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戦のない時代をしあわせに

戦後81年。
私たちは、もう長いあいだ戦をしていない。

世間知らずなだけかもしれないけれど、怖い場面も、恐ろしい風景も、悲惨な経験もほぼせずに生きてこられた。


わたしの家の近くには、古戦場跡がある。
地元に戻ってきたとき、わたしが再びここで暮らすまで、この土地を守り続けてくれた人たちがいたこと。そして遠い昔、この土地を守るために命を落とした人がいたこと。
そんなことに思いを馳せて、手を合わせたことがある。

「ありがとう」
そのとき、感謝がただひたすらに溢れた。
平和の、なんてありがたいことか。



先日、長男次男と映画『キングダム』を観に行った。
戦の映画なのに、そこに生きる人たちの生き様や、表情ひとつひとつが格好良くて、心を動かされた。

そして、このお盆は『逃げ上手の若君』(鎌倉時代末期〜南北朝時代のお話)を観ている。
考えてみれば、わたしはドラマや映画で“戦”をよく観ている。

少し前には『鬼滅の刃』も大きなブームになった。
子どもたちが鬼滅にハマっていた頃、残虐な場面がテレビに流れそうになるたび、わたしは手で子供の目を覆っていた。

その記憶が長男にはしっかり残っていたようで、末娘に同じことをしていたら、
「にーにも、小さい頃ママにそれやられてたんだよ」
と、残念そうに話していた。笑

それなのに。
なぜなのだろう。

ああいった時代を生きる人たちの、
その精神に心を動かされるのは。

昔は今よりずっと、
命が簡単に奪われてしまう時代があった。

守ること。
生き抜くこと。
誰かに託すこと。

今とは比べものにならないほど、「生きる」ということが、むき出しだったのかもしれない。

もし前世や、そのまた前の人生なんてものがあるのなら、わたしも一度くらい、男として戦の中を生きていたのかもしれない。

そう思うと、戦はまったく知らない世界の出来事でもないような、不思議な気持ちになる。
魂のほうは案外、まだ平和に慣れていないのかもしれない。


戦後81年。
いま私たちは、戦を知らない時代を生きている。

今日も家に帰れて、
子どもたちの顔を見られて、
明日の予定を考えることができる。

普通の毎日の中に、小さな幸せが詰まってる。

子どもたちが生きていく未来も、
そんな世であってほしいと思う。

お盆の、迎え火の日に寄せて。

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桃円-ももまる- 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 いただいた応援は、また言葉を綴る励みになっています。