伝説の青崩峠 「日本のトンネル技術が敗退」して「リベンジ」に至った話 【だから地図は面白い】前編
こんにちは。ツーリングマップル編集部のマスキです。
ツーリングやドライブをしていると、出来立てホヤホヤの新しい道路に偶然出会うことがありますよね。「ラッキー!」と思うと同時に「最新のツーリングマップルには載せてたっけな・・?」と少しドキドキしながら走ります。
地図というのは現実世界を描くものだから、道路ができたり閉鎖したり、お店がオープンしたりやめちゃったり、そういう変化を毎回更新しながら出版しています。これはツーリングマップルの特長でもある「コメント」情報も例外ではなく、変化があれば都度更新していきます。
例えば取材中にふと入って食べた、ある町中華のラーメン+チャーハンセットが抜群に安くてウマかったから、コメント付きで掲載してたけど「オーナーが変わり、もうセットの提供はやめたらしいぞ」なんてタレコミがきて、調べると実際なくなってて、仕方なく削除したりとか・・。
あるいはあまりの崩落の激しさに、長らく国道が通せなかった峠があったけど、40年以上を経てついにトンネルが貫通したり、とか・・。
あ、それが今回のテーマ「青崩峠」なんですけどね。
ツーリングマップル史上最も有名なコメント
ツーリングマップルは40年以上の歴史がありますが、その長い歴史の中で、ユーザーのみなさんの記憶にもっとも強く残っているだろうコメントがあります。それが
「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」
というもの。今でもよく各種メディアで取り上げられたり、Wikipediaにも載っていたりします。

(ツーリングマップル中部北陸2017年度版)
このコメントがある(あった)のが、静岡県と長野県の県境にある「青崩峠」という場所(標高1082m)。
下の地図を見ると、南北から伸びる国道152号が青崩峠の前後で途切れているのが分かります。これが、ここがいかに難所であるかということの証明になっています。要するに、ここには「国道が整備できなかった」のです。(国道指定はされているが、車道が通せていない状態。これを通称、「点線国道」という)


あまり詳しくない方には、「このコメントの何がそんなに面白いの?」と置いてけぼり感があるかもしれません。
しかしこの、ほんの20~30文字程度のコメントの背後には、1000年、いや1億年以上に及ぶ地球の歴史の変遷があり、ドラマがあるのです。そこで今回は、この青崩峠について地図に描ききれなかった物語を紐解いてみましょう。
青崩峠とは何者なのか
改めて青崩峠について。場所は先ほど書いた通り、静岡県浜松市天竜区と、長野県飯田市南信濃の間。両県の県境に位置します。旧国で言えば、遠江(とおとうみ)と信濃の国境です。
日本には、大崩海岸(静岡県)や、崩沢(長野県)、崩平(秋田県)などのように、「崩」という字が使われる地名がいくつもあります。いずれも崩れやすい場所、歴史上大きく崩れている場所につけられるのですが、「青崩」も例に漏れず、青白い岩盤や粘土質の山肌が、絶えず崩れ続けていたことから付いたと言われています(飯田市資料より)。

たしかに青っぽく、崩れている?
いつからそう呼ばれるようになったのか定かではありませんが、もともとは「龍ノ戸峠」というのが正式名称で、「青崩峠」は俗称だったとか。俗称がやがて正式名として定着するのは、よほどその名に腹落ち感があったのだろうと想像できます。
なぜ崩れるのか
そんな青崩峠が位置するのは、超巨大断層「中央構造線」が走る上。実はこれが、崩れる原因なんです。
…て言われても「中央構造線」てなんやねん。となりますよね。この話をし始めるとだいぶ長くなるので詳細は端折りますが、大昔、まさに1億年以上前、日本列島がまだユーラシア大陸と繋がっていた頃に、バッキーン!と大地が裂けてできた割れ目・ズレ。その傷が今に残っているものと考えてください。
で、この割れ目、一度ズレてそのままではなく、1億年の間ゴリゴリと活動しながら今に至るわけです。と、いうことはその割れ目の部分では、岩盤が散々すりつぶされて(これを「破砕帯」と言う)、やわやわなんですね。だから雨でどろどろ、風でがらがら。これが、青崩峠が青崩れちまう所以てワケです。

