母親の人生|彼女はなぜ娘に虐待したのか?生い立ちと心の闇
※この記事には、児童虐待に関する記述が含まれています。過去に辛い経験をお持ちの方、または不快に感じる可能性のある方は、閲覧をお控えください。
母親の生い立ちに触れた後、私が受けた虐待の変遷を記述します。母親から受けた虐待は、精神的虐待とネグレクト(養育放棄)が幼少期から18歳まで続きました。身体的虐待は幼少期から中学1、2年頃まで。性的虐待は中学校・高校時代に受けました。
母親の生い立ち
良子(仮名)は、次郎が生まれた2年後、岩手県で4人兄弟の3番目、次女として生まれました。逆子で産声を上げなかったため、産婆さんに逆さ吊りにされて叩かれ、ようやく息を吹き返したそうです。両親は長女を2歳で亡くしていたため、「丈夫に育ち、幸せな人生を送れるように」と願いを込めて名付けました。
良子は早くに父親を亡くしたため、友達と遊ぶ時は幼い弟をおぶいながら出かけました。母親がきょうだい三人を育てるために、たくさん仕事をして苦労しているのを目の当たりにしていました。
母親の職場にいた意地悪なお婆さんから、
「お姉さんは美人だったのに、死んでしまって残念だね。それに比べて、お前はブス!お前が死ねば良かったのに」と言われて深く傷つきました。
良子は幼い頃から苦労を重ね、母親に甘えられず、愛情に飢えた日々を送りました。その環境が、彼女の心を蝕んだのでしょうか。
本人に確認したわけではありませんので、事実は分かりません。
※ここからは、私の視点で母親の人生を振り返ります。
【考察】PTSD時の担当セラピストと立てた仮説🖌️
セラピストとのPTSD(心的外傷後ストレス障害)に関する心理面接(カウンセリング)で、「私の母親は、先天的か後天的かは不明だが、何らかの精神疾患を抱えている」という仮説を立てました。そうしなければ、彼女の行動を理解できなかったからです。
【解説】PTSDという表記について
当時、私が通ったクリニックでは、PTSDと診断されました。DMS‐5やICD-11のCPTSD(複雑性PTSD)という診断もありますが、学術・臨床・制度の観点から、現在も児童虐待によるトラウマに関しPTSDと診断する医療機関があります。当時の診断に忠実に、私の記事ではPTSDと表記しています。
保育園 暴力と精神的支配
一番初めに覚えている母親の虐待は保育園の時です。
・大人の容赦ない平手打ちの勢いで、幼児は身体ごと吹き飛ばされてしまいます。また大人の掌が幼児の顔の半分を覆い隠すように振り下ろされることは、大人が想像する以上に暴力的な行為です。
(後に「私の手が痛いから」と、物で叩かれるようになりました。)
【解説】子供の頃の暴力で身体に障害を持つことがあります
これまでの当事者活動での経験を、守秘義務に抵触しないように具体的なことを避けて記述します。
私より上の世代で、子供の時の身体的虐待の後遺症で、暴力を振るわれた身体部分に障害を負った方がいました。
私の場合で例えると、幼児期から繰り返された顔や頭を殴られる等の暴力行為によって聴覚と聴脳に損傷があり、聴覚障害となりました。(後に遺伝的要素もあるとカルテに記載が増えたため、複合的な理由になります。)
都内の大学病院の耳鼻科医が、「幼少期からの継続的な児童虐待の暴力により、聴覚障害になった」と認めてくださっています。
このことをオープンにすることで、被虐待当事者で耳の聞こえが悪くなっていた方が、会いに来てくれたことがありました。
「子供の時の虐待時に親に何度も殴られた側の耳が聞き取りにくいです。原因不明のままですが、虐待を受けたことを耳鼻科医に話すかどうか迷っています。」という内容でした。
「私の名前や必要があれば通院先の病院名も話して大丈夫です。」とお伝えしたしました。
その方はご自身の耳鼻科医に虐待のことを打ち明けました。その医師も
「児童虐待の暴力の後遺症で聴覚に障害を負った」と診断されました。
今回は耳で例えましたが、暴力を振るわれた際に損傷を受ける場所は身体の様々な部分です。思い当たる方は、信頼できるお医者様に打ち明けても良いと思います。
このような事例があることで、当事者の方の勇気に繋がればと思い記述しました✍🏻
・押し入れに閉じ込められる時、ただ閉じ込めるだけではありませんでした。閉めた戸を外側から勢いよく叩きながら大声で怒鳴り、
