マインドフルネスと云うは、ラーメン二郎とむきあう事と見つけたり
本学会では、マインドフルネスを、
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」と定義しています。
なお、「観る」とは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味となります。
私は、
「マインドフルネスとは、日常に転がってる幸せを探す練習方法論の一つである。」
と理解しています。
急いでいる時の突然の夕立に、
「くそ、どうすんだこれ。」といらだつか。
「お、雨のアスファルトの匂いだ。」と幸福を見つけるか。

日常に転がってるちっちゃなセロトニン的幸福、オキシトシン的幸福を、拾って拾って拾いまくる。
その千本ノックが、「マインドフルネス」だと認識しています。
あれ、僕が「マインドフルネス」を知ったのはいつなんだろう???
(って、記事を書きながら本筋を外れたことが楽しくなっちゃうのがADHD的。。。)
私のgmailでの初出は、2011年6月1日の蔵王セミナーメーリングリストでの書籍紹介。
なんと今現在お世話になっている私のメンター(片思いだけどな)の一人の方の投稿のスレッド内だ!!
んー、運命感じる、、、けど、この時は思いっきりスルーしてたと思われます。
ほう、その次は2013年6月29日、森田ゆりさんという方のメールマガジンで。
カリフォルニアでは学校での子どもの攻撃性と暴力、
教師のストレスからくる体罰や強圧的な指導、
家庭での親の体罰、企業など職場でのストレス軽減による効率性をあげる人材教育などで、
マインドフルネス瞑想の活用が急速に広がっています。
私も、MY TREEペアレンツプログラムで、親による虐待や体罰を減らす訓練の一環として、
呼吸法や瞑想を取り入れてきて、その効果を経験してきました。
マインドフルネスを学校での授業に取り入れ、子ども、教師のストレスの軽減から、
子どもの攻撃性やいじめ対策、教師による体罰や懲罰的対応の軽減に大きな効果を
上げていることを示す研究が米国ではたくさん発表されています。
マインドフルネスにちゃんと興味をもったのが、2015年1月27日に購入したこの本でしょうか。
「GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス」
Evernoteにライフログ(まあ、いわゆる日記のこと)つけてますが、マインドフルネスの初出はこの本でした。
で、2017年に「精神科治療学」のマインドフルネス特集まで買ってますな。

何度も読み込んでいます。
2021年4月2日にこんな記事書いてる。
2019年にユヴァル・ノア・ハラリさんの「21Lessons 21世紀の人類のための21の思考」
「私は二〇〇〇年に初めて講習を受けて以来、毎日二時間瞑想するようになり、毎年一ヶ月か二ヶ月、長い瞑想修行に行く。瞑想は現実からの頭皮ではない。現実と接触する行為だ。」
この文を読んで、また瞑想やマインドフルネスの「お勉強」を開始しました。
シンガポールに赴任して14日間のホテルでの隔離期間中に、アプリのメディトピアも買ってがっつり14日間マインドフルネス実践トライもしてみました。
が、しかし、結局の所、まったくピンと来ませんでした。
この時はピンとこなかったらしい笑
そうか、その後実践の中でピンと来たのかー。
2022年7月のこの記事もマインドフルネス練習のモチベーションアップしてくれた。
2025年3月の一時帰国時にこの本購入。
なんだっけ。
あ、
「マインドフルネスとは、日常に転がってる幸せを探す練習方法論の一つである。」
だ。
ちゃんと習ってるわけじゃないので、私が日々実践しているのは、
呼吸瞑想
歩く瞑想
マインドフルネス二郎
これだけ。
別にふざけてるわけでも、ウケ狙いでもなく、週1回まじめにラーメン二郎瞑想を実践しています。(正確には二郎系ラーメン瞑想ですが。。。)
帰国したらヴィパッサナー瞑想センターで、ちゃんと学びます。
マインドフルネス二郎とは
まずはラーメン二郎もしくは二郎系を食べると決めた日は、朝から自分の空腹具合をずっと意識します。
(朝起きた時から、自分の腹具合を測って、朝食を何食べるかを決める。昼までに自分のお腹がちゃんとすいているかをちょくちょく意識。)
お店に向かう時には空腹感がしっかりあるのが理想。
で、行列に並ぶときは感謝から。
「ああ、日本じゃないのに旨すぎて行列が長すぎる二郎系ラーメンを堪能出来るなんて、なんて幸せなんだろう。今日は1時間かな、1時間半かな。2時間じゃないといいな。」
そう感謝を噛みしめながら、並びます。
5分位は並ぶことの感謝に没頭しますけど、1時間の行列と30分の着丼待ちにスマホを触るのは仕方ないよな。。。
で、入店し、選び、また座席にて待つ。
着丼したら、どんぶりの写真撮影しながら、脂のきらめき、肉の色めき、麺とスープの輝きを堪能。
実食。
今、この瞬間の二郎系ラーメンを食べる体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ます。
ここでいう「観る」とは、二郎系ラーメンを、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観ることを含みます。
もちろんありとあらゆる煩悩、不安、雑念が湧き出ますよ。
それらは、しっかり意識して、言語化して、そして、手放します。
この「湧き出てくる不安等々を、メタ認知して、手放す」
これが、マインドフルネスがストレスコーピングに役立つと言われるゆえんだと理解してます。

ラーメンを「評価」するのはOKだと認識してる。
ここでいう「評価をせずに」っていうのは、自分の体験自体への評価だと解釈してます。
「あー、ラーメン食べるの健康に悪いよな」的な?
ある日のマインドフルネス二郎実践記録
タルタルソースマインドフルネスってのも実践してます。
マインドフルネスにはいろんな効果があると思うのですが、私が一番実感している効果が、
「日常に転がってる幸せを探す能力の向上」
なんですよ。
油断すると、
「人生つまんねえなあ。。。」
って思っちゃいません?
狩りに行ったり、採取に行かなくても、ご飯を食べられるし、服を着れる。
土を掘ったり、木を倒したりしなくても、エアコンのある快適な家がある。
うんこもおしっこも、虫に刺されたり蛇にかまれたりする心配しなくてもいいし、処理をしなくてもいいのも楽ちん。
負けたら文字通り首が飛ぶ権力闘争をする必要もない。
狩猟採取生活に進化適応してる我々ホモサピエンスにとって、今の時代は退屈すぎるんですよ。
リアルに血沸き肉躍る体験が少なすぎる。
足りないものがなくなっちゃったので人類は気がつきにくくなってますが、幸せってのはほんとにそこら中に転がりまくってるんですよ。
ただただ気がつかないだけ。
スマホがあるおかげで、さらにそこらへんに転がってるつまんない幸せに気がつく能力が低くなってるかもしれない。
晴れてても、雨が降ってても、幸せを感じる、幸せを拾える。
マインドフルネスを実践することで、この表情が出来るようになるかもしれませんよ。

A poem of extraordinary subtlety and beauty すげーキャッチコピー
知らんけど。
