻に感じる」言うてましたが。
両親のことが大好きなのに、その両親のことを同級生に嗤われるのって、ほんまつらいですね。汚い、魚臭い、よくわからない、気持ち悪い。同級生のそんな侮蔑の眼差しにたった17歳のteenagerが耐えられるかって話です。学校に両親が車でルビーを迎えに来たシーン見て思いましたが。ワシも高校生のときにおとんが迎えに来てくれたとき、カーステレオの音がうるさかったから「音小さくして!」って真っ先に怒ったの思い出しました。せっかく迎えに来てくれたのにね。まあルビーの場合、両親が病院に行くのに通訳が必要だったから、自分たちの都合で迎えに来てるわけですが。
インキンタムシのせいで、医者から2週間セックス禁止されて「ムリだ」言うくらい両親の仲が良いのは尊いことやと思います。思春期の娘からしたら勘弁してくれって話やろけど。
日本人ほどセックスレスに悩んでる夫婦っておるんかなて思うんやけど、どうなんやろね。日本は子どもを挟んで川の字で寝る夫婦が多いんでしょうか。海外は夫婦生活を営むためにベビールームとか子ども部屋が必ずありますよね。
学部生の頃、日本人女性と結婚した英国人の先生が「寝室とベビールームの話は妻と揉めたよ。彼女は子どもと一緒に寝たい。でも僕は子どもは別の部屋で寝せるべきって言ってケンカになっちゃった」と言っていたの思い出しました。
小学生の頃から「性」というか、コンドームの大切さ、セックスのことはちゃんと習うべきやとは思いますよ。ワシがセックスって言葉を初めて知ったのは小3くらいやったかな。なんか動物の「交配」って言葉を辞書で引いて、その意味を知って、ああワシもこうやって産まれてきたんやって自分で気づいたんですわ(笑)確か犬の、ヨークシャテリアとか、色んな犬種について図鑑で調べて班で発表するって授業やったかしらね。
イヤホンを付けたルビーにお母さんが注意するシーンがありましたが、音楽は家族の中でルビーだけが楽しめるものなんですね。お母さん曰く、兄のやってるマッチングアプリは、ろう者でも楽しめるものだそうで。人間は視覚情報から8割の情報を得ているとは言いますが、聴者とろう者では視覚情報と聴覚情報のpriorityが0、100で違うわけです。
健常者によっても、視覚と聴覚どちらが得意ってのはあると思いますが、ワシは断然に聴覚ですね。目は小さい頃に本読みすぎて悪くなってしまいましたが、耳から得た情報はけっこう憶えています。大学の講義でも、聴いてしかなかったですね。別に先生の顔を見なくても話聴いてたら試験でも余裕でSが取れるわけです。コロナ前の大学って、講義にPPTとかlaptopとかもそんな使ってなくて。今通ってるビジネススクールみたいにプレゼンとか学部生の頃はそんな重視されてませんでしたから、先生が言ったことをノートにひたすら書いて手を動かしていました。先生の面白い独り言とかTipsとかも全部。その頃の講義ノートが今でも宝物です。しかしそういう意味では、ろう者にとっては大学の講義って、すべての情報を得るには難しい環境だったのかもしれません。
『ゆびさきと恋々』では、友だちにタイピングしてもらってましたね。
それにしてもルビーの家みたいに、親の都合で子どもが犠牲になってるのがつらいね。兄はそんなルビーに頼らないように自分でがんばろうとしてましたけど、耳がきこえるルビーのほうが聴者の世界でも圧倒的にうまく立ち回れて、渡り合えるわけです。
親に振り回される子ども、夢を諦めなきゃいけないと子どもに思わせる環境が、苦しいなと思いました。
「How do you feel when you sing?」と先生に訊かれたとき、「I don't know. It's hard to explain.」とルビーが答えたシーンで、ルビーが自分の気持ちを表現するときに、音声言語ではうまく言語化できなくて、手話を使って表現していたのがすごく印象的でした。
言葉にできない想いに苛まれることって、ありますよね。愛しくて、哀しくて、泣きたくなるほど大切で、言葉にできないほど怒りを感じたり、モヤモヤを感じたりすることって、誰しもあるんじゃないかと思います。
ときどき思うんですが、我々が言葉に想いをのせるんでしょうか。それとも想いが言葉を連れてくるんでしょうか。まあご自身で好きに考えてみてください。
人の目を敏感に気にしてしまうのは、「普通」という枠から外れることをルビーが極度に恐れているからですが、思春期であればその傾向はより顕著になると思います。
いじめ、無視、揶揄って、ほんと、どこにでもあるんですよね。残念ながら。動物どうしでもあるんですから。もう、集団内では、いじめがあることを前提に考えてかなきゃいけない。もちろん未然に防ぐための予防は大事ですけど。
ワシも、小学生の頃、いじめっつーか、習い事で妬まれたり無視されたり仲間はずれとかはけっこうされてましたね。よく集団からあぶれてた子でした。「二人組になって」とか、けっこう地獄だったの憶えてます。絶対あぶれるから笑
まあその当時いじめてきた子とはいつの間にか仲良くなって、今ではワシの数少ない何でも言い合える友だちのひとりになりましたンゴ。いじめた側って、自分がいじめた内容とか、きれいさっぱり、すぐ忘れちゃいますからね。いじめられた側にはずっと残るのに。当時のことを話しても相手は何も憶えてないってのはザラです。
ワシ「君さ、昔ほんま性格わるかったよな」
友だち「やばかったよねww」
ワシ「何が原因やったんかね」
友だち「母親から勉強できる兄といっつも比べられてたんよね。毎日死にたかった」
ワシ「そっか。大変やったんやな」
って感じで今では当時を振り返れるくらいの仲やし、この友だちと話すときは何も気ぃ遣わなくてええからほんま楽ですわ。
つまりいじめる側は家庭に難がある場合がほとんどなんちゃうかな。
小学生って絶交とかようしてましたよね。してませんでした?? 「絶交取り消すね!!!」とかもしてませんでした??(女の子だけなんかな笑)
今の時代、スマホやLINEが当たり前にあるのは、ほんと怖いと思ひます。グループ退会?させられたりとかあるらしいですね。
しかも集団生活の中で生きてると、思わぬ形でいじめに加担させられそうになることとかあるんですよ。自分は、このいじめに加担するのが、ほんとイヤで。いじめられる側の気持ちも痛いほどわかったし。
小6のとき、クラスにバイ菌扱いされていた子がいました。彼女は口がいつも半開きで、よだれもときどき垂れてたり、髪がボサボサしてたりしたのを憶えています。
運動会の練習してるときやったかなぁ。体育座りしてたら、後ろからベタリって背中触られて、何か回ってくるわけです。つまり、その子を男子が触って、「感染った」って言って、周囲に広めてるわけですね。でも、ワシでその流れをいつも止めてたので、ワシより背の低い子はそんなこと知らんかったんやないかな。12歳にもなって子どもっつーか「アホらし」思うてましたわ。
他の場面でも、何かにつけワシはそういったことに加担しなかったのですが、ある日、ワシのおかんは、いじめられていた子の母親からお手紙をもらったそうです。
曰く、ワシには、人に流されない強さと、正義感があって、勇敢で、娘も私も感謝している。といった内容でした。
それをワシの母から聞いたとき、言葉にしようのない、罪悪感に襲われました。