「そこからお化けが出てくる!お化けにさらわれろ!鬼に喰われて死んでしまえ!」などと、私が泣き出すまで続けました。
・妹が生まれる前、祖母の家から夜間帰宅した際、母親は電気をつけず、
「お前のお母さんは悪魔だ!幽霊だ!本当は死人なんだ!」と叫びました。幼い私は暗闇の中でその言葉を聞き、怖くて泣き出してしまいました。
電気のスイッチに手を伸ばしても、当時の私には届きませんでした。やっと手が届く身長になった後も、私が電気をつけると母親はすぐに消し、その妄言を泣くまで執拗に繰り返しました。
・洗濯物を干す際、母親は私に洗濯籠から絡まった洗濯物を素早く取り出し、皺を伸ばして手渡すように命じました。少しでも遅れると、
「おい!早くしろ!さっさとしろよ!」と怒鳴り、殴ったり頭を叩いたり、身体ごと突き飛ばしたりしました。
【解説】幼少期の虐待が脳に及ぼす影響
幼少期の虐待は脳の発達に影響を及ぼし、PTSDに加えて、うつ病、不安障害、解離症状、統合失調症などの発症リスクを高めることが報告されています。特に言葉による脅迫を伴う虐待は、自己肯定感や対人関係に長期的な悪影響を残す場合があります。
小学生 続く暴力と精神的支配
・入学後、朝は自分の布団を上げてから登校するように言われました。小学1年生にとって、自分の身体以上に大きいタオルやシーツの四隅をきちんと重ねて綺麗に畳むのはとても困難でした。それでもなんとか畳みましたが、
「違う!こんなやり方じゃダメ!こんなことも出来ないのか!ちゃんとやれ!やり直し!」と、何度も畳み直しさせられ、その時に手や頭も叩かれていました。敷布団の重さに耐えられず持ち上げられなかった時も、何度もやり直しさせられました。
登校班の待ち合わせ時間に遅れて、同じ班の子が家に迎えにきても、母親はやめようとしませんでした。
【解説】母親の非常識さと異常性
小学一年生の体格で、大人用のタオルや毛布の四隅をきちんと揃えて畳むのは困難です。敷布団は重く、持ち上げて立ち上がるだけでも大変でした。
子供の成長段階に合わせて家事を経験させるのは、良いと思います。しかし、明らかに年不相応なことをさせて上手くできないことを責めながら暴力を振るい、何度もやり直しさせる行為は児童虐待に当てはまると思います。
小学生は登校班の待ち合わせ時間に間に合うように家を出て、学校に行くことが、本来の姿です。同じ班の子が迎えにきても止めようとしない母親の判断力の悪さに、非常識さと異常性を感じます。
・漢字をまだあまり読めない幼い頃、子供部屋の鴨居に張り紙をされました。白地に黒でイラストと共に文章が書かれていました。私は下からそれを見上げて、読める平仮名と一部の漢字を、何度も繰り返し読みました。
当時、母親が何の目的で子供部屋にこの張り紙をしたのか?暗い印象と共に書かれた文章にどんな意味があるのか?誰の文章で、誰が作ったのか?何度も聞いたことがありました。
母親は曖昧な表情で「しらない」「わからない」としか答えませんでした。
...…やがて読める漢字が少しずつ増え、文章全体をほぼ読めるようになった時、再度母親に聞きました。
「高野悦子って誰?友達?これは誰が作ったの?」そう質問しても、母親はやはり答えませんでした。
2017年の写真展以降に記憶が蘇り、調べ直すと鉄道自殺をした女学生の日記の一部でした。
・母親は太宰治が好きだったので、名前を見るだけで嫌悪感を抱きました。
・茶の間の戸棚兼本棚に自殺論という本がありました。
帯に「自殺は人間に残された最後の自由」と書かれていました。母親のようになりたくないので、本を手に取ることはしませんでしたが、本の存在と帯の言葉、そして母親の行動の異常性がとても恐ろしかったです。
・母親は虐待する時によく、こう言っていました。
「なんで私のことがわからない?どうして私のことを理解できないんだ⁈私はこういう人間なんだ‼」
【考察】子供を精神的に支配する手口の恐ろしさ🖌️
基本的に親の趣味は自由です。しかし、心が成長段階にある幼い子供の部屋に鉄道自殺をした人の詩を貼ることに異常性を感じます。
また家族が食事をしたりする茶の間の本棚に、カバーもせず自殺論を置くことも異常です。
作者が好きなら自分の部屋に詩を貼ればいいのですし、自殺論は子供の目の届かない所に保管するのが最低限の配慮ではないでしょうか。
父親はこのような母親の行動を当時どう思っていたのでしょう?
