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【エッセイ】イスの下の作法

私が大学生くらいの頃のことだと思う。


祖父の法事があり、家族と親族でお寺に集まった。法事というのは、だいたい忘れた頃にやってくる。何をどうしたらいいのか、毎回よく分からない。

私は小声で父に尋ねた。

「どうすればいいと?」

父は迷いなく言った。

「前の人の真似をしたらいい」

妙に自信満々だった。

法事の部屋の前には祭壇があり、その横に住職が立っていた。手にはサカキの枝。緑の葉がついたお清めのためのものだ。

そして住職のすぐ横に、簡易的なイスというか、
低い台のようなものがぽつんと置かれていた。
祭壇とはまったく関係なさそうな、台所の隅に紛れていそうな、ごく普通のイスだった。

やがて読経が始まり、静かな時間が流れる。しばらくして、住職がふとサカキを持ち上げ、先頭に座っていた父の方へ、すっと振った。

ああ、祭壇へどうぞ、という合図だ。

そう思った。

ところが。
サカキは、父に向かって振られ続ける。

一度ではない。

二度でもない。

同じ方向へ、何度も。

その角度が、どうにも妙だった。
祭壇ではなく、なぜか、あの低いイスの下を指しているように見える。

父は明らかに動揺していた。

けれどサカキは、なおも振られる。お経を唱えているものの、ある意味、無言の圧というのは、強い。

とうとう、父は、静かに立ち上がり、迷いのない動きで、そのイスの下にすっと潜り込んだ。

しばらく中で何か祈り、やがて出てきた。

そして、動揺を隠しつつ、けれど何かをやり遂げたような顔で、祭壇へ向かった。

私は息をのんだ。

次はどうなるのだろう。

二番目の人が呼ばれる。

その人は一瞬だけ父を見て、
そして何の疑問も抱かず、
自然な流れでイスの下に潜り込んだ。

祈る。

出てくる。

祭壇へ向かう。

三番目も。

四番目も。

誰一人ためらわない。

まるで最初から、
「イスの下に入る」という正式な作法が
そこに存在していたかのようだった。

空気が、出来上がっていた。

五、六人目くらいだっただろうか。

住職が、ふと気づいた。
親族が一様に、例のイスの下に潜り込み、何かを祈っていることに。

住職は慌ててサカキを振った。

その動きは明らかに、
「入るな、入るな」というものだった。

けれど、もう遅い。流れはすっかり完成していた。


慌てた住職の様子から、私の前の人は、ぎりぎりのところで思いとどまった。結果、私はイスの下に潜ることはなかった。

法事が終わったあと、父に尋ねた。
「なんで入ったん?」
父は少しも迷わず答えた。

「だって、お坊さんが入れ、入れってしたもん」

二番目の人は何も言わず従い、三番目も、四番目も同じように従った。

とりあえず、無難に、前の人の真似をする。

それは、ある意味で日本人らしさなのかもしれない。

ただ、私は今でも気になっている。

あの、祭事とはまったく関係なさそうな、
台所の隅にありそうな普通のイスの下で、
父は一体、何を思って祈っていたのか。

          

          
         (🌿)


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