別に、いじめられっこの彼女を救いたくて、いじめに加担しなかったわけじゃない。たぶんそういう行為を大人というか先生に知られたら、怒られるのがわかっていたからです。むしろ、関わりたくない、とさえ思っていた気がします。ワシだって、彼女のよだれやボサボサした髪を、「汚いな」と思っていたのは、事実でした。その嫌悪感を態度で示さなかっただけで。
でも彼女は、そんなワシの、クラスのみんなに迎合しない姿を見て、それが嬉しくて、お母さんに報告したんだなって。なんか、それを思うと、ワシなんかより、心がずっときれいなのは彼女だったと気づかされるわけです。
彼女は私立中学を受験し、ワシは公立中学に進みました。そして、高校のとき、駅でバッタリ会いました。ワシは「○○さん?」って話しかけました。彼女はワシのことを憶えていました。「元気?」って感じで話したと思いますが、彼女はワシの高校の制服見て、「ああ、○○さんて、前からほんとに頭よかったもんね」って言ってたのだけ憶えています。
頭がいいってことはずる賢いことと同義で、本当にいけ好かないガキだったとは思います。昔の自分は。アラサーになった今でも、人間として未熟やと思うのに、況や小中高の頃をや。穴があったら入りたいほど過去を思い出すのはしんどいですね。
ルビーのお母さんが、「ろうの子でありますように」と願っていたのは衝撃でした。きこえないよりは、きこえたほうが、いいのでは、と聴者の感覚では思っていたからです。
でも、確かに、聴者とろう者では、完全にはわかり合えないのかもしれない。耳のきこえない自分が、耳のきこえる子を育てるってなると、不安になるよな、と。
映画では、音がきこえるところときこえないところの緩急が素晴らしいなと思いました。例えば、合唱部の発表会で、ルビーとマイルズが歌っているシーンとか。ああ、ここで無音にするんやなって。ろう者から見える世界を映すんだって。まるで、Katherine Mansfieldが“The Garden Party”という短編で、ガーデンパーティーの場面をたった一行しか描かなかった感じです(伝われ)
コントラストの効果が、素晴らしいと思いました。自分の知らない世界なんてごまんとあることを聴者に気づかせるわけです。
そして、お父さんがルビーの歌を、「振動」できこうとしているシーンで泣いてしまいました。劇場で一回観てるはずなのに、もうボロボロ涙出たンゴ。喉元に、首筋に、触れて、手を当てて。娘の歌を、声の振動と、肌の熱を感じることで、「き」いている。linsteningというよりはfeelingでしょうか。下の映画もちょっと思い出しました。
けっこう忘れていた部分もあったので、今回見返してよかったなと思ひました。
Immersive Museum Tokyo ふたたび
吉沢氏の音声ガイドを聴くために、再び行ってまいりました。
前回の記録はコチラ。
吉沢氏の声、ほんまよすぎてさ。もう、泣けるレベル。マジで音声ガイド売ってほしいンゴ。CDとかにならんのかなほんま。買わせてくれ~~~~。
【吉沢亮さん無料音声ガイド!】
— 【開催中】Immersive Museum TOKYO / イマーシブ ミュージアム東京 (@MuseumImmersive) September 20, 2024
公式アンバサダー吉沢亮さんの無料音声ガイド、クライマックスの一部を公開します!ゴッホの生涯を力強く解説しています。会場では22分のフル尺が楽しめます!(イヤホンが必要なので、ご持参ください!忘れた方はグッズ売場レジにて販売しております)… pic.twitter.com/IlKsLrh0fZ
ちなみにゴッホ兄弟の物語で好きな漫画は『さよならソルシエ』です。
ゴッホの弟のテオがカッコよすぎるんよな…。兄のフィンセントとすんごい対照的に描かれてておもろすぎる。

大好きすぎるセリフ
能力高い性悪男、大好物なり
ちなみに下のモノクルかけた男はロートレックです
吉沢亮さんの音声ガイド素敵でした👏#イマーシブミュージアム pic.twitter.com/yhOXhP4T8m
— L (@leonardo_oryo) September 20, 2024
SNSで投稿したらポストカードがランダムで1枚もらえるとのことで、その場で投稿して、↑のついったー画面をスタッフの方に見せたらもらえました。へへ。

1回目見たときは気づかんかったんやけど、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」って文章が画面に映し出されとって、最近『方丈記』に改めて触れてたから「えっ、なんでいきなり方丈記???」ってなった。
余談なんやけど、前、おとんに「ゆく河の流れは絶えずして~」って言ったら「しかももとの水にあらず」って返されて、おもんね~~って思いながら「何かわかる?」って訊いたら「方丈記」って即答されたンゴね。
「なんでわかるん」
「そらあーた、常識よ」
ワシのおとんの口癖の一つに「常識よ」ってのがありまして。「そんなん言うとったら周りの人から嫌われるよ」って言ったんですが、家族以外に言うことはないそうです。まあそりゃせやわ。
最近「3か月でマスターする世界史」の再放送をEテレで見てるんやけど、高校は日本史選択やったから、根本的に世界史が弱くてさ。下の日記にも書いたけども。
「ワシ、唐とか隋が漢民族系の国家じゃないって知らんかったンゴ」
「そらあーた、常識よ。漢民族系の王朝って意外と少ないんよ。秦、漢、晋、明の四つかね」
「Chinaの語源って、秦(Qín)から来てたん。知らんかった」
「そらあーた、常識よ」
(番組を見るおとん)「ゾロアスター教やね」
「なんでわかるん」
「そらあーた、常識よ。拝火教のことさね」
「ゾロアスターって英語読みやったんや。ザラスシュトラって聞いたことあるわ。ドイツ語読みでツァラトゥストラ。『ツァラトゥストラはかく語りき』って『ゾロアスターはかく語りき』ってことやったんや」
「へえ。それは知らんかった」
ゑ、こんな会話を娘とおとんがするのって変ですか??笑
高校生の頃、ワシの友だちで自分の父親のこと大嫌いって言ってる人がいて、「なんで?」って訊いたら「話してておもんないから」と言ってました。まあ、おもんなかったらしょんないんかな。尊敬するの難しいですよね。
妻が夫をバカにしてたら、そら子どもも父親を軽視するようになるので、普段、妻が夫にどう接しているか、子どもの前で夫のことをどう語っているかががすべてだと思います。知らんけど。
なんや余談が長くなりましたが、Immersive Museum楽しかったです。こんなん彼氏と来てみてえよな。おかんに「ワシの旦那さんはどんな人が合うと思う?」って訊いてみたところ、こう言われました。
「あんたは口から生まれてきたような子やけん、相手は寡黙な人がええんやないかな」
「ゑ、おかんピッコロ大魔王やったん?」
「誰がや。…はあ。あんたのユーモアがわかる人は、どこかおらんのかねえ」
どこかいませんか!!!!!! ねえ!!!!!笑
ちなみにこの「口から生まれる」ってのは「口から先に生まれる」って慣用句なので、おかんの口から生まれた子って意味でないのはわかってます。はい。
ちなみにアッニからはこんなことを言われましたンゴ。
「ちゃん○○は、頭いいからなぁ。自分よりバカな男とかイヤやろ」
いやいやいやいや。既に下の日記でも申し上げましたが、自分より賢しらな女がイヤなのは男のほうやから~~~??