私が殴られながら母親に文章を書かされている姿を見ていた妹は、本を読んだり文章を書くことに興味を示しませんでした。言い換えれば、私のように暴力を受けないための自己防衛だったのかもしれません。大人になって妹が会いにきた時に確認してみると、妹は自殺論の存在をしりませんでした。
大人も気づいていた母親の異常性
・祖母の友達でいつも明るいおばちゃんがいました。ある日、私が一人で祖母宅にいく途中で会うと
「あんだのお母さんは、頭おがしいよね。」と言ってきました。この時既に自分の母親が異常だと思っていたので、
「やっぱり、大人から見てもそうなんだ。」と、妙に納得しました。
そして、このことを母親に知られたら何が起こるか分からないので、母親を庇わなければいけないと思いました。
※現在なら違う判断をしますが、当時は正しい情報に触れる機会がありませんでした。
車購入後に自殺の狂言が多くなる
車を購入後、狂言自殺の回数が増えました。当時の私は
「お前のせいで死んでやる!」と家を飛び出そうとする母親を全身で止めていました。エンジンをかけ出て行こうとする車の前面に立ち塞がり、轢かれるかも知れない状況で、自分の体重と力で車の発進を止めようとしました。
【解説】精神的虐待としての狂言自殺
精神医学や心理学の分野では、周囲をコントロールする目的で自殺をほのめかす行為を「狂言自殺(sham suicide)」と呼ぶことがあります。これは実行の有無にかかわらず、受け手に強い不安や責任感を植え付ける点で、心理的虐待に該当するとされています。
親が子どもに対して行った場合、子どもは「自分のせいで親が死ぬかもしれない」という恐怖を抱えさせられ、深刻な心理的負担を負うとされています。
中学生
校則違反から始まった入学
・中学に入学前、校則が書いている書類がありました。
「靴は白い運動靴のみとする。色付きのラインが入ったものは禁止」
「自転車のハンドルは棒状のものではなく、正しい姿勢で乗れるハンドルにすること」とありました。
しかし母親はピンクのラインが入った靴を購入しようとして、私が
「真っ白じゃないと校則違反だから止めて!」と何度も言ったのですが、「このくらいいいでしょ!目立たないし!」と言い、ピンクのラインが入った靴を購入しました。自転車も棒状ハンドルのものを買おうとしたので、
「違うハンドルの自転車にして」と言ったのに、結局棒状ハンドルを買いました。
入学式当日のホームルームで担任が
「このクラスに校則違反の靴を履いてきた人がいます。その人は自転車のハンドルの形も校則に違反しています。」と言いました。
名前は言われませんでしたが、違反者が誰なのか、周りの生徒が犯人捜しをしました。帰る頃には、「あいつが違反者」だと特定されました。
入学式当日からの校則違反だったので、他のクラスでも「この学年に入学式から校則違反をしてきた人がいる」と注意がありました。他のクラスの知らない人たちからも「あいつの靴は違反してる!」と言われました。それだけでなく、自転車のハンドルも違反していたので、自転車置き場では「一文字!」と言われました。
もし私が好きでそうしたなら自分の責任ですが、あれほど
「校則違反だから止めて!」と頼んだのにも関わらず、母親の身勝手な行動のせいで入学式当日から、まるで犯人のような扱いを受けました。
責めてもの思いで自転車のハンドルをマフラーか何かで隠して帰ろうとしたのですが、周りから「一文字!一文字!」と囃し立てられました。
入学後しばらくの間、色々な人に「あいつは靴違反だ!」「一文字!」などと言われ続けました。
違反物を勝手に持たされる
自然教室という学校行事の時も、持ってきてはいけない違反物が指定されていました。その中に整髪料がありました。
「髪の毛が太くて寝ぐせが直りにくいから、持って行きなさい。小さいムースならバレないから鞄の下に入れていけばいいでしょ」
「違反物は持っていかない。やめて。」
「心配してるのに何なの!」
こういうやり取りを何回もして、自分で荷物を詰めた時には整髪料を入れていなかったのですが、私が知らない時に母親が勝手に整髪料を入れて、それが当日の持ち物検査で見つかりました。
自然教室での違反は、その場で違反者だけ集められて学年主任など複数の教員から説教を受け、日を改めた学年集会で同学年の皆の前で謝罪をさせられ、反省文も書かされました。
【考察】母親の精神的な幼さ🖌️
身勝手な個人的感情を優先し、書面で「これは違反です。」と明記されていることを、簡単に破る判断力の悪さや精神的な未熟さを感じます。
本人が親の立場である以上、それがどれほど子供に迷惑をかけるのかを、全く考えることができないことも明白です。
高校生
