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#02 "元気そう" "大丈夫そう"

 働く現場において、本人ですら「わたしって何なの?」と思っているのに、当事者ではない上司や人事の方々からしたらもっと扱いづらい存在でしょう。わかりますとも。
 今回はちょっと堅苦しい話をします。
 社会的に導入されている内容についてなので、聞き慣れない方にとっては少し抵抗があるかもしれません。
しかし、障がい者として雇用される場合あるいは採用する立場になった時、この言葉が必ずついて回るのです。
"合理的配慮"


難しい言葉の難しい現実

合理的配慮ってなんやねんていう


 国は障がい者の雇用機会を確保するため、対象となる企業に対し、社内で一定割合以上の障がい者を雇うよう義務化しています。
これにより<<私の中で大問題>>となっているのが"合理的配慮"という言葉。
業務内容や通院、勤務時間や方法、事前に対応すべき環境調整など、制度としてはとても大切でありがたいもの。のはず。
 しかし政府が出しているサイトを確認しても、挙げられているのは身体や発達に障がいがある方への配慮についての一例のみ。
なるべく冷静に考えてみましたが、精神的な障がい者への合理的配慮がもっとも例として挙げにくく、且つ当事者にとっても事前に依頼しづらい厚い壁になる内容ではないでしょうか。
精神領域の不安定さや見えないことが両者を戸惑わせている印象です。

配慮を求める難しさ


 どこまで配慮をお願いするべきなのか問題。いや、どんな配慮が必要なのかを明確にできない問題。
 何度も考えてきたけれど、いつまで経っても答えがでない。
 私が健常者と障がい者での狭間で反復横跳びしているせいで、何回考えても、伝え方も伝える内容もわからないのです。
なるべく健常者(仮)でいたいし、毎日何かが起こるわけでもないし。
実際、ほとんど求められる通りの業務はできるし、チームや他部署・顧客とのコミュニケーションも問題がない。手当たり次第に調べた上で不明な点を質問したり、資料を作成したり、問い合わせたりもできる。
 「え、特別な配慮、特にいらなくない?」そう振り返っていると自分で思います。
そう思うじゃないですか。そう思うんですよ。
 けどそうじゃないんですよ。できませんのタイミングが見えないのです。
 自分の体に異変が出た時には時すでに遅し…私の場合は前兆もありませんし、何しろ意識喪失するため、上司への報告も事後報告になってしまいます。
 だから採用面接の際に合理的配慮について聞かれるのが本当につらい。
 ありがたいはずの"配慮"なのに、悩みの種になってしまう。。。

それでも「普通」に近づきたい

働けることの証明

 先にも書いたとおり私は健常者としてしっかり働いていたこともあります
新卒で銀行に入行したので、毎日満員電車に揺られて通勤し、総合職として営業を担当し数字を追う日々を送っていました。
本当はBtoB営業がしたかったけど、てんかんのルール上車の運転ができない&上司の目が届かない場所で万が一倒れてしまったら、というリスクヘッジのため許可が降りず、来店していただいたお客様への営業担当者となりました。
それはもう、悔しい!外向担当に絶対負けたくない!と思って、実績も残し社内表彰もされました。(そうです、自慢です。笑)

働かせてもらえない現実


 一方で、障がい者として働いた経験もあります。現在働いている会社も障がい者向けの求人で採用していただいています。
障がい者手帳を取得し最初に入社した企業ではDE&Iを強く謳う企業でしたが、いざ入ってみると、「あぁ、やらなくていいやらなくていい!」のオンパレード。それが逆にストレスになって、毎週のように倒れていました。
 帰宅後の家で一人、一息ついた時。誰にも見られず。
 頑張って一年続けましたが、あまりの発作の頻度にこのままだと脳みそぶっ壊れる!と耐えられなくなり、転職しました。

 現在の会社では福利厚生では多めの有給を付与するが、業務としては区別しないと受け入れてもらえたのが功をそうし、なんとか3年目になります。
業務量と業務内容は人生で一番忙しく難しく、よく泣きながら頭パンク状態で対応したりもしていました。まあ逆にいえば障がい者だからって色んな意味で差別しないということですね。
 この状態にどこまで心身がついていけるのか次第ですね(嫌な予感)

"元気そう""大丈夫そう"の意図するところ

見えないからこそ必要な配慮も見えない

 これまで書いたように、合理的配慮という優しい制度があろうとも、結局のところ障がい者雇用の現実は厳しいと感じることが多いです。
 「休んでいいよいいよ」、「やらなくていいよいいよ」、「寝てな寝てな」、「健康第一だよ気にしないで!」、どれもありがたい言葉。
でも、素直にありがて〜って思えないんですよこれが。
いや、正確には、感謝してるんだけれど、「やれるんだけどなぁ…うーん」というところか。

配慮と制限の境界


 企業として、配慮が必要な人を「守る」必要があるのでしょう。特に管理職になる程そこは重視する責務があるのもわかります。
しかしそれが、当事者が望む「守る」なのか?
 過剰に「守る」をされないために余計に頑張って元気そうに、大丈夫そうであることを証明し続けなければいけない。
 見え方ではなく、もっと根深い働き方の問題なのです。
 配慮と制限の境界がまさにそれで、守られすぎた結果私の存在はどんどん縮小されていく。
 
 もっとゆるく仕事しなよ、とか、7割ぐらいの力でいいんじゃない?とか言ってもらうことは多いですし真理だとも思うんですけど、私が力抜けないのって、こういった過剰配慮からくる制限で、どんどん自分の居場所がなくなっていった経験があるからなのかなと。
 
配慮してほしいわけではない。
制限してほしいわけでもない。

ただ、困った時に困ったと言える。
無理な時に無理だと言える。

そんな環境が、私にとっての合理的配慮なのかもしれません。

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