そういえば、21日の舞台挨拶前に朝ごはん食べよう~~思て入った喫茶店で、明らかに隣の男女がマッチングアプリで出会ってるなって方たちでした。耳をダンボにして聞いてしまった。
いやでもワシはどちらの言動にもドン引いてしまいましたよ…。
女性は快活そうな方で、ちゃんと店員さんとも目を合わせて話せるタイプの方でした。男性に「荷物こちらに置きましょうか?」ってすぐ訊いて荷物受け取ってソファー側に置いてましたし。よう気が利く人だなとワシは思ひました。(いやそこで、「そんなでかい鞄じゃないんやから自分の背もたれにでも置いとけや」って男のほうに思ったワシは厳しいですか笑)
まあ当たり障りのない話から始めるわけですよ。職種とか趣味とか。で、男性が「今まで何人かと会ったりしましたか」って訊いたんです。「おっ、そこ訊くんだ」とワシは思いました。女性は「5人くらいかなぁ」って答えられました。「どんな人でしたか」って男性が訊いて、「まあ普通に良さそうな人たちです」みたいに女性が答えられてた気がします。なんや男性も5人くらいと会ってるみたいです。
マッチングアプリって、限られた休みの日に複数人とのデートを同時進行しなきゃいけないのしんどいよね。ワシの後輩でもアプリで出会って結婚してる子がおるんやけど、とりあえずいいねを連打するって言ってました。数打ちゃ当たる作戦ですね。
ほんで、女性が男性に「どんな人がいいとかってありますか」って訊いたんです。すると男性はどう答えたと思います????
「落ち着いた人がいいですね。テンションがあんま高いと、自分と合わないかなって。あ、でも、引っ張ってくれるのが理想です(笑)」
は~~~~~~~~~?????
大和撫子を所望しといて引っ張ってほしいってどういうことだってばよ?? 珈琲飲みながら思わず瞠目してしまいましたわ。
落ち着いた人がいいなら、お願いだから、男の貴様が引っ張ってくださいよ…。あまりにも頼りがいがなさすぎて泣きそうになったわ。なんか今の日本の男の典型って感じ。何なんだいったい。意志薄弱。でも打たれ弱いので口答えされるのとかはイヤ。女の意志の強さはいらない。とはいえ自分で決定権とかは持ちたくない。責任とりたくない。ヤバすぎんか??? ほ???
逃避系男子と呼びたい。ワシの中の炭治郎が叫んだンゴ。

ワシのパイセンにこの男の発言についてチクったら絶対、「男が劣化している…」って溜め息とともに返されますわ。

「もうムリです」「もうだめです」って5年前から諦めてるの笑う
↓モテ・非モテ論についての詳細はこちらの日記
ほんで、「その男は止めとけ~」と思いながら話聞いてると(聞くな笑)、女性のほうからもけっこうヤバい発言が飛び出てきて。
女「会った方はどんな人たちでした?」
男「ああ…看護師の方とかいましたよ」
女「ええ~、でも看護師で可愛い人はもうお医者さん捕まえてますよね。私の友だちもそうだし。余った人がマッチングアプリしてるイメージあります(笑)」
オイオイオイオイオイオイオイ!! ワシの中の岸辺露伴が飛び出しました。
え??? 本気で言うてる?? ねえ。ワシの友だちにも看護師いますけど(ばり可愛くてめちゃ気が利く)、彼女は医者は女遊び激しいからイヤ言うてましたけどね。そんで今は彼氏いないけどね。ここ一年は「無風」言うてましたわ。ちなみに彼女は、『CODA』の感想欄でちょろっと書いた、昔ワシをいじめてきた子です(笑)
ワシ「凪の航路ですか。ワシもや。二人で偉大なる航路目指そうぜ!!!」
友だち「何の話?」(ワンピそこまで詳しくない)
男性の身内の誰かに看護師がいるかわからんのやから、こんな発言は初対面で避けた方がええと個人的に思いますけどね。こわやこわや。
……はあ。ワシのこと「おもしれー女」って夢小説のヒーローみたいに思ってくれて、肚の据わった男はどっかに落ちとらんのかな。未だかつてワシより度胸のある男に会ったことがない笑(既婚者にはたくさん素敵な人いますけどね!)
ちなみにワシは上司から「○○さんはほんと動じないよね。そこらの男の子よりしっかりしてる。人に紹介するとき何の心配もしてない。会合とかにも連れていきやすい」という評をいただいております。へへ。嬉しいやら悲しいやら。
いや、哀しいわ。ほんま。男がもっとしっかりしてくれよ。錆兎も言うてたでしょ。ねえ!!!!




ん??? まさか、Immersive Museumからこんなとこに着地するとは思わんかったな笑。もう一回リンク載せとくので、ぜひ『さよならソルシエ』読んでみてください!
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」感想



9月20日の朝イチに、おかんと観てきましたわよ。
純粋な感想っていうよりは、自分の人生も顧みながら書いてるので、自分語りが冗長になってる部分があります。適宜飛ばしながら読んでください。
本当に素晴らしい映画だと思いました。マジで観てよかったです。何回も観たいなほんま。今年観た映画の中でダントツに心の中に残りました。ネタバレありの感想を語ってまいりまふ。
まあ予告みただけでウチのおかんも「ふぇぇん」て泣いてたことからもわかる通り、感動系のヒューマンドラマなんかなと思ってたんですわ。いわゆるお涙頂戴モノというか。全米が泣いた。みたいな。
ところがどっこい、映画では、何気ない家族の日常が描かれていました。吉沢氏も何度もインタビューで「普遍的」という言葉を使われていましたが、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で描かれていたのは、普遍的な家族の物語でした。
最初は字幕なしで観たので、東北弁がうまく聴き取れないところがあったのですが、でんでんさん演ずるおじいちゃんは、手話のこと「手真似」って言うてたんですね。まずそこに世代間のギャップがあるな、と。手話に対する庶民の理解度を凝縮した言葉が「手真似」だと思いました。でも、今の世の中でさえ、手話は、れっきとした言語のひとつ、ということを、知らない人は多いんじゃないかと思います。
ファミコンのカセット、大ちゃんがフーッてして入れてたのわかるなぁ。それから数年後の大ちゃんの部屋にはゲームボーイが置かれてましたね。時代を感じるというか。
大ちゃんがお花のプランターを倒したって、近所のおばさんに濡れ衣を着せられそうになったときのおばさんの目が、人を疑う、ほんとにイヤな目だと思いました。「やってないって証拠は?」っておばさんに大ちゃんが言われたとき、「あるわけねーだろババア」ってワシは心の中で毒づきました笑
「お母さん、アレだから」ってのも、よう子どもの前で言えるなと。子どもって、けっこうわかるんですよ。バカにしたら絶対にダメです。
懸命に大ちゃんを守るお母さんの姿に胸を打たれました。お母さん、真っ先に大ちゃんを信じてくれてよかったね(号泣)ウチの親なんて真っ先に自分の子どもを疑いますよ(笑)「あんたがしたとね」って。まあ、子どもが本当にやってるパターンもあるので、盲目的に自分の子どもを信じるバカ親よりはええんちゃうかと思ひます。
子どもってほんまズルい生き物ですからね。すぐ嘘つくし。手ぇ汚いし。言うこと聞かんし。塾講で数年間教えてると、子どもって言ったって千差万別で、良いところもあれば、よくないところもたくさんあるってことがわかるわけです。
子どもが好き~って無邪気に言える人って、子どものクソ腹立つところをしっかり見てきたんかなって、きれいで可愛いところしか見てないんちゃうかなって思うてしまう性悪女なんですが、どうですか皆さん(笑)子ども好きですか。ワシは人間自体そんな好きくないです(おい)
いやでも塾講のバイトでは、↓の日記でも書いてたように、何人かの生徒に惜しまれるくらい評判は良かったんですよ(自分で言う笑)
耳がきこえない、「変」なお母さんに、授業参観に来てほしくなかった大ちゃんの気持ちと、お母さんの気持ちを思うと胸が苦しかったです。
たぶんお母さんは、何もきこえなくても、教室の中の大ちゃんを見るだけでよかったんじゃないかな。見るだけで幸せに思ったんじゃないでしょうか。
