分かり合えないのは、前提が違うからかもしれない
左折時に、車をぶつけてしまった。
大きな事故ではなかったけれど、
修理が必要な物損事故だった。
夫と共有で使っている車だったこともあって、
気持ちがざわついた。
もちろん、反省はしている。
半年前にも車をぶつけていたから尚のこと…
ぶつけてしまった瞬間、
また夫に怒られる…そう思った。
その考えが最初に浮かんできたことが、情けなかった。
不幸中の幸いだったのは、
2回とも人身事故ではなかったということ。
相手が人じゃなくて本当によかったと、
あとから震えた。
怖くて、逃げたくなったけど
運転が苦手なくせに、
うちの車は車体が大きい。
やっぱり、
本当は乗りたくないと思った。
でも、この田舎暮らしで運転から逃げることは、
生活能力を失うこととほとんど同じで。
そう簡単に、手放せるものでもなかった。
これからの運転が怖くてたまらない。
それでも、
子どもを乗せて病院に行ったり習い事の送迎をしたり。
買い物にも、
自分の通院にも、
車は欠かせないもの。
必要に迫らせて、車に乗る。
運転しなければならないんだ。
だからこそ、
これまで以上に気をつけようと思った。
絶対に同じことを繰り返さないように、と。
今できることは何だろう?
左折のコツを改めて動画で見直した。
免許をとってから20年。
忘れていたことの多さに驚き、
このタイミングで初心に帰れたことは
良かったんだと気づいた。
あとは、焦りと恐怖心に飲まれすぎないこと。
落ち着いて、とにかく慎重に。
二度の失敗を、
これからに活かしていくしかない。
そう思っていた・
「反省していない」と言われて
でも、夫には私のそんな様子が
「まったく反省していないように見えた」らしい。
二週間後。
事故の話を蒸し返されて、
かなり強い口調で責められた。
「なんでそんなに開き直れるわけ!?」
そう言われたとき、もう言葉が出てこなかった。
私は、開き直っていたんだろうか。
反省していないように見えたんだろうか。
私の中で起きていたことなんて、
何も知らないくせに。
そんな反発と同時に、
寂しさと悔しさが込み上げてきた。
もう何も言えないし、夫に言っても意味がない。
反省していないわけがない。
あの瞬間の怖さを、ちゃんと覚えているんだから。
私なりの「反省のかたち」
夫に責められたあと、
少し時間を置いて考えてみた。
もともと私は、
切り替えが早いタイプなのだ。
それがいいとか悪いの話ではない。
ただ、自分がミスをしてしまった時の
対処の仕方や思考回路は、似ているものだと思った。
事実、起きてしまったことは取り消せない。
時を戻すことはできない。
だからこそ、
誠心誠意お詫びをすること。
自分のメンタルのためにも、
必要以上に引きずりすぎないこと。
そして、同じことを繰り返さないように
最善を尽くすこと。
今回でいえば、
起こしてしまったことから逃げずに、必要な対処をする。
落ち込みすぎずに、気をつけて運転していく。
本当はやりたくない、苦手な運転から逃げないこと。
それが、自分なりの反省のかたちだった。
そもそも、すれ違っていた「前提」
一方で夫の中での「反省」というのは、
何度でも謝ることや、落ち込んでいる様子が見えること。
時間が経っても、忘れていないと分かること。
そういう姿が見えないと、不安だったのかもしれない。
反省しているかどうかじゃなかったのかもしれない。
ただ、自分の中にある「反省」の前提が違った。
そういうことだったのかもしれない。
分かり合えなさの正体
この出来事をきっかけに、
これまでのことも思い出した。
夫と分かり合えないと感じる瞬間のことを。
価値観の違い、という言葉で片付けていたけれど。
もっと手前の、前提の部分が違うことが多い気がする。
同じ出来事でも、見ているものが違う。
求めているものも、受け止め方も違う。
だから、ズレる。
ズレが大きくなると、大げんかになる。
すり合わせるなんて、気が遠くなる。
それでもどう暮らすか
夫とは、どうしたって分かり合えない気がする。
最悪の結末が、頭を何度もよぎった。
でも結局、うやむやになって、仲直りする。
家族だから、で許し合う。
それはもしかしたら、
諦め合っているだけなのかもしれない。
そしてふと、思った。
そしてこのズレは
埋めなきゃいけないんだろうか。
今回、久しぶりに大きなズレを感じて。
ほんの少しだけ、視点が変わった。
「どうしたら分かってもらえるか」じゃなくて、
「このズレがある前提で、どう暮らすか」
自分で動けるという選択
その延長線上に出てきたのが、
「自分の車を持つ」という選択だった。
これまでは、車が1台しかないことで、
どちらが使うかを調整したり、
自分の予定を諦めたりすることもあった。
でも今回の出来事を通して、
「自分で自由に動ける選択肢を持ちたい」
という気持ちが、よりはっきりした。
もちろん、お金はかかる。
貯金も減るし、維持費もかかる。
それでも、
それをただの消費や浪費ではなくて、
「これからの自分の選択肢を増やすための投資」
として捉えている自分がいた。
それぞれの反省のかたち
同じ出来事でも、反省の仕方は違う。
言葉や態度の受け取り方も違う。
そのズレに気づいたとき、
「分かり合うこと」よりも、
「私はどう生きたいか」の方に、
少しだけ意識が向いた気がする。
そして同時に、
夫の気持ちになって考えることが少し足りなかったな、
とも思った。
全然寄り添ってもらえないと拗ねていたけれど。
だからといって、私まで寄り添わないという選択はしたくない。
今夜は、ちゃんと気持ちを伝えてみようと思う。
もう一度、謝ろうと思う。
あなたにとっての反省は、どんなものだろう。
落ち込んで引きずるものだろうか。
それとも、切り替えて次に活かすものだろうか。
そして私はこれから、
どんな反省を選びたいんだろう。
どちらが正しいかという話ではなくて、
その前提を知っているだけで、
ズレは少しだけやわらぐのかもしれない。
そんなことを思った出来事でした。