こいつの詳しい話は別の機会にでも・・
「山塩」の里
ここでちょっと話はそれますが、同じように中央構造線の真上に位置する長野県大鹿村には、「鹿塩(かしお)」という地区があります。
ここには古くから、海水とほぼ同じ濃度の塩水が湧いています。海水そのものが湧いているわけじゃありませんが、中央構造線の裂け目をつたい、地下深くから塩分を含む水が上がってきていると考えられています。
この鹿塩の塩泉を利用した「鹿塩温泉」の温泉宿「山塩館」では、塩水を炊き上げた「山塩」を作っていて、これが大鹿村の人気商品となっています。ただあまり多くは作れない(1リットルの塩水から30g程度)ので、行っても買えない可能性が高い希少品。味わってみたい方は「道の駅 歌舞伎の里大鹿」もしくは直売所「塩の里」へ行ってみましょう。

(ツーリングマップル中部北陸「52飯田」)
大鹿村には「中央構造線博物館」もある
もし運悪く買えなくても、道の駅では山塩ラーメンや山塩アイスなどのグルメも充実しているので、ぜひ行ってみて下さい。村の名からもわかる(?)通り、鹿肉も大鹿村の名物です。
ただし大鹿村へは現在、国道152号で南側、静岡県側からのアクセスができません。青崩峠からさらに北上した場所にある「地蔵峠」、ここがやはり土砂災害に悩まされる場所として有名で、点線国道区間なのです。峠を迂回する蛇洞林道がありましたが、これも災害で通行止め。再開のめど立たず。
踏んだり蹴ったりの152号、中央構造線とは、かくもやっかいなものなのです。
「山塩ドリーム」
さて、時代は遡り明治初期、鹿塩のしょっぱい湧水に目をつけ「大鹿村の地下には岩塩が眠っているはずだ!」と期待して、ツルハシ一本で穴を掘り続けた人物がいました。それが黒部銑次郎(くろべ せんじろう)という男。
もともと彼は四国(徳島藩)の高名な武士の家系でしたが、明治維新の激動の中で職を失い、一攫千金のロマンを求めて信州の山奥へとやってきたのです。彼はここで私財を投げ打って、方々から借金をして、20年もの間、岩塩を求めて掘り続けました。ところが努力の甲斐なく、結果的に岩塩は存在せず、夢は叶いません。(現在、日本には採掘できる天然の岩塩は基本的に存在しないことが分かっています)
しかし彼の凄いところは、ここで発想を転換し、この湧水を使った温泉を開業したところ。するとこれが大当たり、現在の鹿塩温泉へとつながるのです。
なんだか塩の話ばかりでちょっと口の中がしょっぱくなってきましたね。
「塩の道」が人を突き動かす
黒部銑次郎がそうまでして塩に夢を見たのは、当時の塩が今と比べ、非常に価値があるものだったから。とくに信州は、周囲を山に囲まれ海からは離れている。そのため塩を得ることが容易ではありません。味噌も野沢菜も漬けなきゃいけないのに。
だから古来よりこの地域では、新潟、愛知、静岡などから塩を運ぶ「塩の道」が発達してきたのです。その塩の道のひとつがのちに「秋葉街道」と呼ばれる道であり、「青崩峠」はこの秋葉街道上にあったのです。

今の感覚で地図を見ると、「なぜわざわざこんな険しい場所を通るのか」と思ってしまいます。昔の人もしょっちゅう崩れまくる峠だと知っていた。だから青崩峠と呼ばれた。しかしそれでも通る価値がある道だった。崩れようが、危険だろうが、越えなければならない場所だったのです。
この道は、塩を運ぶだけではなく、遠州と信州を結ぶ重要な交易路として多くの人や物資が行き交い、時に軍隊の移動に、時に参詣道として、生きた道として使われてきたのです。
だから時代が下って昭和に入り、鉄道や自動車の時代になった時、人々は「ここにちゃんとした道路を通せないだろうか」と考えた。しかし、その願いは、想像をはるかに超える難工事へとつながっていくことになります。
そして後にツーリングマップルへ、あの伝説のコメントが載ることになるのです。
長くなりそうなので、続きは次回。
ここまでお読みいただきありがとうございます。どうでしたか。ちょっと、「山塩」買いたくなってきませんか?
次回は「あの戦国武将も通っていた!?」という話から、僕らが青崩峠へバイクで向かった話、高規格道路を作りかけて断念して規格を下げる工事をしちゃった話、などを交えつつ、最新情報をお届けしたいと思います。
お楽しみに!

たのしいぞ