苺のパフェを食べてるシーンですでに泣きそうになりました。というか泣きました。子どもには美味しいものを一口でも多く食べてほしいですよね。ワシのおかんは子どものことは真っ先に疑う親でしたが笑、ワシが元気にモリモリ食べてるところを見るのが大好きで、本当に幸せだそうです。魚とかでも、一番美味しい部分をいつもよそってくれました。刺身でいうとトロとか、煮物でいうと目玉とか。(ゑ、目玉うまいっすよね??笑)
「お母さんのこと恥ずかしい?」ってセリフが、頭の中から離れませんでした。恥ずかしい、とか、そら言えんよなぁ。特にこの時代は、周囲の理解が足りなかったでしょうから。「あいつのお母さん、耳きこえないんだぜ。声が変だった」「え、かわいそう」みたいな会話が繰り広げられることも予想できるわけです。
皆さん反抗期ってありましたか。ワシは親に歯向かうとか考えられないほど押さえつけられて育ったので(笑)、そんなにひどくはなかったんやないかな。
ただ、ワシのおかんは肝っ玉母ちゃんのわりにヒステリーぎみで、親の気分によって振り回されるのはしんどいなって思ってました。まあこれはどこの家庭でも同じとは思いますよ。生理中や排卵日前の母親には近づかないようにしてました。もはや猛獣ですよね(笑)ホルモンバランスが崩れてるときは、言い返さない。何を言われても耐える。間違ったことを言われても訂正しない。
ワシは、おかんのこの部分は反面教師にしたいんじゃけども。ワシはヒステリーではないと思うんですが、怒るときは怒ります。でもその怒りは長続きしませんし、寝たらたいていのことはどうでもよくなります。おかんはネチネチずっと引きずるタイプ。イヤやわぁ笑。
高校のときかな、泣きながらおかんに訴えたことがあります。おかんの前で息をするのもしんどくなって。「もうつらい、お母さんからこんなふうに言われるのがほんとにつらい」って。なんでわかってくれないんだろう、って思ってました。
まあわかるわけがないんですよ。親子いうても、口で言わな、言葉で伝えな、伝わらんわけで。下の日記でも書いたけど、親も完璧じゃない、未熟な一人の人間なんですよね。
たぶん本気じゃない殺意とかも何度か抱いたんやないかな。「お母さんなんか死んでしまえ」「いなくなれ」「死ね死ね死ね」って。口に出したことはありませんよ。ただ、心の中では思ってました。次の日、ほんとに事故とかで死んだら一生後悔はしたでしょうけど。愚かですよね。でも思春期ってそんなもんじゃないすか。そんな残酷なこと一度も思ったことがないってキレイゴトが言えたらよかったんですが。
愛された記憶をすべて憶えていられたら、親を憎むこともないのかな。小さいころに親が歯磨きしてくれたこととか憶えてますか? 「はみがきじょうずかな」とか一緒に歌ってませんでした?
5歳まで虫歯なく育てるって、どれだけ大変か知ってますか。ワシの友だちが小児歯科医なんやけど、世の中にはほんま、ひどい親がおるもんで。まだほんと小さい子どもなのに乳歯全部虫歯とかの患者さんが来たりするそうです。ほんで、その親に噛み砕いて説明してるつもりなのに全然話が通じないそうで。子どもの歯ぁ見ればどんな親か如実にわかるわけです。子どもは家庭の鏡って言いますよね。正常な子宮と卵巣持ってたら女は母親になれますけど、母親になっちゃいけん女って、中にはおるとワシは思います。


ヴァムピールの続きを一生待ってる侍です(血涙)
アッニは「怒られた記憶しかない」と言っていましたが、褒められたり、愛された記憶を大事に自分の中に残しておけたらいいのにね。でも人間って忘れるんですよね。かなしいことに。
吉沢氏が登場したシーンで、彼の声が高くきこえてびっくりしました。高校生かと思ったら中学生だったんですね。普段の吉沢氏の声よりも軽く、高く若くきこえたのがすごかったです。
お弁当問題、ありますよね…。ちなみにウチは「お弁当美味しかったです。ありがとうございました」とおかんにきちんと伝えて、弁当箱を洗わないと次の日のお弁当がありませんでした。
高校生の頃とか、ようおかんも毎朝、4時とか5時に起きて弁当作ってくれたよなぁと思います。はたしてワシも同じことができるかしらね。そんなにがんばって作っても反抗期になったら「いらねえ」とか言われるんでしょ?? しばき倒したくなりますよねほんま(笑)
「あーたひとりで生きてきたような顔するんじゃないよ」とはよう言われていた気がします。まあその通りですよね。赤ちゃんの頃なんか、おかんのおっぱい飲んで、おかんに下の世話させて、ゲロの片づけさせて生きてきたわけですから。赤ん坊って、ほんと、誰かの世話にならないと生きていけないんですよ。牛の子とか草食動物は産まれたその日に立てるのにね。
大が布団かぶってお母さんを無視する場面が印象に残りました。耳を塞いではいなくとも、ろう者の前で瞼を閉じたら、顔を隠したら、それはもう話を聞く姿勢じゃないということなんだな、と。無視することの表明なんだなと。ろう者は、自分を見てくれないと、言葉を、感情を伝えるすべがない。ということを、改めて認識させられました。
大ちゃんの声がききたい。それだけの理由で補聴器を買ったお母さんの気持ちを思うと胸が締めつけられました。本当は、ききたいよな。たった一人の息子の声。機械音が混じってでも、ききたいよな。
息子から疎ましく思われるって、どんな想いがするんだろう。お腹痛めて産んだ子に、死ぬ想いして産んだ子に、「こんな家、生まれてきたくなかったよ」って言われたら。
かなしい、のひと言だけじゃ表現できない気がします。
もし大が今の時代を生きていたら、友だちに「親ガチャ外れたわ」とか、言うんでしょうか。SNSに呟くでしょうか。
下の日記でも書いてますが、「国家百年の計は教育にあり」っていうように、この映画では教育の在り方について考えさせられました。
ヤクザのじいちゃんが、「小学校も出てねえ」と言ってましたが、もしこのじいちゃんに、学があれば、って言い方は差別的かもしれませんが、ワシのじーさんみたいに旧制中学でも出ていたら、娘の明子も、ろう学校に最初から通わせてあげられたんじゃないかと思ってしまいました。
大が、公立高校に落ちたとき、お母さんに「何も相談に乗ってくれなかったじゃん」と声を震わせながらやり場のない怒りをぶつけるシーンがありました。「でも会話を拒否したのは自分でしょ」ってそのとき思ってしまったけど、2回目を観たときにその認識は変わりました。
お母さんは応援しかしてくれないんですね。というか、できないんですね。応援しか。たぶん、大ちゃんが好きなシチューを作って、合否の結果を待つことしか。それが彼女の精いっぱいなんだと。
応援してくれるだけ十分だろって思うかもしれませんが、まず、家庭の中に受験に対するノウハウの蓄積や情報が皆無なわけです。SNSもネットもない時代に、どうやって情報を得ますか? 学校の勉強だけでは不十分だから、みんな塾に通うんです。
塾に行かされてる子が多いなかで、行きたいって大が自分から言ってるの、ほんまえらいと思いました。でもたぶん大は、「塾行かなくて大丈夫? こういう塾があるらしいよ」とか、言ってほしかったんじゃないかな。だから何もわかってないお母さんから「塾いいじゃない。行ったほうがいいよ」とか言われても信用ならんですよね。少なくとも求めていた答えじゃなかったでしょう。
ひとりっこってのも苦しいですよね。兄も姉もいないと、前例がないし。誰にも相談できないし。まあワシ、アッニに進路相談とかしたことないけど。
アッニの、大学受験の後期だったかなぁ。おとんが、二次試験、数学だけでいけるところを探し出して、結局アッニはそこに進学しました。たぶん、大が求めていたのって、こういうことですよね。どこのランクが合ってるか、塾は集団授業がいいか、個別指導がいいか。私立の滑り止めはどこを受けるかとか。家族の誰も受験経験がないばかりに、誰にも相談できない。つらいなぁ。
地方の田舎では、国公立が、神なんですよ。おじいちゃんおばあちゃんに天下の名門、慶應早稲田とかいってもイマイチ通じないわけです。これほんまよ??