・私が高校1年になる頃に、母親が難聴になりました。耳が聞こえなくなったことで、母親の自殺願望が高まりました。「聞こえないから死にたい!」
「私は障害者じゃない!障害者になりたくない!死にたい!」などと泣きながら喚き散らしていることが多くなりました。
外面を良く装っているくせに、心の中で障害のある人を自分よりも下に見ていた母親の心の醜さを、私は軽蔑していました。
・高1の三者面談の時も、「聞こえないから行きたくない!」と何日も前から毎日泣いていて、「自分で学校の先生に言えばいいでしょ」と言っても、「言いたくない!聞こえない!」で埒が明きませんでした。
父親が代わりに行くと言うはずもなく、前日もずっと「明日は聞こえないから行きたくない!」と泣いてばかりいるので、「自分で今、学校に電話してよ!」と言ってもしませんでした。自宅から電話をかけようとすると、母親が泣いているのが電話口から先生に聞こえてしまうので、私は夜間に近くの公衆電話まで行き、副担任の自宅に電話をして事情を話しました。
・高1のある夜、母親が私の腕を引っ張り、暗い部屋に引きずり込んで電気をつけないまま、急に独身時の自殺未遂を語ってきました。
真っ暗なところで自殺方法の詳細を語られる異常な状況で、それを聞いていた私は恐怖より先に自殺の状況が映像のように想像できました。幼い頃から常に恐怖心を植え付けられていたからかもしれません。
母親はこの時の自殺未遂は、父親も祖母も知らないと言い、
「誰にも言うな!言ったら殺す!自殺してやる!自殺してお前を呪い殺してやる!」と言いました。
【考察】正しい概念が社会に浸透しますように🖌️
あの時の恐ろしさは例えようがありませんが、もっと早く「狂言自殺」の概念を知っていたら、より早く自分のことを責めずに事実を把握し回復できたと思います。
またヤングケアラーという概念も、私が子供の頃には認識されていませんでしたが、今後より一層社会に浸透して欲しい概念のひとつです。
【解説】ヤングケアラーとは
ヤングケアラーの中には、家事労働だけでなく、親の「死にたい」「助けてほしい」といった感情的訴えを受け止める役割を担わされる子供もいます。これは子供の発達段階にそぐわない過度な責任であり、心理的負担が大きいとされています。
【ミニ補足】📝
これらの背景は、当時は「家庭の問題」として扱われることが多く、十分に可視化されていませんでした。しかし現在では、ヤングケアラーや心理的虐待の問題として整理され、研究や支援の対象になっています。
・ここまで読まれ方たは信じられないと思いますが、私が高校の時に近所の方がうちの母親にベビーシッターを依頼し、自宅で赤ちゃんを預かっていた時期がありました。外面の良さは、恐ろしいですね。
【考察】外面の良さの恐ろしさ!私なら自分の子供を預けない!🖌️
外面を装うことは、家庭内の事実や闇が隠されてしまう危険性があります。
数件離れたお宅の方が、うちの母親に我が子を預けた恐ろしさ...…何とも言えないです。
【ミニ補足】📝 その他の行動分析
・母親(私から見ると祖母)を呼ぶ時の声が、甘えるように「かぁ~さぁ~ん〜」と、言い方が気持ち悪かった。
→母親に甘えきれずに大人になったことを無意識に反映しているのか?
・スーパーで知り合いに声をかけられただけで、赤面し耳まで赤くなって話している姿が異常だった。
→人間関係が苦手だったのは、簡単に想像がつく。
・年賀状の印刷を何百枚でも無料で引き受け、合計2000枚くらいになって色々と費用がかかり毎晩遅くまで印刷していても、誰からも一円ももらわなかった。
・バレンタインチョコを知り合い30人以上に配っていた時期があった。「お金が無い。」と愚痴をこぼしているのに、止めなかった。
・知り合いのおばあちゃん達を病院から自宅や、自宅からスーパーまでなど無料で送り迎えをしていた。
例えば食事中に連絡が来ると、食べるのを中断してすぐに出かけていた。一日に何度も呼び出されて昼夜問わず、連絡が来るとすぐに出かけていた。端から見ると行動が矛盾していて滑稽だった。
→承認欲求が満たされず、家庭の外にばかり求めていたのだろう。
・「どうして私ばっかりこんなことをしなきゃいけないの?」
「私ばっかり苦労しなきゃいけないの?」
「私がこういう人間だって、なんでわからない?」などと言うことが多かった。
→被害者意識が強かったのだろう。
【個人的考察】精神疾患のある親を持つということ
子供の立場からすると、ちゃんと医療機関にかかって治療をして欲しいです。
自覚がないと医療に繋がるのは難しいでしょうし、子供の年齢に応じた配慮も必要でしょうが、疾患を子供に打ち明けて欲しいと思います。
そうしないと、理解不能な親の行動に振り回されて自分に非があると思い込んでしまう子が、たくさんいると思います。