なんつーか、就職してからも、センター(今は共通テスト)を潜り抜けた者とそうでない者との違いを、如実に感じたんですよね。庶民種と貴族種で人間を分けるわけではありませんが、やはりお金がある家庭で育った方は、明るい方が多い気がします。でも庶民種は、なんというか、なんでか知らんけど、暗いんですね(笑)
親が社長の慶應ボーイとか、実家にフェラーリがあるパイセンとかいましたけど、「実家が太い」って、こういうことなんだと目の当たりにしました。
「バカ高い私立のバカ高」って大も言うてましたけど、そういう目でご近所さんからも見られるわけです。田舎では。ああ、あのバカ高に通ってるのねって。
でも、もし、もし大のご両親が受験を経験して、大学を出ていたりしたら、たぶん大も勉強の仕方がわかったんじゃないかと思うんです。
中学までの勉強についてけないって、本人、というより、家庭に問題があることが多いのではないかと思います。個別指導塾でワシは学部生の頃にずっとバイトしてたんですが(親の扶養を外れないギリギリのところを攻めて稼いでました)、中学でも九九ができん子って実際ほんとにいるんですよ。どんなにわかりやすく教えたくても、もう、席に座ること自体、拒絶しちゃうんですね。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」「数学とか何の役に立つの?」って生徒に訊かれたときは、「勉強したらね、選択肢が増えるんだよ」って答えていた気がします。「勉強しろ」って頭ごなしに言われても、そら何でせなあかんかとかわかりませんよね。
例えば、今あるんかわからんけど、教科書ワークと教科書トレーニングという中学生向けの教材が本屋で買えると思いますが、定期試験の勉強はそれしかしてなかったです。それしてたら塾に通わずとも100点取れるんです。ワシの場合、塾は受験前の8月から友だち作りに通い始めました。
大が、はんてんというか綿入れを着て勉強していたシーン、「わかるなぁ」って思いました。ワシのばあちゃんが、田舎から綿入れ買って送ってくれましてね。それがほんと嬉しかったなぁ。
あの中3の冬の、塾での集団授業は楽しかったですね。個性的な先生も多かったし。社会のテストで二酸化炭素を「二酸化炭炭」って書いて、99点になって、色んなクラスで「こんな凡ミスするなよ~」って晒されたの思い出しました。
あと、英語は確か中3のときは毎回満点だった気がするんですが、満点やとそれが解答ってことで男子が自分のやり直しをするために「見せて」って言ってくるわけです。それでいつの間にか紙飛行機にされて廊下に飛ばされてて、拾った先生から「◯◯!!100点の答案が落ちとるぞ!!!」って廊下から言われたの思い出しました。笑ってた子が大半やったと思いますが、あの頃の女子なんて嫉妬の鎌足、塊ですからね。せやからあんなに妬まれるんだよ…。ほんま人前で褒めてくれるなって思ってました。
ワシは中学3年間の中で2回、評定で4を取ってもうたことがあって、あとは全部オール5だったのですが(特に中3のときは1,2,3学期すべてオール5でしたンゴ)。なまじっか運動ができてピアノができる人は全甲なんて取れるんですよそこらの田舎の公立中学では。嫌味やなぁ、自慢かよって思った方いたらゴメン遊ばせ(開き直り)
ま、田舎の中学での過去の栄光なんてね、後生大事に持っててもしょんないわけですよ。できない人よりはできて、できる人よりはできないっていう。
それに、ワシは高校では落ちこぼれでした。真ん中らへんの成績をキープしたいと思ってましたけど、赤点もようけ取ってましたよ。なけなしのプライドなんてそのときにへし折られて今はもう何も残っておりません。
勉強ができるよりも、人から好かれる性格であることのほうがその人の得がたい資質だと思います。おべんきょできるよりも人望人徳が大事じゃないですか? 何回も言うてますけど人生お墓に入るまでわかりませんので。
しかし驚くべきことに、運動も勉強もできて人望もある人が世の中にはいましてね??? 頭脳明晰、文武両道、聖人君子かよっていう。
なんか12月くらいまで部活してたのに予備校もいかず現役で旧帝大医学部に合格した彼は、下の名前を皆に呼ばれていて、◯◯様って言われてたの思い出しました笑 友だちから、彼は外科を選んだって聞いたなぁ。優秀で、優しいお医者さんになってるでせうね。知らんけど。
しかも大学受験では、中高一貫校で中学から高校の勉強してる子たちと競わなきゃいけないですからね。受験ってほんま、家庭からスタートラインが違うんですよ。それが事実やと思います。
環境のせいにするなって、思う方もいらはるかもしれませんが、教育に関しては、残酷なほどに前提条件が違うと思います。負の連鎖、貧困の連鎖があるんじゃないかな。
しかも時代が時代で、今みたいにYouTubeにたくさん上がってる無料の映像授業とかもないんですよ。ワシは厭世家ではないので、昔より今の方が、確実に「良い」時代だと思ってます。教育も、衛生環境も。ボットン便所とか、給食に脱脂粉乳とかヤギのミルクが出ていた時代に比べたら、ほんま恵まれてると思います。今の子は和式便所でもトイレできないそうですね。
「生きづらい」って言葉、どう思いますか。よく氷河期世代の方が言ってるイメージがあります。なんでそんな他責なんやろってワシは疑問に思っていました。
おかんに訊いてみました。「大学まで行かせてもらって仕事がないのなんて自己責任でしょ。だったら手に職つければよかったじゃない」と言うてました。おかんは看護師です。昔は3Kっていって、「汚い」「きつい」「危険」いわれて、なろうとする人が多くなかったそうですね。看護師は汚れ仕事いわれていたそうです。
おとんに訊いてみました。「生きづらい、って思った原因がその人の人生の中にあるはずよ。それを聞かなわからんね。トラウマがあるかもしれん。でも自分の弱さから逃避して他責になるパターンもある。まず話を聞かなわからんね」と言うてました。
確かに、高校まではワシも集団生活が苦しくて生きづれえなって思っていた記憶があります。でも大人になってから、今の日本の社会に対して生きづらいと思ったことはありません。それは幸せなことなんだろうと思います。
『東京喰種』で「この世の不利益はすべて当人の努力不足」というセリフがありますが、「まあせやろな」って共感する自分がいる一方で、いやでも想像力働かしたら、当人だけじゃどうにもならないこともあるよなって思えるわけです。例えば自然災害といった天災の類や、国家間の戦争などは、もう個人の領域を超えていますよね。だから昔の、平安時代くらいの人って、今世に期待せず、極楽浄土に行けることだけを期待していたのかもしれません。疫病だって定期的に流行っただろうし。もう、自分の力ではどうにもならないから。来世に期待って感じだったのかな。
大のおばあちゃんが宗教に傾倒していたってのも、よくある話なように思えました。一族に一人はいますよね…。
大がおじいちゃんの服のボタンを留めてあげてたシーンがありましたが、おじいちゃんの介護を手伝っていて、ほんまえらいなぁと思いました。
ワシは去年、94歳のじーさんが他界したんですが、もうここ5年くらいは壊れたラジカセみたいに同じことしか言わなくて、傾聴するのがしんどかったです。赤べこみたいに、自動的に「うんうん」頷いてました。それだけでまあ聞いてる体裁になりますからね。
最期らへんはもう、全然優しくなれなかった。早く天寿を全うしてほしいとまで思った。同じことを訊いてきて、同じことを答えて。だって、じーさんの下の世話をしていて、おかんは、20年以上飼っていた猫の死に目に間に合わなかったんですよ。しかも父方のじーさんなので、おかんにとっては義理の父です。まあ、その11日後にじーさんも他界したんですが。正直に言って、猫が死んだときのほうが1億倍くらいつらかったです。
たくさん話は聞いてあげれたと思うんですが、ほんとに最期のほうは、ジジ孝行できませんでした。疎んでいました。ああ、おかんもおとんもこんなふうにボケて同じことなんべんも言うようになったらいやだなって。
でもね、じーさんはカメラが趣味だったんですが、アルバムとか見返すと、小さいころから孫の成長を本当にきれいに綴ってあって、泣けるんですよね。もっと優しく在りたかったです。在れなかったけど。
大の高校時代は描かれなくて、いきなりニート時代?にシーンが飛んだのはびっくりしました。余談ですが、中学生の大のあの形のリュックの背負い方、ワシの時代は真面目な子しかしてなかったですね。ワシとかアッニの時代は、肩ひもを二重にして、片方の肩に掛けて通ってました(伝われ)
確かに東北出身の子ってけっこう上京してるイメージがあります。ワシの後輩にも何人か東北出身の子がいますが、戻る気はない言うてました。
手話にも方言があるんだってこと、知りませんでした。でもそりゃそうですよね。言語ですから、地域ごとに特色があるはずです。
「破産」って正しい手話をパチンコで大が教えてもらってましたが、親が使ってる手話が間違ってることもあるということが、「うん、そうだよなぁ」と首肯しました。実際の親子の会話でもそうですよね。「おかん、その言葉の意味全然違うで」ってワシも指摘したりますもん。
記憶は真実だけを蓄積するとは限らない。
学部生の頃に、英文学の先生から教わった言葉です。確か、「信頼できない語り手(unreliable narrator)」について習ってるときだったかな。それが手話の世界にもあるんだということを、この映画を通じて知ることができました。
大のヘアスタイルの変遷も、自己開示の過程を表しているようでした。
あと、大が、ろう者の目を見て、表情は見るのに、注文するときに店員さんの目は見ないという対比が面白かったです。それこそ、ふたつの世界を行き来している感じ。ワシもそんな店員さんの目を見て注文しないのでよくわかります。というか目が合わない店員さんも多いですし。
ケータイの変遷も時代を感じました。折り畳めるガラケーからスマホへ。Wi-Fiさえあれば、通信料を気にせずスカイプできたり、LINEでビデオ通話できる時代への移行。大のお母さんは、大ちゃんの声がききたくて何度も電話をかけてましたが、もしその時代にLINEがあれば、もっとコミュニケーションが取れただろうに、と思いました。
というか、お母さん役の忍足さんがきれいすぎて。ほんときれいでした。美しかった。若いときのお母さんが、ほんと20代にしか見えない。ほんま若い。きれいすぎてドキドキしましたです。
あとは、大が、編集部で、フッと、鼻で嗤うシーンがありましたよね。
ワシも高校生のときに、笑ってはいけない場面で笑ってしまったことがあって、この場面は自分のトラウマを呼び起こされて心臓が終始バクバクしてました(笑)
ちょっとやらかして別室に隔離されていたんですが、書くものがなくてペンを先生に借りたときに「ありがとうございます」って笑いながら言ってしまったんです。
「お前、今、笑ったな? なんで今笑うんか。自分が何したか、わかっとるんか」
先生に怒鳴られて、もう、顔面蒼白ですよね。
そのときの自分は、「ありがとうございます」と笑顔がセットになっていたわけです。自動笑顔ですよね。まあ自動笑顔を身につけざるを得なかったトラウマは、中学のときに道場でやらかして、何か月も針の筵に立たされていたことに原因があるんですが(色々やらかしてんな笑)、大人に対して、いつも元気に、愛想よく、はきはき笑ってないと、生きていけなかったんですね。
このときの教師は、なんや若い体育の先生だったんですが、それ以降体育の先生ってもうほんと好きじゃないです。熱血とかほんまムリすぎ。しかもワシがこのとき笑ったことに対して、ほんま理解できんかったみたいで(それはそう)、ずっとネチネチ糾弾されるわけですよ。他の先生に「もうそのことはいいでしょう」ってけっこう強く注意されるまで。
中学まではよく笑ういい子だったのに、人の信頼って一瞬で崩れることを学びました。
校長室に両親を呼び出され、おとんから色んな先生の前でビンタされたなぁ(アハハ)。「こんなことのために育ててきたんじゃないんや!」って。まあ犯罪は犯してないです。停学っつーか、出席停止にはなったけど。人を傷つけても、誰かに迷惑かけてもないです。まあ先生たちには迷惑かけたんやろけど。
隔離されていた部屋は上層階で、窓があって、ここから飛び降りたら死ねるかなと思ったのは憶えています。
せやから高校ってほんま暗黒時代。教師という生きものがそんなに好きじゃなくなったのもそれがきっかけですね。いや、ワシのいとこや後輩も教師ですが、彼らのことは大好きですよ。
何というか、まあ、やらかしたワシが普通にわるいんですが、あの体育教師は、単眼的で近視眼的というか、話聞いてても何一つ尊敬できるところが見当たらなかったです。

首がモゲるほど頷いたひとコマ
この体育教師には後日談があって、けっこうパワハラ気質で、教え子の一人も教師を選んだのですが(体育じゃなくて物理教師かな?)、教え子がその体育教師が着任していた高校に着任することになったとき、「俺の顔に泥を塗るな」と色々言ったらしく、その教え子は心を病んで休職してしまいました。マジで最低やな。知ってたけど。
まあ、16歳の頃の自分の言動思い出すとマジで他人のふりをしたくなるレベルで恥ずかしいというか、愚かすぎてぶん殴りたくなるんやけど、皆さんはどうですか。人前で親にビンタされたり、頭下げさせたことはありますか。
例えば、自分の好かんところと好きなところがあるとしよう。好かんところだけ切り落として、好きなところだけのちの人生に持っていられたらいいのに、なかなかそういうわけにもいかんのですよね。好かんところといかに折り合いつけて、抱えて生きていくかって感じなんでしょうね。
回り道をたくさんした方は、性格がラウンドだと思います。
フラットとラウンド。例えば漫画のキャラクターとかは、わかりやすいフラットな人格というわけです。クール系、俺様系、わんこ系、にゃんこ系。でも、ひと言ふた言じゃ言い表せない人間は、性格がラウンドであると言います。
ワシの場合、もし子どもがやらかしても、あらら~蛙の子は蛙なんでせうかねえってなると思います。ってかやらかさないように、この高校のときの失敗談は聞かせなければとすら思います。やらかすと親呼び出されて出席停止処分になるからやめようねって(笑)それまで築き上げた信頼も一気になくすからやめようねって。なんで当時のワシは気づかなかったんでしょうね。想像力の欠如ですよね。
実はワシがやらかす2か月前に、ワシのアッニもやらかして校長室呼び出されたんです。兄妹で校長室に呼び出されるって大概ですよね(笑)後にも先にも、こんな兄妹おらんのとちゃうかな。おかんが「育て方間違えた」ってなんべんも言うてましたわ。
アッニは高校卒業のタイミングでなかなか奇想天外なことをして、マジもんの家出をして、親を捨てたことがあるんですが(笑)(捜索願を出して、大阪で見つかりました)、おかんの心労があの頃はヤバかっただろうなと思います。しかも息子からは愛された記憶ない、叱られた記憶しかないとか言われるし。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は息子がおる母親にはもう、ズシンと響くんじゃないかと思います。いや、響いてました。おかん、めちゃ泣いてました。
無償の愛、っていうんかなぁ。
ワシももしいつか母になれるときがきたら、子どもが歩く路の小石を事前に拾ってやりたいし(まあときどきは転んで痛い想いもせなあかんとは思いますが)、一口でも多く、美味しいものを子どもに食べさせてあげたい。可能な限りたくさんの選択肢を与えたいし、子どもと手を繋いで歩くときは車道側を歩きたい。
そういうのが、愛なんじゃないかな。おかんが愛してくれたこと、ワシはアッニと違って憶えていたいです(笑)
大のお父さんがくも膜下出血で倒れたシーンですが、ワシも同級生の親が数人、くも膜下出血で倒れて、お通夜に参列したことがあるので、それを思い出してしまいました。あと、おばさんが大動脈解離で命が危うかったときも思い出しました。
大丈夫って大に教えてもらって、緊張の糸が切れたように泣き叫ぶお母さんに、ふれない、さわれない、震えるその肩を支えることなく、呆然と立ってるしかない息子がリアルでした。
西洋映画だったら息子がママをハグしてる場面だと思います。「なんでハグしないの?」ってワシのロシア人の友だちが隣にいたらツッコんでいることでしょう。
日本って、接触を極力避けますよね。皆さん最後に親とハグしたのはいつですか? ワシはわりと最近で、今年の留学中に家族が訪ねてくれたとき、別れ際に寂しすぎておかんとハグしたときですね。おとんからはいつ最後に抱っこされたんか記憶すらありませんわ。
エンディングの歌は、最初観たときはあんま意識してなかったけど、あれはお母さんから息子への手紙やったんやね。なんで英語で歌う必要があったんかは、ちょっとようわからんかったけど。だって別に日本語の歌にでも字幕で歌詞って付けられるんやないかな。知らんけど。
全体を通して編集の仕方がすごいというか、時系列を入れかえて、今の大が過去を想起するような構成になっているのが素晴らしいなと思いました。
背広、おかんと買いにいくよね。わかるよ。就職とか、大学の入学式のタイミングで、アオキとか青山とかに行きますよね。
電車の中で、お母さんと大が話してるとき、目が死んでるって手話が、パタッて音がきこえてきそうで、可愛かったです。
駅のホームに親子で降りたシーンですが、2回目に観たときは、お母さんのセリフに泣きました。1回目は吉沢氏に注目してしまってて。
2回もお母さんは「ありがとう」って言うてはったんやね。
手話をみんながいる中でしてくれたこと。電車で人目もはばからず、お母さんと会話してくれたこと。
「お母さん、嬉しかった」
そんな、些細なことが、心から嬉しいのだと。
それだけで、こんなにも嬉しいのだと。
それだけが、本当に嬉しかったんだって。
大はどんな想いで涙が出たんでしょうか。
『CODA』の感想でも書きましたが、音のある世界と、ない世界とのコントラストが素晴らしかったです。冒頭でも、大のお父さんが生きる音のない世界が見せられましたが、ああ、ここで無音が来るかぁって。まばたきを一つしたらもう涙がこぼれていました。
大が泣いてる音をあえて消す。音のない世界を描く。
東京にいる大は、もうわかってたんですね。お母さんの愛が。だから、電話でも「大丈夫だから、心配しないで」って言えたんですね。
親からの愛って、いつ子どもは気づけるんですかね。
なんか、映画観てる最中だけやのうて、終わってエスカレーター降りてるとき、おかんと感想話してるときも目ぇ真っ赤にして泣いてたンゴ。
Blu-ray買います。
9.21(土)舞台挨拶の感想
新宿ピカデリーは、東京で働き始めて、デートで行った初めての映画館だったのを思い出しました。そのとき観た映画が、むぁじでおもんなくて。逆に会話の花が咲いたなって。なんか映画館で観て面白くなかった映画に出会ったこと自体、初めてだったので、色んな意味で衝撃だったのは記憶しています。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の舞台挨拶は、役者の皆さんが参加されてる回で本当によかったなと思いました。忍足亜希子さんや今井彰人さんのことも知りたかったので。烏丸せつこさんもおきれいだし、でんでんさんもNHKのこの番組↓見て、実際に2か月後にお姿を拝することができるとは思ってもみなかったので感動いたしました。
あと、呉美保監督の声を初めてたぶん拝聴したんやけど、彼女の声に魅かれました。耳によく通る声というんでしょうか。もっとお話しされてるの聞きたいなぁって思いました。衣装が白で、お靴がゴールドでめっちゃ可愛かったンゴ。
今井彰人さんが、歳を重ねたら手話も元気がなくなって、小さくなると仰っていて、ほんとに目からウロコでした。そのあと映画観たとき、彼の手話を意識して観ることができました。それで今井さんが話し終えられたとき、ワシも手話の拍手してしまった。(よかったんかな)手話の拍手、キラキラ~~~って感じですごい好きです。
あと吉沢氏の礼が、美しすぎて。泣いた。たった一瞬の挙動やったのに総毛立つほどの衝撃でした。舞台上でもしてくれたし、舞台から降りるときもしてくだすった。あれはマジで武道の礼。てか武士?笑
彼はほんま、飄々としてるのに、なんであんなに人間がきちんとしてはるんかな。彼が推しやからって盲目的に美化してるわけやないと自分では思いたいけれど、あの「礼」は、一朝一夕で取り繕えるものじゃない気がするンゴ。礼に始まり、礼に終わる。この精神を長年叩き込まれた人だということがあの一瞬の所作だけで伝わりました。素晴らしかった。
ここからは、チケットぴあ?に対しての苦言というか、舞台挨拶後に「は???」って思ってもうたことを書きます。ほんとは、この日記自体、好きなことだけ書き連ねようって思って始めてるから、こんな愚痴はワシの信条に反するんやけど、ちょっと吐き出させてください。負の感情を読みたくない方はここで日記は終わりです。そしてこの部分は自分の気がおさまったら消すかもしれません。
今回、舞台挨拶は、東京2回、大阪2回の計4回してくださいました。スケジュールはこんな感じでした。
【会場・時間・登壇者】
■新宿ピカデリー
登壇者:吉沢亮、忍足亜希子、今井彰人、烏丸せつこ、でんでん、呉美保監督
⓵ 9:00の回(上映後)
⓶ 12:20の回(上映前)本編は<バリアフリー日本語字幕付き>
■大阪ステーションシティシネマ
登壇者:吉沢亮、呉美保監督
⓵ 15:30の回(上映後)
⓶ 18:30の回(上映前)本編は<バリアフリー日本語字幕付き>
舞台挨拶後に、目を疑うような、すさまじきことが起きたんですが(この「すさまじ」は古文の「すさまじ」の意)、けっこうな数の観客が、一斉に席を立って退席してくわけですよ。「え? は?? 映画観らんのかい!!!」ってなったよね。
いや、失礼すぎんか、作品に対して。わかってますよ。自分のお金で買った時間を自分の好きに扱って何がいかんのってご高説は。せやかて工藤。人の心とかないんか? ほ??

今こそ、このネットミームに乗っかるとき
観客席には、演者の方々のご家族やご友人たち、スタッフや関係者の方もきっといたかもしれません。というかいたでしょう。
「もう、一回観たから観らんでいいってスタンスなんかなぁ。たまげたぁ」って思ったとき、「あ??? もしかして彼女たちはこれから大阪の舞台挨拶に行くんか???」って考えが頭をよぎりました。たぶんのぞみに乗って行かはったんやろな。実際のところ、急ぎの仕事に行くんか、親が危篤とか、そんな事情は知りませんけどね。
いや、何やねん!!!! ほんま。なんやねーーーーーん!!!!!

ワシの中の風花が叫んだ笑
結局、こどちゃの羽山くんみたいな子が好きなんやろなワシ
彼のあの、誠実な二たびの礼を見た直後に、よくもまあそんなことできるもんやなと。ワシも大概、面の皮分厚いけど、席立った人らの面の皮、皮だけでサイコロステーキくらいありそうやな。
チケットぴあで、第一、第二、第三希望書いて、とても運良く複数回当選したんか、あるいは譲ってもらったか買ったか知らんけどさ。
もし自力で複数回当選した場合も、ちゃんと最後まで座って観れる回を申し込めよっていう…。
推しの顔だけ見れたらええのんか?? その神経ヤバない?? ってなってしまったンゴ。
わかんない、俳優ファンの界隈では、こんなこと日常茶飯事、というか、当たり前のことなんかもしれんけどさ…。ほんと衝撃だった。ワシも公開初日に観てたから2回目やったけど、2回目観るのもほんま楽しみにしてたのに。何回観てもええやんか。推しが出とるんぞ?? ほ???
5分の1か、4分の1くらいの人がゴッソリ抜けてって。ワシの隣の人も消えて。マジで信じられんかった。開いた口が塞がらないってほんまああいう状況よ。
たぶん観客席には母語が日本手話の方が何人もいらっしゃったんやけど、その方たちも、一斉に立ち上がった人たち見て唖然としてたよね……。ほんで足早に消えたの、見た限りみんな女やったのが…。はあ。(クソデカ溜め息)
想像力が足りなくないか?? もし自分が演者の方ならどう思うだろうか。舞台挨拶終わった途端、退席するって何なんだほんま。クレジット見る前に退席する、の甚だヤベー互換を目の当たりにしてしまった気分です。胸クソわりぃンゴ~~~~!!!
彼女たちは、いったい吉沢氏の何が好きなんだろう。もっと作品を最後まで楽しんで余韻を噛み締めてくれる方に舞台挨拶の席も当たったらよかったのに。なんか、ひとりで悔しくなったンゴ。あの空間にはそれぞれの演者の方のご家族や友人、ファンの方もいたはずで、その方々に「ああ、吉沢ファンって、作品には興味ないんだね」って思われてしまったのが、とても悔しい。悔しいンゴ!!!!
一部の人だけってのはわかっとるけど、一部の人たちのおかげで作られたイメージは、けっこう尾を引くと思ひますよ。例えば、とある会社で、とある1人が犯罪に手を染めて、それが大々的に世間に知られたら、その会社全体のイメージがわるくなるのは必至でしょう? 株価も下がるでしょう。ファンの一部が、そんな非常識なことをしたら、ファン全員がそんな心持ちでいるんじゃないかって外野は思ってしまいますよ。一括りにされてしまいますわそりゃ。
愛がないと思ひました。ほんま。作品への。愛が。感じられなかったんですよ彼女たちからは。吉沢氏への愛はあったんやろけど、それは吉沢氏やスタッフの方が望む愛のカタチじゃないんやないかなぁ。歪な愛だわ…。
お願いだからチケットぴあにおかれましては、1人1回だけ当たるようにしてほしいし、転売譲渡に対してもきっちり取り組んでほしいンゴね。
いや〜〜ほんま、三次元の、生きてる人間の推し活って、予想だにしないことが起きるんやね。アニメ界隈やと作品とか作画、キャラ自体を好きな人が多いから、舞台挨拶終わって退席する人ととか絶対おらんと思うんやけどな…。(2024.9.29追記 すみません、けっこうアニメ映画でもキャストさんたちの舞台挨拶終わったら退席する人は一定数いるみたいですね。映画業界にはあるあるの話やったんか…。出待ち?目的とかもあるんやってね。見上げた根性だわ…)今回、12:20からの回は上映前の舞台挨拶だったのと、次に大阪でもあるって状況が、発動条件になってしまったのかもしれませんが、こういうことが頻繁に起こると、もう上映前の舞台挨拶はなくなってしまいますよ。せっかく限られた時間を捻出して、一回でも多くの回で、舞台挨拶をしてくださろうとしてるのに。なぜそこまで想像することができないんだ。
と、ここまで書いて、吉沢氏のファンクラブのタイムラインが更新されていることに気づきました。ほんまさ……本当に申し訳ないと思ってしまった。スタッフの方にこんなことを言わせてしまうなんて。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が全国公開となりました🎬✨宮城県先行公開を含め、いらしてくださった皆様、誠にありがとうございます😊本日は舞台挨拶です。いらしてくださる皆様、どうか、映画を楽しんで頂けると幸いです。吉沢が「出演しているのに自然に泣いてしまった」という素敵な作品です。 pic.twitter.com/bn1qbwApIa
— 吉沢亮&STAFF (@ryo_staff) September 21, 2024
ファンクラブのタイムラインを見る前に、こちらの投稿が実はちょっと気になっていました。あれ、この「どうか」って単語、もしかして、あの大勢の途中退席のことを指していたのではないか、と。杞憂だと思いたかったんですが、やはりそうだったみたいです。はあ。なんてこった。
吉沢氏が出とる作品、全部が全部愛せとは言わんさそりゃ。ワシだって観れてない作品ありますし(いやほんますみませんそれは…)
でもさ、界隈の外の人から見ても「ああ、吉沢さんってファンの方も素敵なんだなぁ」って思われるような行動を心がけてほしいンゴ。ほんま。内輪の常識とか知らんがな。たまには自分を客観視せんと蠱毒になってまうよ。少なくともワシはドン引きしました。
――はあ。今思い出しても腹立たしいというか悔しかったンゴね。
まあ、赤の他人がどうしようが何しようが、ワシにはまったく関係ないんやけどさ。でも自分は、ずえったいにこんな愚行せんわって思ひました。ファッション推し活なんか?? 推しとる自分が大好きなんか??? ファンの風上にも置けんぞ。ヲタク舐めるんじゃないわよ。
表向きには善良なファンの顔をSNSとかでもしてはるんやろけど、性根が腐りきっとるンゴ。(見苦しい罵詈雑言ばかりですみません)
そもそも推し活って、群れる必要あるんか?? ほ??? SNSでキャピキャピ他者と会話することの何が楽しいんかがわからん(それはワシに友だちがおらんだけ笑)時間取られるだけやって。
一日に何回も吉沢氏に会えて、追っかけて、そら大層幸せやろけど、確実に現世と来世での「徳」を失っとる気がするよね彼女たちは。輪廻転生するんやったら、次の転生先は確実に人間じゃないンゴ。走光性のある蛾なんてどうでせうか。来世は誘蛾灯にでも群がっていてください。
「徳を積め徳を!!!!」(ワシがアッニに言われたありがたい言葉)
と、人のことをわるく言ったら自分にもいつか返ってくるので、人のフリ見て我がフリ直しませうね!!!! プンプン!!!!
(29,000字書いてました! やば! 過去最長に書いてしもた。最後まで読んでくださった方おらんかもしれんけど笑、ありがとうございました!!!)

